子供たちは、8月の終わりに学校へ戻りました。そのとき、わずかな時間がありました。私以外は誰も気づかなかったけれど。バス停で、子供たちは、席に座ろうと次々とバスに乗り込み、息子と娘は、一番最後に乗りました。
「おーい!」と夫が声をかけ、iPhoneで写真を撮ろうとしました。子供たちはふり返り、娘は不安そうな笑みを浮かべていました。写真を見れば、娘がカメラではなく、私を見ているのが分かります。夫は写真を撮り、娘は向き直り、行ってしまいました。
他の父兄と同じように、私も夫と家路に着いた。本当は、お腹をおさえて地面にくずれ落ちて、ヒステリックに泣き叫びたかったけれど......私は黙って歩き続けました。まるで人生の終わりまで早送りしてしまったように感じていたことは、夫にはいえませんでした。
その日、私を驚かせたのは、娘の表情ではありません。そういう表情は見たことがありましたから。頭から離れなかったのは、人生であと何回同じような表情を見ることになるんだろう......ということです。娘の「離れたくないけど、不安だけど、もう行かないといけない」という表情。
娘が大学に進学して家を離れるときも、あの顔を見るでしょう。娘には素晴らしい旅をしてほしいと願っています。社交クラブの男友だちよりも多くの友だちに囲まれて、アルコールよりも個人的な成長や自己発見の旅をしてほしい。
娘がバスに入っていく様子を見て、いつか彼女が向き合う男性が――彼女を本当に理解し愛する――父親のような男性だったらいいなと願います。その彼は、もし娘を傷つけたら、私がいとわず(彼を)殺すことを知るでしょう。
もし娘が、自分の子供を持つことになったら、自分の知恵を頼り、私のように常に疑い深かったり批判的であったりしないことを願うでしょう。また、私が老いてしわが多くなったとき、彼女の目には恐怖が浮かぶでしょう。かつて私が、母親の影を感じたように。
そして、娘に覚えていてほしいと願います。
覚えていて欲しい。娘のお気に入りの本を、全文を暗記するほど読んだこと。叫びたくなるほど、バービー人形で遊んだこと。1年中、子猫や子犬、リリー人形に名前を付けたこと。おしゃれなアクセサリーみたいに、絆創膏を貼ってあげたこと。不安になる彼女に、バレーのレッスンに通わせ、発表会に参加させたこと。
どんなふうに、娘に、ただ可愛いだけじゃなくて、優しくて知性があると伝えたでしょう。娘がどう感じ何を必要としているかを、どれほど私が理解していたでしょう。彼女を抱いたり追いかけたりする、私の足がどれほど強かったでしょう。どうやって散らかった部屋で、娘の気持ちを完璧に予測したでしょう。他の母親より、どれだけジャンプし、叫び、大きな声で歌うことができたでしょう。
娘は、私をどれだけ美しいと思っているでしょう。娘は、私たちとずっと一緒に暮したいと思うでしょうか。
私と夫がどうやって、お互いを尊敬し合いながら、抱き合い、キスをし、台所で踊ったか。娘が、どうやって夜泣きしたか。他の祖父母のように私たちが死ぬことを心配したのか――。ずっと長い間、こういったことを彼女に話してきませんでした。
娘が覚えていてくれることを願います。それだけです。
今日、娘がバスに乗ったとき、遠い昔の日々を思い出したんです。もし人生が望み通りになるなら、大好きな、じっと見つめて夜も眠れないほど、心身ともに美しい、この女性を見つめていたい。今日の「離れたくない、不安だけど、もう行かないといけない」という、あなたの気持ちとともにありたい。
その日まで、忘れないことを祈ります。私の願いは、それだけなんです。
このブログはハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。