9.11同時多発テロから15年 イスラム教徒への偏見と憎悪はまだ続いている

15年前、アメリカでイスラム教徒の境遇はまるで違った。
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NEW YORK, USA - APRIL 14: Protesters gather outside of the Grand Hyatt Hotel during a demonstration against US Republican presidential candidate Donald Trump and his racist, Islamophobic hate speech in New York, NY, United States on April 14, 2016. US Republican presidential candidate Donald Trump wants 'total and complete shutdown of Muslims entering the United States' as well as he said 'All Muslim immigration to the United States should be halted'. (Photo by Cem Ozdel/Anadolu Agency/Getty Images)
Anadolu Agency via Getty Images

15年前、アメリカでイスラム教徒の境遇はまるで違った。

「何か企んでいるのではないかと見られている感じはありました。何か違うものを感じました」。「アメリカのイスラム関係評議会」(CAIR)オクラホマ支部のアダム・ソルタニ事務局長は、イスラム教徒がどう見られていたのか、振り返る。「だけど、イスラム教徒であることで、身の危険は全然感じませんでした」

これは2001年9月11日の同時多発テロ以前の話だ。悲嘆にくれたアメリカ人は、やけくそになって、この蛮行の犯人を捜し、生け贄を見つけ出した。イスラム教徒、アラブ人。飛行機をハイジャックしてワールド・トレード・センター(WTC)ビルと国防総省に激突し、約3000人を殺したテロリストに似ていれば、誰でもよかった。

「ほとんどのアメリカのイスラム教徒にとって、人生は9.11前と9.11後に区別されるのではないでしょうか。あの攻撃は、私個人の人生と、社会的な生活に影響を与えたのです」と、CAIRメリーランド支部の社会奉仕部長、ザイナブ・チョードリーさんは言う。

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2011年にニューヨークであった9.11の追悼行事で、モスク予定地の近くで反モスク活動をしている男性(左)が「イスラム教徒は去れ。マンハッタンのグラウンド・ゼロにモスクはいらない」と書かれたプラカードを持ち、イスラム教徒への連帯を表明する男性と話をしている。

アメリカで最もヘイトクライム(人種、宗教などへの憎悪から来る犯罪)の標的になることの少なかったイスラム教徒だったが、2002年のアメリカ連邦捜査局(FBI)の報告書では、イスラム教徒への犯罪は一気に16倍に跳ね上がった。現在、イスラム教徒を狙ったヘイトクライムは、なお9.11以前の5倍に上る

9.11から15年になるのを前に、ハフポストUS版は、アメリカ国内にいる多くのイスラム教徒に話を聞いた。多くがイスラム教徒への排斥と戦い、9.11以降、増幅する反イスラム教熱によって、人生を狂わされていた。

■9.11は「新たな存在の始まり」だった

多くのアメリカのイスラム教徒はハフポストUS版に対し、2001年9月11日を境に、「何となく興味深く、ミステリアスに見えていた」イスラム教が、邪悪な宗教とみられるようになったと語った。

ソルタニさんは当時、18歳だった。オクラホマ中央大学の1年生で、イスラム教徒の学生団体の幹事長を務めていた。イスラム教に入信したのはその2年前。学校近くのモスク(イスラム教の礼拝所)で、何か心にひっかかるものがあった。9.11のニュースの後、自宅に戻るよう訴える両親とは断絶した。

「普通は約150人が毎週恒例のお祈りに参加しますが、今は20人以下です。アメリカのイスラム教徒としての暮らしは、今までのようには行かなくなると直感しました」

「私がイスラム教徒であることで、私の家族や他の誰かが私を嫌いになるとは思いもしませんでした。単に、イスラム教への入信ということに、なじみがなかったのです」。ストーニー・ブルック大学の大学院生、タスニア・アハメドさんは当時9歳だった。「9.11を境に、180度変わりました」

■9.11が「神の試練」だった人も

チョードリーさんの父は9月11日、娘に電話をかけて、身の安全のためにヒジャブを外すように言った。当時、チョードリーさんはメリーランド大学の1年生で、1カ月前にスカーフを頭に巻き始めたばかりだった。2週間、野球帽やフード付きセーターにした。

ヒジャブをつけていなかった間、イスラム教の基本的なことへの疑問が次から次へとわき上がった。

「私はイスラムの真の教えとは何なのか、迷いました。もし誰かからイスラム教徒であることに難癖をつけられて、あんな攻撃をされたら、私は本当にこれからも信者でいたいだろうか? イスラム教徒にとって、深い自省の時期でした。もしテロを推奨するような宗教だったら、その一部には絶対になりたくない」

教義を学び直し、イスラム教の平和を尊ぶメッセージに自信を取り戻したチョードリーさんは、過酷な日々が訪れると知りつつ、ヒジャブを再び身に着けるようになった。

今はニューヨークで医師として働くサキブ・ラヒムさんも、似たような試練を感じた。当時は21歳で、医学部の1年生だった。ハフポストUS版の取材に、以下のように答えた。

「心の奥底で、起きたことに向き合うことを余儀なくされました。自分自身の信仰についてどう思うのか、そして神と、私の今の環境との関係をどうしたいのか」

■イスラム憎悪に直面

「忘れたくても忘れられない」。ラヒムさんは、9.11後に初めてイスラム教徒を迫害する発言を聞いたときのことを語った。9.11から数週間後、ダイニングホールで座っていると、ある同級生がやってきて「君の家はどうだい」と聞いてきた。

「いきなり妙な質問をされて、その同級生の顔をのぞきこんだんです。彼は僕を見据えて言いました。『やっと君たちを爆撃するって聞いたもんだから、尋ねてみようと思って』」

ワシントンDCにあるアメリカのアラブ人反差別委員会の、国内法・政策ディレクター、アベド・アヨウブさんが、9.11に関連して聞いたイスラム教徒への敵対的な言動は、テロの当日だった。当時21歳で、通っていたミシガン・ディアボーン大学のキャンパスでだった。

「駐車場に車を止めようとしたら、他の車が割り込んできました。窓を開けて『何で割り込んで僕の場所を取るんだ」と言ったら、その車を運転していた女性は私の車につばを吐きかけて『ここはお前の国じゃない。出て行け」と言ったんです」

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2011年、9.11から10年の追悼行事で、反戦やイスラム教差別に反対してデモ行進する人々

「帰れ」と言われたのはほかにもいる。サンタモニカの専業主婦、タハラ・ゴラヤさんは9.11の1カ月後、交差点で止まっていたときに言われた。当時28歳だった。

「止まっていた私の車の前に、あるカップルが歩いてきて、不敬な言葉を吐いて『帰れ』と叫び始めたんです。怒りとショックで声が出ませんでした。『ここが自分の国だ』と叫び返したかった」

9.11から1週間後、ソルタニさんと、オクラホマ中央大学のイスラム教徒の学生数人は、モスクへと歩いていた。アメリカン・フットボールの試合の後で、たくさんの若者に呼び止められた。

「『そこの黒い奴、帰れ!』と叫びました。面と向かって人種差別的なことを言われたのは、そのときが初めてでした。それまでとは違うと、私が気づいた瞬間でした」

■イスラム憎悪は日常の一部になった

9.11を境に、ゴラヤさんはイスラム憎悪の標的になった。当時、ドラッグ防止の非営利団体で事務局長として働き始めたばかりで「突然、最も目立つイスラム教徒になったのです」。

若者のタバコやアルコール摂取を制限するよう投稿すると、「徐々にアルコールとタバコ製品を減らし、イスラム教のシャリーア法(注:預言者ムハンマドの教えに基づくイスラム教独特の法規)を押しつけようという企みだ」と書いて送ってきた人がいた。

テロリストにまつわる「冗談」にも耐えなければならなかった。

ニューヨークのブルックリン出身の小児科医、サルマ・シディックさんは、9.11から数年経ったあと、お笑いのショーを演じるクラブに行った。観客は事前に名前を書いた紙を箱の中に入れていたが、あるコメディアンが、サルマさんの紙を取り出して名前を呼んだ。

「私がステージに歩いて行くと、そのコメディアンは私の名字を何回か呼んで、テロリストとイスラム教徒を結びつけるようなことで笑いを取り始めたんです。その晩のショーはそれほど大きいものではありませんでしたが、たくさんの人が笑っていました。何人かは不愉快に思ったかもしれませんが、笑っていました。大勢の前で恥をかかされ、不愉快な目に遭いました。イスラム教徒だったからではなく、イスラム教徒であることが悪いことのように思ってしまったからなんです」

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マレーシアのクアラルンプールで2002年9月25日、9.11の写真展示の前を歩くイスラム教徒の女性

9.11の後、何げないことでイスラム教徒への憎悪を呼び起こされることもあった。ワシントンのアメリカン大学で法律を学ぶネジェーン・サデギ・モヴァヘドさんは高校生で、お気に入りのトレンチコートが他の生徒の目にとまった。

「彼女は後ずさりして、『なぜジャケットを着ているの?』と聞いてきたんです。『寒いから』と答えたら、『何を隠しているのか教えて』と言われました。『コートの下に何を隠しているのか分からないし。爆弾かもしれないし』」。そのまま立ち去るしかなかった。「もうそのジャケットは着ていません。着れないんです」

カリフォルニア州に住むゴラヤさんの母や、プレッシャーで外に出るのが怖くなってしまった。「母は9.11の数日後、スーパーでの買い物やドライブで嫌がらせを受けました。それ以来、家に閉じこもるようになりました。私の兄弟や父が、買い物やジム通いみたいな日常生活をあきらめるなと説得しましたが、母は受け付けません」

■子供も非難される

テキサス州のA&M大学の大学生、ニムラ・リアズさんは、7月にあったモスク銃撃事件で家族が被害に遭った。9.11のときは小学校3年生だった。

「9.11から数日後、私は同級生の親友からの手紙が机の上に置かれているのを見つけました。そこには『お母さんはパキスタン人と友達になっちゃいけないって言ってる』と書かれていました。当時、まだ9歳ですよ」

ロサンゼルスを拠点にブログ「Miss Muslim」を書いているコラムニストでコンテンツエディターのジェハン・マンシーさんは、9.11の日に高校の先生から言われたことが忘れられない。

「攻撃の後、校内放送で校長先生が、テレビとラジオを消せと指示したんです。物理の先生はその指示に従わず、私の方を向いて言いました。『みんな知ってる。これは君らからのテロだ』」

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2002年9月11日、ニューヨークのイスラム・カルチャー・センターで祈りを捧げる人々

■「模範イスラム教徒」であることを求められ

9.11後のイスラム憎悪で、すべてのイスラム教徒が、ごく少数の過激派に対抗するよう求められた。この大きな流れで、彼らは「模範的なイスラム教徒」の役割を強いられている。

「私のようなイスラム教徒、特に頭にスカーフを巻いている女性は、アメリカでイスラム教徒であることという、とてもわかりやすい最前列の役割を求められます。それを望むと望まざるに関わらず、イスラム教の代表者だと思われているのです」。チョードリーさんは語る。

ソルタニさんは大学1年生のとき、突然メディアのインタビューが殺到した。

「自分の意思にかかわらず、クラスメートや仲間から、僕は『模範的なイスラム教徒』と見られていました。多くの人にとって、私は自分の信仰を代表する存在となったのです。今でも、せいぜい人口の1%くらいしかいないオクラホマ州のイスラム教徒の代表者と見なされていると思います」

そのプレッシャーは今でも続いているとチョードリーさんは言う。しかし、イスラム教徒であることが分かるように振る舞うことは、彼女にとっての誇りでもあるという。

「私が強く意識しているのは、若い世代へのメッセージでもあります。もし私がスカーフを外したり、私の信仰を変えたり、私の信仰の表現を変えたりしたら、ある意味、イスラム教徒が9.11に責任があって、9.11で起きたことの許しを乞うているようなものです。それはまったくのお門違いです」

ハフポストUS版に掲載されたものを翻訳、要約しました。

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