【シーランド公国】自称「世界最小の独立国家」が、建国55周年を祝う。「時の試練に耐えてきたこの国の一員なのは誇り」

イギリスとの法廷闘争、クーデター、国土の半分が焼失する火災…。数々の荒波を乗り越えてきた自称「世界最小の独立国家」。その激動の歴史を振り返ります。
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国家を自称する「シーランド公国 」は9月2日、「建国」から55周年を迎えた。公式Twitterで「過去55年間に起こったことすべてを振り返ると、時の試練に耐えてきたこの国の一員であることを誇りに思います」と激動の歴史を振り返った。

シーランド公国は、第二次大戦中に建造されたイギリス軍の海上要塞を元軍人らが占拠して生まれた。「国土」の幅は9メートル、長さ23メートルで、テニスコートほどの面積しかない。「世界最小の独立国家」を名乗るが、世界のどの国からも承認されていない。

1966年の独立宣言以降、イギリスとの法廷闘争、クーデター、国土の半分が焼失する火災などの困難に見舞われたが、今もイングランド東部の11キロ沖合に健在だ。この記事では、シーランド公国の知られざる歴史を振り返ってみよう。

■「建国」は、ラジオの海賊放送がきっかけだった

第二次大戦中、ドイツ軍の侵攻を食い止めるため、イギリス軍はドーバー海峡の近くに複数の海上要塞を建設した。これらはマンセル要塞と呼ばれ兵士が常駐していたが、戦後になって無人化していた。

そこに目をつけたのが、「海賊放送」たちだった。1960年代当時、イギリスには民放のラジオ局はなかった。公営放送のBBCではポップミュージックは1日に45分しか流されず、人々の不満がたまっていた。

そこで公海上の船舶から電波を流す、政府非公認のラジオ局が次々と開設された。やがて、マンセル要塞たちも「ラジオ局」として利用されるようになっていた

そんな海賊放送の一つが「ラジオ・エセックス」だった。運営者は、元イギリス陸軍少佐で漁師のロイ・ベーツだった。1965年から、テムズ川河口にあるマンセル要塞「ノック・ジョン・タワー」を占拠して放送開始。しかし、この要塞はイギリスの領海内にあるという政府の訴えを裁判所が認め、ロイ・ベーツは敗訴した

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第二次大戦中の1944年に撮影された「ノック・ジョン・タワー」。ロイ・ベーツ氏が占拠して海賊ラジオ局を開業した最初の「マンセル要塞」
Fred Morley via Getty Images

しかし、彼は諦めなかった。海賊放送を再開するために1966年のクリスマスイブ、今度は領海外にあるマンセル要塞「ラフス・タワー」に上陸して占拠した。サフォーク州の海岸から11キロ離れたところに建設されたこの要塞には、戦時中は150〜300人もの兵隊が駐留していたという。

さらには翌1967年9月2日、自らロイ・ベーツ公と名乗った上で、このラフス・タワーを領土とする「シーランド公国」の建国を宣言した。この日は一緒に上陸した妻ジョアンの誕生日であり、彼女には「プリンセス(公女)」の称号がプレゼントされた

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シーランド公国を建国したロイ・ベーツ(左)と妻のジョアン(1966年撮影)
Evening Standard via Getty Images

イギリスは強制的立ち退きのために裁判に訴えたが、1968年11月25日の判決では、シーランド公国がイギリスの領海外に存在することから、司法の管轄外とされた。

シーランド公国公式サイトによると「どちらかというとこれは(海賊で海軍提督を務めた)フランシス・ドレイク卿の時代に似た空威張りの事件だが、英国の裁判所に管轄権はないというのが私の判断である」と、イギリスの裁判官は判決で述べたという。

シーランド公国ではこの判決が、同国の「事実上の承認」になったとしている。1975年には独自の憲法や国歌を制定している。なお、海賊ラジオ放送は再開しなかった模様だ。

 

■ドイツ人の「首相」によるクーデターが勃発。ヘリコプターで奪還

1978年、ロイ・ベーツ公はカジノの運営を計画し、西ドイツの投資家アレクサンダー・アッヘンバッハを首相に任命した。7000万ドルのホテルとギャンブルの複合施設を建設しようという壮大な計画だった

ところが、アッヘンバッハは利益を独占するためにクーデターを画策。仲間たちとともに、モーターボートやヘリコプターでシーランドを急襲した。ロイ・ベーツ公を国外追放、息子のマイケル・ベーツ公子(現在の公)を人質に取った。マイケル公は当時の様子を「4日間、食糧も水もない状態で私を閉じ込めた。彼らはテロリストだった」と振り返っている

イギリスへと渡ったロイ・ベーツ公は、元軍人のツテを生かして約20人の同志を募ってヘリコプターを使った奪還作戦を実行。シーランド公国を取り戻したという。

彼は戦争捕虜としてアッヘンバッハらを拘束した。ドイツ政府はシーランド公国に直接外交官を送った結果、囚人は解放された。この外交交渉についてロイ・ベーツ公は「ドイツがシーランド公国を、事実上承認した」と主張したという。 

■2000年代にはデータ・ヘイブンとして活動

建国から30年が経過した2000年代。インターネット時代になって、シーランド公国は、にわかに注目を集めることになる。同国にサーバーを置くことで、国家による検閲を受けない「データ・ヘイブン」として利用しようというのだ。

アメリカ人のライアン・ラッキーがシーランド公国に移住してサーバーを設置。 政府と共同で、ヘイブンコー社を2000年に設立した。

同社は、児童ポルノ、スパム、悪意を持ったハッキング目的でのサーバーの使用は禁止していたが、その他のあらゆるコンテンツを許容すると告知した。シーランド公国は世界貿易機関(WTO) などに加盟していないため、国際的な知的財産法は適用されないと主張していた

アンチウイルスソフト「ノートン」の取材によると、コンテンツのホスティングの件で議論となり、ラッキーとシーランド政府は衝突して物別れになった。2008年にヘイブンコー社は業務を終了した。

その後、ラッキーはセキュリティ企業に転職したが、ここも論争の的になった。この企業が、イスラム過激派「IS」のサイトをホストして保護しているとして、ハッカー集団「アノニマス」から非難されているという。

■2006年には「国土」の半分が焼失

ヘイブンコー社と訣別する2年前、シーランド公国では国土の半分が焼失する火災が起きていた。

2006年6月23日、老朽化した発電機から火災が発生し公国が半焼。ロイ・ベーツはこのとき国外に住んでいたため無事だったが、国土は壊滅状態に陥った。2日後にはベーツ夫妻が国土に戻り、私財を投じて国土の再整備をした。7月末には発電機や焼失した配線系統の復旧が完了し、公国が存続することができたという。

資金不足に陥ったシーランド公国は2007年1月、6500万ポンド(当時のレートで約148億円)で国全体を売りに出したと報じられた。なお、あくまでも国家の主権は「売り物」ではないため、シーランド公国側では売却ではなく、譲渡という表現が用いられた。

これを受けて、BitTorrentの検索サイトを運営するスウェーデンの「パイレート・ベイ」が買収に名乗りを上げたが、シーランド公国側に拒絶され断念したという。

■「ジョークではなく、100%真剣です」と2代目シーランド公

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シーランド公国の現在の姿(2021年9月撮影)
BEN STANSALL via Getty Images

シーランド公国はネット通販も手がけており、人気商品は同国の貴族の称号だ。「卿」は30ポンド(約5000円)、「伯爵」は200ポンド(約3万2000円)、「公爵」は500ポンド(約8万円)で販売している

 

2006年11月にフジテレビ系のバラエティ番組「ザ・ベストハウス123」でも取り上げられた際には、西川きよしさんが爵位を購入し、「西川卿」になっている

このように注目を集めていたシーランド公国だが、創始者のロイ・ベーツ公は、2012年10月9日に91歳で死去した。同日、「摂政」を務めていたマイケル・ベーツ公太子が父の後を継ぎ、2代目シーランド公に即位した。

普段は沿岸のエセックスで漁業を営んでいるマイケル公。彼は2016年、NBCニュースのインタビューで次のように話した。

「世界最小の独立国家です。過去50年間、イギリスからの完全独立と自由を得ています。ジョークということは全然なく、100%真剣です」

 

【参考文献】

・吉田一郎「国マニア―世界の珍国、奇妙な地域へ! 」(交通新聞社)

・武田知弘「ワケありな国境―教科書には載っていない! 」(彩図社)