今、世界のあちこちで、これまでの社会科学では明らかに捉えられない動き、見えない人々の感情が溢れている。
例えば、「なぜポピュリズムを支持する層が世界各国で広がっているのか?」という問い。
これは、これまでの社会科学のアプローチでは、明確な答えを出すことができないものだ。
このような背景からだろう、ここ数年、社会科学の領域では「分析ツールの見直し」の動きが広がっている。
どうすれば、もう一度、社会を捉えることができるのか。
本稿では、ブレグジットに揺れたイギリス、トランプ政権を現在進行形で経験するアメリカにおける興味深い研究を紹介したい。
キーワードは「階級」。いずれも日本の未来像を示唆するものだ。
日本はイギリスの10年後ろを追っている?
2019年夏にイギリスで生活するライター、ブレイディみかこのインタビューをしたときことだ。彼女ははっきりとした口調でこんなことを言っていた。
《日本は良くも悪くもイギリスを追っていると私は思っています。日本もイギリスと同じような階級問題が起きているのではないかな。
だからこそ、今、書かないといけないと思っています。日本では虐待のニュースが大きく報じられますよね。これはイギリスも同じで、10年くらい前に大きく報じられました。
ところが、虐待に関する報道があるときから少なくなったんですね。それは虐待が減ったからではなく、ありふれてしまいニュースバリューを失ったからです。背景には格差があって、虐待と貧困は関連しています。このままでは、日本はそうなっていくと思いますよ。》
ホワイトカラーVSブルーカラー、はもう古い。
古くて新しい、階級という問題がまた蘇りつつある。社会学者のマイケル・サヴィジによる『7つの階級 英国階級調査報告』(東洋経済、2019年)は、従来の階級分類に異議を唱える。
彼によれば、ホワイトカラー/ブルーカラー、中流/労働者という分類はすでに過去のものになっている。
サヴィジは社会調査に基づいて階級を「エリート」「確立した中流」「技術系中流」「新富裕労働者」「伝統的労働者」「新興サービス労働者」「プレカリアート(不安定な雇用を強いられた人々)」の7つに分類する。ここでのポイントは、単純に金持ちかどうかで階級を決めていないということだ。
彼は社会学者らしく、資本を単純な所得の過多だけでは捉えない。お金や不動産は経済資本、美術館やコンサート(クラシックだけでなくロックなども含む)に行くといった文化資本、いろんな人とつながりを示す社会関係資本を調べている。
新しいエリート、中間層、下層はどんな人?
まず私が注目したのは、イギリスの人口の6%を占める「新しいエリート層」の意識だ。
彼らは多くの所得を持っているが、同等に上質な文化に接する機会も多く、かつエリート同士の「弱いつながり」を持っている。
「弱いつながり」とは、社会学者のマーク・グラノヴェッターの用語で、私たちの人生に強い影響を与えているのは、家族や友人など身近な人よりも実際はほとんど通りすがりのようなー例えば、名刺を交換したことがあるくらいーの弱いつながりを持つ人々だ、というのが彼の主張だ。
「エリート」と呼ばれたくないエリート
サヴィジの調査で興味深いのは、彼らが自分を「エリート」と呼ばれることについて一様に居心地の悪さを感じていることだった。
「私は自分を上流階級だと思っていない。スノッブの一員になることだし、スノッブは最低だ」
「自分の生まれを忘れたことはない。自分が優れているなんて思わない」
「もっと裕福な人たちなんて知り合いにいくらでもいる。私は裕福じゃない」
彼らへのインタビューを読むと、こうした言葉で溢れかえっている。
また特徴的な点として、現代のエリート=普通の富裕層は、伝統的な貴族や上流階級と違って多様性にあふれている。ビジネス、法律、研究職、メディア……。エリートはエリート同士で結びつき、競争しあい、上を目指す。
共通項は首都圏に集中しており、名家のように莫大な資産を受け継ぐのではなく、自力で築いた財産が多いと推測でき、かつ特別な学歴を持ち、様々な文化資本に触れていて、多くは収入を得ている自分たちの「努力」を肯定するといった点だ。
「下層」は”見えない存在”に。「中間層」は曖昧に。
逆に一番、下層に位置するプレカリアート(不安定な雇用を強いられた人々)はエリートとの接点を持つこともなければ、美術館に行くこともない。格差は広がり続け、下層にいる人々は社会、そして社会に大きな影響を与えるエリートから見えない存在になっていく。
では、中間層はどうか。「確立した中流階級」と「伝統的労働者階級」はどちらも経済資本、文化資本、社会関係資本をまんべんなく所有しているが、エリートほどではない。
「中間層」に関する特筆すべき点として、旧来型の「労働者階級」や、まとまった「中流」がなくなっており、定義すら困難になっている現実がある。
そうなってきた時に、「労働者のための政策」とは一体何をさすのだろうかという次の問いが生まれる。
「没落する中流」とは一体何を意味するのか。旧来の認識では捉えられない階級がいま、生まれている。
政党はかつての支持基盤を見失い、政治との接点を失った人々は社会的な剥奪感を覚え、より極端な政治行動に走っていくのではないかーー。
努力すれば報われるという「物語」の消滅。日本はどうなる?
気鋭の政治学者であるジャスティン・ゲストはイーストロンドンとアメリカ・オハイオ州ヤングスタウンでの白人労働者たちへのインタビューを元に、「新たなマイノリティ」という概念を提示する。(『新たなマイノリティの誕生』弘文堂、2019年)
それはトランプ大統領を誕生させ、イギリスではEU離脱を実現させた「白人労働者」たちだ。
アメリカにおいて、白人の労働者は人数の上ではマジョリティであるかもしれない。しかし、仔細に観察すれば、個々に自分の人生がうまくいっていないように感じていて、努力すれば報われるという「物語」は社会から喪失していて、自分のせいではないから「敵」を見つけていくーー。
彼らの憤りは、ポピュリズムと密接にリンクし、世界を席巻する。
さて、日本ではどうだろうか。新しいエリート、プレカリアート、一括りにできない中間層はすでに誕生してはいないだろうか。ポピュリズムの風は、イギリスやアメリカと比べるとまだまだ弱いが、このまま強まらないという保証はどこにもない。
新たな階級分析が必要な時代が入っている。