桜もほころび始め、モノクロームだった街並みに日一日と春の彩が添えられてゆく頃となりました。卒業式のシーズンも終わり、私たち「作新学院」にとって大きな節目であります、創立130周年という一年が幕を閉じようとしています。
130年という年月、なぜ「作新」は命を繋ぐことができたのか―その理由をつらつら考えている時、一冊の本に出会いました。
『百年続く企業の条件~老舗は変化を恐れない』(朝日新書)。自らも109年続いている帝国データバンクの史料館・産業調査部が、1912(明治45)年までに創業した企業の中から4000社を無作為抽出しアンケートを実施。回答のあった814社のデータを編集したものです。
同書によると、元気な老舗企業には次のことが言えるそうです。
1. ひたすら真面目に、愚直に毎日の仕事を続けてきたということ。
2. 自社の発展だけでなく、顧客や社会の発展も望む気風が培われていること。
3. 時代の変化を恐れないこと。
一読して、まさに我が意を得たり!と拳を握りしめました。
100年を超える歴史と伝統という襷を受け継ぐことは、正直、しんどいものです。ましてや、一般のサラリーマン家庭に育ち、文学部を卒業後、経営の専門知識やスキルなど学ぶ機会もなく、40歳を目前にしていきなり夫の家業である学院経営に参画することとなった我が身にとって、すべては未知の世界でした。
何もかもが手探り足探り、滑って転んでの連続で、越えても越えても立ちはだかる厚く高い壁に、何度も立ち尽くし天を仰ぎました。
試練を越えようとするたび迫られたもの。それは「変えるべきもの」と、「変えてはならないもの」の見極めでした。
それは同時に、「作新」という存在の本質を探究することとイコールで、その存在理由、その社会的使命とは何かを考え抜くことでもありました。
財政の健全化と教育の理想追究の狭間で引き裂かれるのが、学院経営者の宿命です。成績の良い、手間のかからない生徒ばかりを入学させ、経営効率のすぐれない部や科は淘汰してしまえば、経営は安定し対外的評価も高まるでしょう。
しかしそれで、本当に本学の使命を果たしたと言えるのか―作新には、創立者 船田兵吾とその息子 船田中(なか)との間で交わされた、次のようなやりとりが伝承されています。
ある日、幼い中は兵吾に問います。
「なぜ作新は、学問のできる、生活の豊かな子どもたちだけを集めないのですか。そうすれば、学校の経営はもっと容易いでしょうに。」
兵吾は答えます。
「成績の良い子たちだけを集めるなどは、官立の学校に任せておけばよい。学ぼうとする意志のある者はすべて受け入れ、教育の機会を与える事。それが作新の使命なのだ。」
幼稚園から大学まですべての年齢の子どもたちが集い、普通科だけでなく商業・工業・美術デザイン科を擁し、東大・京大をはじめとした難関大学に進学する子もいれば、オリンピック・メダリストになる子もいる、本学の「多様性」の豊かさ。
それこそが「作新」の本質であり、存在理由なのだと思います。
この世の中は決して、成績優秀者やトップランナーだけで構成されているわけではありません。むしろ「分厚い中間層」と言われる、一定の良識と技術と公共心を持った、ごく普通の人々によって安定が保たれています。
善良で賢く強靭な一般市民を育て上げることは、一国を率い世界と競合できるエリートを育成することと同じくらい価値があることを、明治維新という激動の時代を生きた船田兵吾は見抜いていたのだと思います。
時代は変わり、現代は未曽有の少子高齢化社会。学校経営は構造的不況業種の筆頭であり、困難や試練は尽きることがありません。
そんな中、ギリギリまで追い詰められ矢折れ刀つきかけた時、人はその運命を天に託すものだということも知りました。
「もし作新が世の中から本当に必要とされる存在であるならば、天が必ず助け給うはず」と。
不思議なことに、極限まで追い込まれるそのたびに、天の啓示の如きアイディアがもたらされ、それを実現させてくれる人物が現れて、窮地を乗り切ることができました。
そしてピンチで心が折れそうな時にはこれも必ず、学院の子どもたちが何かしら吉報をもたらしてくれ、あと一つ、あと一歩がんばる力をくれました。
立場上、日頃子どもたちの前では、「決して諦めてはいけません。諦めたらそこでゲームセット。諦めない限り、人生には絶対に負けなどないんです」
などと説いている自分ですが、実際には不安とプレッシャーに押し潰されそうで、その場から逃げ出したくなることもしばしばです。
ただその度に、諦めずに結果を出した子どもたちの姿にハッと我に返り、「いや、まだまだ!」と勇気を奮い起こさせてもらいます。「負うた子に教えられ」ることばかりの毎日です。
天の守り、人の助けがあってこその、作新の130年。
すべてに感謝するとともに、いつの日か頂戴したご恩に報いられるよう、新たに生まれ変わるほどの覚悟を持って、131年目の"はじめの一歩"をしっかり歩み出したいと思います。