映画『わたしの自由について〜SEALDs2015〜』を観て

デモは全国に広がり続けている。それぞれが、様々なルーツを経て国会前にいる。真摯な試行錯誤の果てに、あの場にいる。だからこそ、彼らの言葉には説得力がある。
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「保育士の待遇今すぐ改善!」「子どもの未来に税金使え!」「保育士なめんな!」

3月25日午後8時過ぎ、国会前にそんな声が響き渡った。

この日行われたのは「♯保育士目指してるの私だ」と銘打たれたアクション。自らが保育士を目指している高校生男子・そらさんが呼びかけたデモには、約80人が参加。幼い子どもたちの姿も目立った。

29年間保育士として働く女性などがスピーチし、集まった人々が掲げるプラカードには「保育士の賃金上げろ! ♯応援してるの私だ」「保育士に正当な待遇を!!」などの言葉が躍る。寒風が吹きすさぶ中、老若男女が声を上げたのだった。

その光景を見て、前日に試写会で観た映画を思い出した。

SEALDsの活動を半年間にわたって追ったドキュメンタリー映画『わたしの自由について〜SEALDs2015〜』(監督・西原孝至)だ。

画面に映し出される、戦後70年の熱い熱い夏。安保法案の強行採決が迫る中、雨にずぶ濡れになりながら叫び続ける若者たちの姿と、彼らの発する真っ直ぐな言葉。熱気。体温。汗。涙。怒りと憤りと、共感と喜びと希望と、すべての感情が爆発してぶちまけられたような国会前のエネルギー。

「民主主義ってなんだ?」

「これだ!」

老若男女が、まさにその「民主主義の実践の場」で叫び続けた日々。

映画を観ながら、何度も涙でスクリーンが曇った。憲法前文を、叩き付けるように朗読する男子学生。読み終えると、「これは僕の言葉だ!」「押し付けられたものじゃない!」と叫び、みんなが大きな歓声を上げる。

等身大の言葉で、切々と「理想」を語り続ける女子学生。誠実で、切実な言葉たちが胸を打つ。そして一つひとつの言葉が、「お前はどうなんだ」と私に問いかけてくるようだ。

強行採決から、既に半年が経過した。

連日のように国会前で抗議が繰り広げられていた頃、私は毎日スピーチや取材や、そして「今、目の前で起きていること」を執筆するのに必死で、これらを俯瞰して見ることなどなかった。そして9月に強行採決がなされても、目の前にはすべきこと、やるべきことが山積みで、「次は選挙だ!」という空気の中、「去年の夏はすごかったな」と時々思い返すことはあっても、日々のデモや新しい動きに気をとられて、ゆっくりと思い出すことなんてなかった。

だけど今回、この映画を機に「近い過去」を改めて映像で振り返り、彼らの言葉を浴びて、なんだか本当にびっくりした。

自分が直接目撃し、多くの現場に居合わせたというのに、心から驚いた。原発事故から4年以上、そして戦後70年のこの国で起きていた数々のことに。

2012年、原発の再稼働に反対して毎週金曜日、官邸前に10万人規模の人々が集まった事態を受け、海外メディアは「日本がやっと普通の国になった」なんて報道した。

それほどにデモが起こらなかったこの国で、気がつけば、路上の光景はまったく変わっていた。あらゆる場所でデモが起こり、そして国会前は時限的な「広場」となった。

映画の中で、SEALDs中心メンバーの奥田愛基氏は、以下のようなことを言う。

「これをリアルタイムで見てた中学生とかが大学生になった時に一体どんなことをするか、それが楽しみだ」

言葉は正確ではないが、そういう主旨のことを言う。

その言葉通り、「リアルタイム」で見ていた世代は大学生になるのを待たずにアクションを始める。映画の終盤を飾るのは、高校生たちによるT-nsSOWLのデモ映像だ。雨の中、「安保法制絶対反対」と声を上げる制服姿の高校生たちに胸が熱くなる。

そうして今や、「保育士目指してるの私だ」と高校生が国会前でアクションを開催し、T-nsSOWLをはじめとして、高校生のデモは全国に広がり続けている。ちなみに先月2月に行われたT-nsSOWLのデモに参加したのだが、なんと中学1年生の女の子が参加していたのだからぶったまげた。

「自分から声上げてるってすごい。楽しかったです。また参加したい」

初めてデモに来たという女の子は頬を上気させてそう語り、彼女と一緒に来た中学3年生の女の子も、興奮した様子で言った。

「自分たちから積極的に声上げるのは勇気がいると思うし、すごい尊敬するなって思いました。戦争の危険性があるっていうのはなんとなく知ってたんですけど、いろんな人のスピーチを聞いて、政治に無関心じゃダメだなって思いました」

「声を上げる高校生たち」の姿を、本当に眩しそうに見ていた彼女たちの視線が忘れられない。

みんなが、バトンを渡されているのだと思う。それはこのように、声を上げる少し上の世代への憧れから始まるのかもしれないし、戦争の話を語り継いでくれた祖父母から渡されたバトンかもしれない。また、「平和」をしつこいほどに語ってくれた親世代から渡されたバトンもあるだろう。

メンバーの中には、そのバトンを「キング牧師」の亡くなる直前の演説から渡されたという者もいる。また、3・11により、「原発のある国では子どもを産めない」と切実に感じたという思いから行動に繋がった女子学生もいる。それぞれが、様々なルーツを経て国会前にいる。真摯な試行錯誤の果てに、あの場にいる。だからこそ、彼らの言葉には説得力がある。

その中でも、やはり奥田氏のルーツを巡る話は興味深い。ホームレス支援をしている親を持つ奥田氏が語る、やたらとスケールがデカすぎる父親の話は最高だ。なんだか優しすぎて、涙が出てくる。

3・11後のこの国の脱原発運動を、小熊英二氏は『首相官邸の前で』という映画に記録した。

この映画を作った動機を、小熊氏は以下のように書いている。

「私は、この出来事を記録したいと思った。自分は歴史家であり、社会学者だ。いま自分がやるべきことは何かといえば、これを記録し、後世に残すことだと思った。(中略)

なにより、この映画の主役は、映っている人びとすべてだ。その人びとは、性別も世代も、地位も国籍も、出身地も志向もばらばらだ。そうして人びとが、一つの場につどう姿は、稀有のことであると同時に、力強く、美しいと思った。

そうした奇跡のような瞬間は、一つの国や社会に、めったに訪れるものではない。私は歴史家だから、そのことを知っている。私がやったこと、やろうとしたことは、そのような瞬間を記録したいという、ただそれだけにすぎない」

そうしてあの熱い熱い「2015年安保」も、ひとつの映画に焼き付けられた。

監督の西原氏は、ディレクターズノートで以下のように書いている。

「2015年春、SEALDsの存在を知った。当初は漠然と、一市民として、この運動を記録しておくことに意義があるように思え、デモがある度にカメラを持って現場に行った。しかし、撮影をしていくにつれ、誰かの言葉ではなく、自分の言葉で世界に向き合う彼・彼女らの言葉に心を動かされ、デモ以外の活動も追っていった。

その中で、私自身も『自分にできる事は何か』を問い続け、撮りためた映像を自主制作で映画にすることを決めた。SEALDsは確かに、日本の路上を変えたように、私は思う。『終わったなら、はじめるぞ』『社会など変わらない。けれど、私はここに生きている』

諦めから出発した、数名の若者たちがはじめた社会運動は、21世紀の日本でどのような意味を持つのだろうか」

映画は、5月14日から渋谷アップリンクで公開され、順次全国公開されるという。映画を観て、民主主義について、あの夏について、そして私が求める「自由」について、誰かと語りたくてたまらなくなったのだった。

(2016年3月30日「雨宮処凛がゆく!」より転載)