ソウル行:隣の国で考えたこと

きっと、ソウルに出向くことは、旅であって旅ではないのだろう。
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近年、日本を旅行する韓国人観光客の数は、外交上の日韓関係の悪化をよそに順調に増えている。昨年はおよそ275万5千人の韓国人が来日した。この数は、早晩追い抜かれるのだろうが、日本を旅行する中国人の数をまだ上回っている。

他方、韓国を訪問する日本人観光客の数は激減している。2012年にはおよそ351万9千人だったのが、昨年はおよそ228万にまで減った。韓国での反日的な言動や行動が報道される局面が増えるにつれ、「なら、いいや」との心理が日本人観光客にはたらいた面は否定できまい。

今や、日本人観光客の巡礼地としてのミョンドン(明洞)は影も形もなく、中国人観光客に席巻されている。そういった言を日本でしばしば耳にした。

だが、この三月にソウルを訪れてみると、男女問わず日本人観光客は多かった。行きも帰りも飛行機は満席だった。そしてミョンドンの街も、たしかに中国人は多かったものの日本人も健在で、なおかつ東南アジア系の人びともさまざまいて、むしろ「無国籍空間」の度合いが増した印象だった。

いい街にしあがってるなと思った。この妖しさ、軽さ、いかがわしさ。ミョンドン名物、各化粧品ショップのお姉さんの街頭早口マイク・パフォーマンスは、「韓国語→中国語→日本語」をループしていた。ちょっと大したものである。そして英語が出てこないのが、おもしろい。

トランスナショナル(市民間)の交流が深化すれば、国家間関係も良好になるとの言説もあるが、どうやらこれに信をおきつづけられるほど人間の精神はタフではない。ここ数年の東アジアの国際関係を見るかぎり、こういうほかない。

けれど、こうもいえよう。国家間関係の悪化によって、トランスナショナルな往来がさまたげられるともかぎらない。24時間365日、日韓関係の悪化を憂慮しつづけ、相手を憎みつづけていられる市民は、よほど時間に余裕がある人だろう。

「解放」から70年の韓国は、日本の「首相談話」ももちろん気にはなるところだろうが、そのほかにも、たくさんの国内的課題を抱えている。その一つは、早送りの経済成長を遂げた優等生・韓国ならではの歪み(ひずみ)といえるものかもしれない。

ミョンドンの繁華街から少し足をのばした郵便局ビルの下では、大手通信会社の非正規雇用者による座りこみが行われていた。韓国では非正規雇用がおよそ3割を占めていて、なかでも低所得の非正規雇用の割合が増加している。警護にあたるヒラの警官たちはのほほんとしたもので、笑顔や軽口をかわす姿がまま見られた。

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 ▲非正規雇用者の待遇改善をもとめる垂れ幕(郵便局ビル前)

非正規雇用の占める比率がおよそ30%。くしくも、パク・クネ政権の支持率もまた40%台を割りはじめ、30%台に入った。側近をめぐるスキャンダルも去ることながら、経済成長と福祉、安定した労働環境の兼ねあいという「古くて新しい問題」に、この政権が悩まされていることが大きいだろう。

また、セウォル号事件を日本のメディアが追跡報道することは少なくなったが、光化門前の道路にはさまれた広場では、「真相究明」「責任者処罰」を政府にもとめる人びとがテントを張っている。

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 ▲セウォル号事件の真相究明を求める(光化門前)

「ハンガン(漢江)の奇跡」をへて早送りの近代化を進めた韓国だが、それだけに社会問題(たとえば急速な少子高齢化や経済格差の拡大)も一挙に噴出する。セウォル号事件や建設物の崩落事故を見て、日本の一部メディアは「それ見たことか、二流国」と嗤(わら)った。

何かと物価は上がり、トッピングをつけないのり巻き(キムパブ)が2000ウォン(およそ215円)はするようになった。かの国の友人がごちた。「物価が上がることはいいことだよ。日本だって何かと高いだろ。物価が上がるってことは肩を並べるってことだ」。

もともと、ソウルの洋菓子はドーナツをのぞけば高いと思うが、ジョンノ(鐘路)のカフェではミルクレープ(ケーキ)が5000ウォンもした。東京の某カフェ・チェーンでは360円、コーヒーと一緒に頼めば50円引き。お説にしたがえば、ソウルは東京にずっと優っている。

その友人のように、やせ我慢をいつまでつづけられるかわからない。そして、スキャンダルや事故の絶えない韓国社会が、日本社会を嗤うことは無理だろう。とはいえ日本が隣国を指さして、腹の底から嗤えるかといえばそれはあやしい。それもまた、やせ我慢の笑顔のような気がする。待ったなしの共通の社会的課題について、一緒に頭を悩ますほうが、両国にとってよほど生産的ではないか。

友人の案内で、1970年代、韓国版「坂の上の雲」を追いかけていられた時代の主役だった集合住宅に、足を運んでみた。修繕のあともどこか痛々しいというのは、傍観する側の感傷にすぎまい。サムガクチ(三角地)の戦争記念館にほど近い「三角マンション」も、ソウルのシンボル、ナムサン(南山)・タワーのふもとに位置する「市民マンション」も、どっこい現役である。

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 ▲「三角マンション」(+高層ビル)

ともにスカイスクレイパーを後景に臨むこうした年季の入った建物には、経済的にゆたかでない人や世帯が住まっているかといえば、必ずしもそうではないらしい。いわゆる「財テク」の一環として部屋を買い、使い、貸し、転がすということも行われているという。

いずれにせよ、生活のにおいがぷんぷんする、現役の集合住宅。たくましく残ってほしいなと思うのも傍観者の安直な思い入れだろうが、その思いは禁じえない。とはいえ、「市民マンション」へ人を渡す橋には、「危険判定」を受けたから重いものは運ぶな、と警告されている。

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 ▲「市民マンション」と「危険判定」を受けた橋

「市民マンション」の建物自体も「危険判定」を受けていて、21世紀ゼロ年代半ばに取り壊すことが決められながら、いまだ現役を保っているという。

朽ちゆくものへの愛をことさら強く持つのは日本人とイギリス人だという説が、文化論にはある。それに比べれば、ソウルはスクラップ・アンド・ビルドの無間空間だし、商店やテナントの移り変わりもごくひんぱんである。

それだけに、一見して傷んでいることがわかる集合住宅がサバイブしている姿は、眼に焼きつく。こうした集合住宅が残ることは、駆けのぼってきた坂の上から自らの来歴をかえりみる、よすがとなる。もちろん、このことと建物の安全はトレード・オフなのだが......。

東京でいうと、坂の下をふりかえるシンボルは何だろうか。留学時代にかよったテハンノ(大学路)の裏路地の食堂で、1500ウォンでふんばっているキムパブをほおばり、ソウルから東京を想いつつ次の街歩きの計画を練った。

「旅の解放感は、一言でいえば自分の住所、氏名からの解放感である」(寺山修司『旅の詩集』)。

だが、中途半端な出自の私が東京からソウルにおもむくとき、出入国時には、通称名から忘れかけていた本名に引き戻される。そしてかの地では、生まれ育った住所と故郷(東京あるいは日本)、留学からこのかた脳内にちん入してきた住所と故郷(ソウルあるいは韓国)をあいまって考えてしまう。

きっと、ソウルに出向くことは、旅であって旅ではないのだろう。

●写真はいずれも筆者撮影(2015年3月15〜17日)。なお、本稿のサブタイトルは、若かりし岡崎久彦の名著『隣の国で考えたこと』(中公文庫)から借りた。