混迷極まるアフガニスタン、なぜ再びタリバンの手に落ちようとしているのか

アフガニスタンの反政府武装勢力タリバンが、北部の都市クンドゥズの支配を巡り、アメリカ軍やアフガン軍と戦闘を続けている。この混乱は、どうして起こったのか、識者に聞いた。
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KUNDUZ, AFGHANISTAN -OCTOBER 03: Doctors Without Borders (MSF) staff are seen after a US airstrike on MSF hospital in Kunduz, Afghanistan on October 03, 2015. An Afghan health official has said a U.S. air strike early Saturday morning in the northern city of Kunduz has killed 9 people and wounded 37 people, including 19 MSF staff. (Photo by MSF/Pool/Anadolu Agency/Getty Images)
Anadolu Agency via Getty Images

アフガニスタンの反政府武装勢力タリバンが先週、同国の奪還を目的に、北部の都市クンドゥズから行動を開始した。その後、アメリカとアフガニスタンの両政府は、クンドゥズ奪還のための戦闘を続けている。この戦いのなか、国際医療NGO「国境なき医師団」(MSF)が運営する病院が3日にアメリカ軍から爆撃を受け、医療スタッフの少なくとも12人と患者7人が亡くなった。

タリバンは、アフガニスタンの情報部が病院の位置情報を故意にアメリカに渡したと、非難声明を出した。この疑惑が真実である可能性が存在することでさえ、アフガニスタンがタリバンの支配下に戻ろうとしている理由を示している。また、攻撃が続いている期間の長さからも、通常とは異なることが起こっていると示唆されている。その理由とは、アフガニスタン政府が完全に腐敗しており、アメリカがこの状況への対策を講じるのを渋っていることだ。民間や軍部の数少ない指導者たちが、政治腐敗が国への脅威となっていることを指摘していたが、問題は解決されないままだ。

今日の午前2時08分から3時15分までの間、私たちの病院は、15分置きに空爆を受けました

元NPR(アメリカのナショナル・パブリック・ラジオ)記者のサラ・チェイズ氏は、アフガニスタンへの旧ソ連の侵攻を報道した後も、アフガニスタンに留まり、事態好転を支えることに決めた。彼女は南部カンダハルで起業し、アフガン戦争が始まった2001年以降も、護衛もなしに、他のアメリカ人の誰よりも長い期間、アフガニスタンの人々と直接触れ合う生活を送っていた。チェイズ氏は、ついには多国籍軍への働きかけに赴き、自身が得た基本的な見解、つまり政治腐敗によって政府の公的支援が機能しなくなっていることを伝えた。チェイズ氏の忠告は良識あるあらゆる人々に届き、中には心を入れ替える者もいたが、結局、アメリカ政府からは全面的には聞き入れられることはなかった。

チェイズ氏は自身の経験を、革新的な著書となった「Thieves of State」(国家の泥棒)に綴った。この本で、腐敗した政府は反対分子の標的になり続け、それにより反対分子が公的支援を得ることになると予言している。1年前に第2の都市モスルなどでイラク軍に起こった事態と同様、クンドゥズのアフガニスタン軍と警察は簡単に瓦解した。

地域住民からの支援、もしくは少なくとも反対行動が欠けていることこそが、タリバン成功のカギとなっている。数年の間にタリバンは徐々にクンドゥズへと忍び寄り、最終的に戦闘員を郊外に潜り込ませた。そして1日もかからないうちに、タリバンはこの都市を乗っ取った。

地元報道から、アフガニスタン政府が政治腐敗の結果としてそこの住民を失ったことは明らかだ。どのようにして公的支援が機能しなくなったかは直感で分かる。ここで、あなたがタリバンの過激主義に原則的に反対するアフガニスタンの一般市民であると想像してみてほしい。しかし、あなたは仕事の行き帰りや商品の輸送、学校への入学、企業の創設など、生活の上で必要なほとんどのあらゆることについて、主に異なる民族の人間から金銭を巻き上げられている。すると、タリバンはその敬虔さから、少なくとも腐敗はしていないようだとあなたは考え始めるだろう。ニューヨーク・タイムズは先週、次のように報じた

政府、そして政府と同盟関係にある軍閥に対する信頼は決して強いものではなかったが、ここ数年の間にさらに急速に弱まっている。アメリカ軍によって任用された民兵とアフガン地域警察の部隊は、その大部分が職責を全うしていなかった。農民から賄賂を強要し、強姦や強盗を犯していた。しかし、これらの部隊は銃を所持し、また政府と近い関係にある地域の有力者の支援があったため、人々の不満の声は無視されていた。

例えば、クンドゥズ市の南東地区のハナバードで、地域の民兵の一部がタリバンよりも劣悪だと住民たちが不満を訴えた。タリバンは収穫のときに1度しか支払いを要求しなかったが、民兵は複数の部隊がそれぞれ自らの分を要求することが多かったのだ。

時が経つにつれ、村の人々はタリバンと協力関係を結んでいき、クンドゥズ周辺の反対分子の戦力は強固になっていった。昨年時点でクンドゥズは包囲下にあると強く感じ取れるようになっていたため、警察官たちはタリバンの戦闘員が電磁波爆弾積んだバイクに乗って襲いかかってくることを恐れ、目立つ政府車両を運転することに抵抗していた。

チェイズ氏はそれからアメリカに戻り、国際平和カーネギー基金の「民主主義と法の支配プログラム」のシニアアソシエイトとして働いている。私はクンドゥズとアフガニスタンの将来について、チェイズ氏にいくつか質問をした。チェイズ氏は、今回のように壊滅的な政治的な影響を伴い、多国籍軍がクンドゥズの多くの一般市民を誤って死なせたのはこれが初めてではないと言及した。

政治腐敗と、クンドゥズと周辺地域の陥落との間のつながりについて、どう見ますか?

過激派組織IS(イスラム国)がイラクの大部分を占領したのと同様、クンドゥズと周辺地域でのタリバンの成功は、政治腐敗と職権濫用の結果としてほぼ避けられないものでした。これは最近だけの現象ではありません。2009年春、私がクンドゥズを初めて間近で見たとき、知事は土地の横領で有名でした。アフガニスタンのような乾燥した場所では、高度な農業や果実栽培などにほぼ完全に依存しており、土地は信じられないほど貴重です。誰かの土地を奪うことは、殺人よりも悪いことなのです。ドイツ軍がクンドゥズ州を担当していて、その情報部長の評価は「知事の周辺の人物全員が汚職を行っている」というものでした。これは6年半前のことであり、その間も何も変わっていません。何年もの間の不満が積み重なり、現状を打破する手段が失われた状態が続いたことから、人々は過激な道へと駆り立てられました。この現象は最近のアメリカでも見られます。アフガニスタンで、たとえ形が異なっても、それを見て驚くことはないはずです。

政治腐敗が人々の怒りの原因となり、そのために一部の人々がタリバンに加わったり、あるいは少なくともタリバンの活動に干渉しないようにしたりしていますが、それだけではありません。政府の役人とタリバンとの間で、軍需品や物資をタリバンに売り渡したり、裁判官の不正によってタリバンを刑務所から釈放したりするといった数年にわたる共謀の証拠も存在しているのです。

地方行政を是正しようとするアシュラフ・ガニ大統領のここ最近の取り組みは、かなり急速で警備を強化することを重視しすぎていていたため、人々の正当な不満やコミュニティーの合意形成に対して十分ではなく、損害の修復には至りませんでした。

政治腐敗がなかったなら、タリバンが戻ってくることはあり得たでしょうか?

なかったでしょう。タリバンも魔法が使えるわけではありません。クンドゥズの住民同様、タリバンもアフガニスタン人なのです。クンドゥズの人々が自国政府に誇りを持っていたら、タリバンは今も外に追い出されたままだったでしょう。

しかし、事態をさらに悪化させている要因が4つあります。

1つ目は、アフガン地域警察の新規構想です。これは恐らく、イラクをモデルにして生み出された、アメリカの軍大将だったデビッド・ペトレイアス氏の案でした。2009年にアフガニスタンで初めて実施され、数年後にクンドゥズで実施されたこの案は、地域民兵に短期間の訓練を施し、タリバンとの戦闘のために立ち上がらせるためのものでした。その意図は、アメリカの特殊部隊が民兵と協力すること、そして地域の長老に民兵を監督させ、近隣住民に対する略奪を起こしにくい環境を作ることにありました。

私は最初からこの構想に反対の立場で、ISAF(国際治安支援部隊)の司令官のもとで働いていたとき、強く反対の主張をしました。練度と統制が未熟な警察や治安部隊に対する解決策が、どうしてよりいっそう練度も統制も不足する地域民兵になるのか、私には理解できませんでした。案の定、ALP(アフガン地域警察)の部隊はすぐに、人々から金銭を巻き上げたり、人権侵害を犯したりするなど、近隣の住民を苦しめることになりました。ALPが忠義を示していたのは地域有力者に対してであり、村の長老に対してではありませんでした。ALPのせいで、ただ無秩序で暴力的な環境が生み出されました。そもそも1994年にタリバンが台頭したのはこのような環境のためです。その上、ALPという部隊が正式に存在するという事実は、各地域の軍閥にとって、ALPという名称の私設民兵を立ち上げる大義名分となってしまいました。

2つ目は、国民が民族ごとに分かれてしまっていることです。このような状況は、クンドゥズでは特に問題となっていました。なぜなら、アフガニスタン全体の中の一種の縮図として、クンドゥズ州は民族ごとの境界線による深刻な隔たりがあるからです。つまり、知事が何らかの汚職を行った場合、他方の民族グループに所属する被害者には二重の苦痛となるのです。どうしてかと言うと、被害者の所属するコミュニティ全体が侮辱されたものと見なされるからです。ALPについても同様で、ALP部隊はパシュトゥン人以外の民族で構成される傾向にありました。タリバンは大部分がパシュトゥン人なのです。そのため、地域のパシュトゥン人は、タリバンこそがこのような民兵の悪行から自分たちを守ってくれる唯一の存在だと認識し始めたのです。

国際平和カーネギー基金で私たちが他の国々で行っている調査で、民族間の深刻な亀裂はさらなるリスク要因となることが分かっています。このような亀裂に政治腐敗という要因が組み合わさると、安全保障危機はより現実味を増します。シリアやイラク、ウクライナがこの仮説を裏付けています。

3つ目は、国家レベルの無秩序状態です。アメリカは、2人の最有力候補が両陣営とも数千票の捏造を行うという完全な失敗となった昨年の大統領選挙に対する解決策として、自分だけの判断である決定を下しました。それは、両者による「挙国一致」政府として共同で政治を行わせるというものでした。しかし、このような政府は国の代表でもなければ全体が一体化してもいません。アフガニスタンには大統領と「行政長官」が存在することになりましたが、後者の地位は、アメリカが執筆を手伝い宣誓されたアフガニスタン憲法には存在しません。この結果、行政は完全にマヒしています。選挙から1年経った今でも国防相が存在しません。国防省の運営が「見せかけ」の状態のまま、正常に機能する軍隊など想像できますか?

4つ目は、タリバンの内部侵入の歴史です。タリバンは無作為にクンドゥズを選んだわけではありません。クンドゥズは、2001年のタリバンの北部での最後の砦でした。数百人のパキスタン兵がそこで捕虜となったタリバンの中にいて、その後、パキスタンへの空路での帰還が許されました。

現状のままなら、タリバンによる占領は続くのでしょうか?

そうならない理由がないと思います。

物事にはパターンがあり、繰り返されたとしても私は驚きません。私が住んでいた南部では、タリバンの派手な攻撃や、重要地域の占領の一方、政府やISAFによる奪還が続くという流れがよく起こっていました。しかしよく見ると、タリバンは実際には「戦略的撤退」をしていたことが見て取れました。つまり、タリバンは反撃に直面して姿を消していったのです。これは夏か秋によく起こっていました。冬になるとその地域に徐々に戻ってきて、人々への脅迫や暗殺を始め、内部へと再び進んでいました。そうして翌年には、地域全体を実質的に支配したのです。最初の攻撃では占領は一時的なものでしたが、再び奪取したときはほとんど気付かれずに成功しました。最初の派手な軍事襲撃の本当の狙いは、地域の住民にメッセージを送ることでした。それは心理戦だったのです。

これは予測して防ぐことはできたのでしょうか?

私は、ISAFの司令部と共にクンドゥズに初めて赴いたときの自分のメモを見ただけです。このとき、クンドゥズは治安に深刻な問題がある地域として浮上していました。2009年5月17日のことでした。

しかし、アメリカ政府は2011年にある決定を下しました。アフガニスタンの統治問題を優先させないというものでした。また、タリバンと、タリバンの強硬派ハッカニ・ネットワークの?

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