私の本当の名前は鈴木綾ではない。
かっこいいペンネームを考えようと思ったけど、ごく普通のありふれた名前にした。
22歳の上京、シェアハウス暮らし、彼氏との関係、働く女性の話。この連載で紹介する話はすべて実話にもとづいている。
個人が特定されるのを避けるため、小説として書いた。
もしかしたら、あなたも同じような経験を目の当たりにしたかもしれない。
ありふれた女性の、ちょっと変わった人生経験を書いてみた。
◇◇◇
東京に引っ越して初めてできた「サラリーマン友達」はメーカーでエンジニアとして勤めてた勇之助君だった。
最初はシェアハウス仲間の友達の友達のパーティーで知り合った。テレフォンオペレーターとして働いていたシェアハウス仲間はだれもボーナスをもらってなかったので、ボーナスがもらえる唯一のサラリーマン仲間、っていうのが仲良くなるきっかけだった。
勇之助君はとても穏やかな人。熊本出身の彼は私以外にあまり友達がいなさそうで、一所懸命働いたあと週末を一人で散歩したりテレビを見たり狭いキッチンでポークキムチを作ったりしてゆっくり過ごしていた。 それでも彼は静かに燃えていた。27歳で既に3回も転職してた。しかも毎回年収アップしてた。いつも口数の少ない勇之助君だけど、常に次のキャリアステップを図ってた。
「次は外資系かな」と彼が一回だけ自分の戦略を明かした。
勇之助君は会社が湯島の近くだったので、仕事帰りによく神田か新御茶ノ水の汚い飲み屋で二人で飲んでいた。
勇之助君は神田の居酒屋の長いポニーテールをしていたおねえちゃんのことが好きだった。彼女を観察するためにお店の常連になったけど、勇之助君はシャイ過ぎて食べ物を注文する以外一度も彼女に声をかける勇気がなかった。
帰るとき、「今日のポニーテールかわいかったな」といい感じに酔っ払った勇之助君が呟いて幸せそうに黒いカバンを振った。
ある日ポニーテールに会いに行ったら店がつぶれていた。
他のお店で探して、チラシを配ってる客引きのお姉さんたちにも聞いてみたけど、ポニーテールの場所はわからなかった。
うまくキャリアの機会を掴んでた勇之助君だけど 、恋愛に関してはチャンスをつかめない根っからの草食系男子だった。
そのギャップがすごく良かった。
季節が巡り、冬のボーナスが出た。二人とも忙しくてなかなか会えなかったけどクリスマスに遅いボーナス祝い兼忘年会をすることに決めた。
彼氏とはホテルでいつも通りのクリスマスイブを過ごしたけど、その前に赤坂見附の事件とかあって、私はいまいち街のイルミネーションに感動しなかったし、山下達郎の「クリスマスイブ」にドキドキできなかった。 勇之助君は勇之助君で、ポニーテールがいなくなってからあまり気分が晴れなかった。
「元気を出すためにちょっと贅沢な忘年会にしようよ」と私が提案した。
わかった、と言って、彼が店を選んでくれることになった。
クリスマスの夜、期待しながら、勇之助君が選んでくれた淡路町の「良心的なお店」に向かった。
が、そこは今まで行った居酒屋で一番やばかった。 贅沢のアンチテーゼだった。
チャーハンに謎の肉が入っていた。ポークキムチじゃなくて、スパムキムチだった 。
焼酎は除光液の匂いがして飲んだら肝臓がびくびくした。値段だけが「良心的」だった。
「口コミが良かったから選んだけど...」と顔が赤くなってた勇之助君は言った。
せっかくボーナスもらって美味しいものに使おうと思ってたのに、どうすんだよ、と思わずため息が出た。
ふと周りを見回した。
隣のリーマンがもうネクタイを頭に巻いて、冬のボーナスの話を大声でしてた。
「ボーナスまだまだ余ってるよ~」
「新しいiPhone買うかな。」
その日だけ、世界はサラリーマンのものだった。
彼らと比べると勇之助君と私は変な組み合わせ。同業じゃないし、付き合ってもない。
でも、その日は私の中にあった不安が少し溶けて身体があたたかくなった。
今年も色々あったけど、この居酒屋でそれらをそばに置いて一晩忘れられる。一緒にボーナスを祝ってくれる人がいる。友達もたくさんいる。彼氏もいる。スパムキムチは美味しくないけど笑える。なんて贅沢な人生。なんて贅沢なクリスマス。
ビールをちょっと飲んで勇之助君に聞いた。
「ねえ、サラリーマンにとって最高の贅沢ってなんだと思う?」
勇之助君は一瞬考えて、真面目な顔で答えた。
「定期券を買ってもわざと使わないこと」
二人で爆笑しながら乾杯した。
普段は丸ノ内線で新宿経由で帰ったけど、その日は定期券を使わず渋谷から井の頭線に乗って下北駅から笹塚のシェアハウスまで歩いて帰った。
最高に贅沢だった。
皆様、メリークリスマス!