「できなさそうな事」と「本当にできない事」の違い

できないと思ってやってみたら意外に簡単にできたって経験はありますよね。「できそうな事」と「本当にできる事」は全然違うし、「できなそうな事」は「本当にできない事」ではなかったりします。

調べ物をしていると世の中難しいことだらけだなとつくづく思うわけです。よく解らない数式や公式やら、7秒ぐらいでパソコンを閉じたくなるぐらい難しいです。ただ、個人的には同じぐらい難しいのが「自分自身」に対する理解です。

人間は大人になると、世の中も自分自身の事もよく理解している気になってしまいがちですが、実際は解らないことだらけです。

私はとても疑り深い性格なので、自分の「認識」は本当に正しいのかどうかを試してみたくなって、敢えて自分の考えと違うことをしてみる癖があります。自分の認識と現実がどう関わっているかをできる限り色々と試すことにしています。

なかでも、人間の認識が最もあてにならないと思うのは「できる or できない」の判断です。

できそうな事と本当にできる事

できないと思ってやってみたら意外に簡単にできたって経験はありますよね。「できそうな事」と「本当にできる事」は全然違うし、「できなそうな事」は「本当にできない事」ではなかったりします。

これは、時間の経過と共に人の認識が変わるという点を判断材料に入れるのが難しいのが原因だと思います。

何かを考える時は、その時点での自分の能力だったり知識だったりを判断材料にして、自分がどこまで登れそうかを試算します。「あぁ、あそこまでならいけそうだな」と。

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ただ、取り組んでいるうちにその人の知識だったり能力だったり、様々なパラメータ(変数)はアップデートされていきます。やる前には解らなかった事がわかり、新しい知識が身についたり、また頭をひねって工夫しているうちに新しい能力が身についたりします。

結果として、自分が当初考えていたことよりも多くのことができるようになっていた、というのはよくあります。

逆に言えば、現在の認識で「できそうに見えること」というのは、将来の自分にとっては楽勝でできることの可能性が高く、人生の機会損失をしているとも言えます。もっと高い目標を設定していれば、もっと遠くまで行けたわけですから。

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もし時間の経過と共に自分の認識がアップデートされると仮定すれば、現時点では「できなさそうに思えること」と言うのは本当にできない事ではないです。現在の自分と将来の自分は同じではないという事を考慮に入れた上で、本当の自分の限界点を見極める必要があります。

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むしろできるかできないかを悩むようなことは既に「できる事の射程圏内」に入っていると考えたほうが良い気がします。こう考えると実はできる事ってのはその人が思っているよりもずっと多そうですね。

できなさそうな事と本当にできない事

では逆に「本当にできない事」はどんなことでしょうか。私は「本当にできない事」というのはその人が「想像もできない事」だと思います。考え付きもしないことはやろうとしませんから、これは「できる or できない」の検討すらしません。

例えば、私が中学生の時に「銀行って買収できるのだろうか」とか考えることはまずなかったですし、現在の私が「4次元にワープできるか」を考えることもないです。今みたいに、例え頭の中に一瞬よぎることがあったとしても出来るか出来ないかを検討する前にすぐに思考から消えてしまいます。

こういった現在の自分ができるかできないかを想像すらしない事が、現在の自分の「本当にできない事」だと思います。同様に、将来の自分が本当にできない事というのは将来の自分ができるかできないかも検討すらしない事ということになります。

自分の認識に従ったほうが正しい判断ができる場合もありますが、「できる or できない」のような、行動をおこす時点と結果が分かる時点の時間差があることほど、自分の認識はあてにならなくなると感じています。

こういった人間の認識は放っておくと可能性を最小にする方向に動いていきがちです。定期的に「できそうな事」と「本当にできる事」、「できなさそうな事」と「本当にできない事」の線引を見直していかないとまずいなと思って、自分用にブログにしておきました。

ちなみに、これは金融の人達がよくやる損得計算のリスクシュミレーションとはまったく別の話なので注意が必要です(認識が変わると前提条件が全部変わるため)。

(2014年8月24日「メタップス社長のブログ」より転載)