博愛的な宇宙人の暴走 利己か利他か?という不毛な問い

自分の身のまわりのことよりも、時には遠い他人の利益(利他)を優先する。いやはや理想的です。でも僕たちの生きる現実世界には、こっちとあっちの「境界」が明確に存在しています。
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某元首相の宇宙人宣言が、なんだかちょっと話題になりました。

「日本人よりも地球人、地球人よりも宇宙人。国境は関係ない」とのことですが、つまりこれは、「場合によっては自国よりも他国の利益を優先するよ。だって僕は、世界視点なんだもん!」という感じでしょうか。

■利己か利他か?という不毛な問い

宇宙が一つの国家なら、地球が一つの家族なら、それはなんとも美しい博愛主義かもしれません。自分の身のまわりのことよりも、時には遠い他人の利益(利他)を優先する。いやはや理想的です。でも僕たちの生きる現実世界には、こっちとあっちの「境界」が明確に存在しています。

そのへんのおじさんがカッコつけて言ってるだけならいいんですが、それが一国の元トップとなると、自国にとってはとんでもない暴走、なかなかやっかいな迷惑行為です。僕たち小市民は、地球人にすらなれやしません。

スケールはずいぶんと小さいですが、僕も、色んな研究や社会活動をしていると、しばしば「それは自分のためですか? それとも他人や社会のためですか?」なんていう質問をうけます。

利己か、利他か?

便宜上、「自分のためが6割で、他人や社会のためが4割です(笑)」というような調子で答えていますが、これほどに不毛な問いもないと思います。僕たち小市民が「利他」なんかいきなり追い求めたところで、ただフワフワするだけです。

■「自分の範囲」は拡大する

確かに、世の中には、社員のため、地域のため、国のため...、他人や社会の利益のために働き、素晴らしい成果をあげる人たちがいます。僕はこの立派な人たちは、自己よりも他者、利己よりも利他を追求している、ということではなく、「自分の範囲」を拡大させているのだと思っています。

僕たち人間は「社会的動物」と呼ばれ、他者との関わり合いを通じて、自分というものをつくっていると言われています。つまりここでいう「自分」とは、単に肉体を境界とした生物としての個体ではなく、社会的なコミュニケーションから発生する概念(社会的自己)です。

最初は、生物としての己(おのれ)だけが、自分なのかもしれません。子どもの頃は、本当に自分のことしか考えていませんでした。でもそのうち、家族や親友といった「手の届く範囲」を徐々に自分というスペースに含んでいくようになり、時には、"自分のことのよう"に大切になります。

それで、もっともっと器の大きい、いわゆる「立派な人たち」は、きっと自分の会社の社員たちや、地域住民、稀には自国の民までも自分の範囲の中に含んでいけちゃうのだと思います。決して、自己や利己を犠牲にしている、なんていうことではなくて、自己の範囲とアイデンティティを拡大させているのです。

■自分の立脚点

問題の自称宇宙人さんですが、その範囲が地球規模・宇宙規模にまで拡がった、といえばカッコいいですが、おそらく、自己と他者の「境界」が崩壊・消滅してしまった、という状態なのではないかと思うのです。

そもそも、生まれや育ち、環境の何もかもが、特別すぎます。超一流の名家に生まれ、莫大すぎる資産があり、その上に超高学歴で、ついには国内最高峰の社会的役職までゲットしてしまった。誰にどんなにボロカスに言われようとも、死ぬまでお金には困らないし、「元首相」のタイトルも覆らない。身の安全も、一生SPが守ってくれる。

さて、余生をいかにして生きようか?

この稀有で異常なレベルに到達してはじめて、「利己」なんて度返しにして、純粋に「利他」を追求できてしまえるのだと思います。

でも、その自称宇宙人さんからは、(宇宙人であるがゆえになのか)自分が日本人であり、その国家の元トップであるという「立脚点」もほとんど消滅してしまっています。これが長期的にみて、いや宇宙的にみていいのか悪いのか、正直よくわかりません。少なくとも、我々一国の小市民からすれば、ただの暴走状態です。

■自分という中心からはじめる

何が言いたいかと言うと、少なくとも僕たち一般ピープルは、「利他」や「博愛」などという幻想に惑わされるべきではないと思うのです。まともな人間の神経では、「宇宙人というアイデンティティ」など獲得できません。自分を見失い、フワフワして空回りするだけです。

もちろん、志を持ち、社会的使命に燃えるのは素晴らしいことですが、間違っても、自分を置き去りにしてはいけない。自分という存在の問題をすっかり飛び越えて、他者の利益だけを追求しようなんてしちゃいけない、と思うのです。

自分とちゃんと向き合う、ということは、なかなかエグいことだと思います。エゴや欲、利己的な感情、嫉妬や劣等感...。向き合えば向き合うほど、醜くて嫌になってきます。それでも、自分という存在、その中心からはじめていかないと、何者にもなれず、何らうみ出すこともできないと思うのです。