今夏の電力ピークまでに再稼働が間に合うと思われていた九州電力川内原子力発電所1号機について、今月8日付の産経新聞ネット記事によると、"使用前検査で書類の不備や誤記が多数見つかったため"、そして、"すでに実施済みの品質管理の検査のやり直し"を行うため、"夏の再稼働が絶望的な状況"とのことだ。
一昨年7月に九電が川内原発1・2号機の規制基準適合性審査の申請を行ってから約2年が経過した。許認可に関する書類は数万ページにも及んでいる。先の記事では"九電によると、検査に携わる人数は、当初の約200人から約420人に倍増させたものの、計画に追いつかない状態"のようだ。
先月25日付の朝日新聞ネット記事では、"1号機の検査は、九電の準備不足もあって工程が遅れ・・・"などと書かれている。多くのマスコミも再稼働遅れの原因は九州電力の「準備不足」と述べているが、私は全くそう思わない。
この件は、もっと本質的なところに問題があるのだ。
先月27日、ようやく、原子力規制委員会(とその事務局である原子力規制庁)による九州電力川内原子力発電所1・2号機の規制基準適合性審査が終了し、再稼働に向けて、あとは使用前検査を残すのみとなった。
ところが、その前日26日の原子力規制庁記者ブリーフィングで、何とも奇妙な質疑応答があった。以下に、その部分を抜粋転載する。
○記者 ・・・非常に基本的な質問なんですけれども、明日、保安規定が認可されるとすると・・・許認可に係る手続というのは全て終了というふうに考えてよろしいんですか。つまり、使用前検査というのは許認可とはまた違うものと考えて。
○規制庁 許認可ではないですね。
○記者 あれは何になるんですかね。法的にいうと。
○規制庁 法律上も使用前検査、検査ということになると思いますが、新しく設備を作ったとき、あるいは既設の設備でも、工事計画上の機能等が変更になったようなものについては、それを確認するための検査ですね。確認できれば、使用許可ということでその範囲については使っていくことができると。
○記者 そこでいう使用許可というのは、許認可の許可、例えば設置変更も許可と言いますけれども、使用許可というのはまた違うものなんですか。法的に。
○規制庁 使用許可というか、使用することができるということで、検査の結果としては合格証というのが法律上交付されるということになりますが。
(中略)
○記者 今の質問であった検査の部分の合格証という部分なんですけれども、これはいわゆる行政手続の許認可ではなく、あれは設置変更許可だから許可証とかだったという記憶もあるんですけれども、これは合格というので、また行政手続の許認可とは違うという理解でいいんですか。
○規制庁 少なくとも行政行為としての許可や認可というのは、行政法上の定義が ございますよね。許可でありますと、一般的な禁止行為を特定の要件がそろった場合に解除する行政行為というのが許可の定義かと思いますが、厳密にいうとそれらに当たるものではないと。検査が終了したということの証明を出すということですよね。
○記者 分かりました。
以上の質疑応答を読むと、使用前検査は行政行為ではないのか、と疑ってしまう人も少なくないだろう。現在の運用では、原発再稼働のためには、①「原子炉設置変更許可申請」、②「工事計画認可申請」、③「保安規定変更認可申請」の3つに関して「許認可」を受け、その上で、④「使用前検査」に「合格」する必要がある。
これらは、「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」(=原子炉等規制法)に規定されている。そして、原子炉等規制法第43条の3の11には「原子力規制委員会の検査を受け、これに合格した後でなければ、これを使用してはならない」と規定されている。これに違反した場合には、原子炉等規制法第78条に基づく罰則が課せられる。
これらは規制権限の行使に該当するが、それを「行政行為ではない」と記者に説明する規制庁担当者は、本当に法律のことを理解しているのだろうか?マスコミが政治家に対してしばしば仕掛ける"言葉狩り"と同じことをここでするつもりは私には毛頭ない。しかし、行政機関の担当者が、「検査」を「行政行為ではない」と語るのは看過できない。少なくとも「使用前検査」に関する法文が頭に入っていれば「行政行為には当たらない」などという説明にはならないはずだ。
国の審査は全て法律に則って行われるものであり、原子炉等規制法は審査や検査という行政行為の根拠である。上記の質疑応答を見ると、そのような基本中の基本を知らない行政官によって審査や検査が行われ、事業者はそれに振りまわされているのではないかと疑ってしまう。マスコミは規制委・規制庁の説明しか報じず、問題の本質を責めようとしない。
そもそも現在、全ての原発が停止しているのは法に基づく措置ではない。規制委の田中俊一委員長の"私案"が唯一の根拠擬きとなっている。そこには"事業者が施設の運転を再開しようとするまでに規制の基準を満たしているかどうかを判断し、満たしていない場合は、運転の再開の前提条件を満たさないものと判断する"と書かれている。
この"私案"には、何ら法的拘束力はない。それを知っている一般国民は殆どいないだろう。マスコミがその事実を声高に叫ばないからだ。一般国民は、マスコミが報道しなければ気付きようがない。
規制には法的根拠が必須だという法治国家としての基本中の基本が見失われたまま審査や検査が行われている。私は、原発再稼働を徒らに遅らせている主因はそこにあると強く思っている。
当の規制委・規制庁の中にも、そう痛感している職員がいるのではないだろうか・・・?