僕は集団的自衛権について別に自分の意見は持っていません。つまり賛成でも反対でもないということです。
ただ集団的自衛権の是非に関し、みんなが議論を尽くすことは必要だと思っています。その理由は、世界の枠組みが、日本国憲法が出来た当時と今日では、だいぶ変わってしまったからです。
少し前の記事で、第一次大戦がどういう経緯で起こったか? について紹介しました。その記事では、出来事のクロノロジー(順番)を追いかけたのですが、もうひとつ、別の角度から「なぜ戦争が起きてしまった?」ということを考えることが出来ます。
それは当時、ドイツの経済力がどんどん強くなっていて、その台頭が、周辺諸国との軋轢を生み、常に(今に、何か起こるぞ)という漠然とした不安の原因となっていたということです。
下は当時の主要国のGDPを比較したグラフです。
1820年の時点では、フランスと英国の経済規模はほぼ同じで、ドイツはこれらの国々より小さかったです。
ドイツが統一を果たしたのは1871年で、鉄血宰相ビスマルクの貢献によるところが大きいです。それ以前のドイツは雑多な小国が領邦を形成していました。
つまりヨーロッパ大陸のど真ん中あたりにある、いまのドイツがある部分は、昔は細分化した、小さな国々が割拠しており、フランスをはじめとする隣国にとって、さして脅威ではなかったのです。
しかしドイツが統一を果たすと、ドイツの経済成長はフランスやイギリスを凌駕します。
つまり、ヨーロッパに、新しい「ガキ大将」が登場したわけです。
これはフランスなどの周辺国にとっては脅威です。
その一方、ドイツは(フランスが我々の事を怖がっているから、機会があればあいつらは我々を叩くだろう)と警戒していました。
こういうピリピリした緊張関係があったからこそ、オーストリア皇太子がサラエボで暗殺されたとき、あれよあれよと言う間に、物事が良くない方向へ転がり始めたという説明もできるわけです。
翻って今日の日本の置かれている状況を見た場合、第一次大戦前夜のフランスに相通じる、相対的地位の低下を見ています。
日本の国力が周辺諸国より圧倒的に強かった2000年頃までは、安全保障の問題を真剣に考える必要は無かったと言っても過言ではないでしょう。
でも今は違います。
ちょうど第一次大戦前にドイツが被害妄想的と言えるほど、外国のドイツを見る疑惑の目に困惑と反発を感じていたように、今の中国はパワフルな国家に成長したがゆえに、同様の風当たりの強さを感じているわけです。
(文責:広瀬隆雄、Editor in Chief、Market Hack)
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(2014年7月1日「Market Hack」より転載)