初夏の再会は、少しだけ哀しい坂道

ボクらは坂道を、みな、ゆっくりと下りている。そして、その坂道はけして戻れないことを知っている。今を共有している、今のヒトとボクらは生きていくほかないのです。
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ついさっき。

同級生と、道端ですれ違いました。

その時のシチュエーションを説明しますね。

まぁ、聞いてください。

ボクは三軒茶屋のお店から渋谷のお店に向かう途中でした。

場所は池尻の住宅街。

ボクはサンダルばきでバイクに跨り、ヘルメットをかぶり、

細く曲がりくねった坂道を上っていました。

おそらく、ごきげん顔で走っていたはずです。

(いつもバイクに乗っているとボクはごきげんです)

彼女は、その同級生だった彼女は、

ピンクの服を来た小さな女の子を連れ、坂道を下っていました。

坂道は西日に眩しく、桜の木陰のシルエットは、

白く黒くコントラストが強かった。

ボクは中学校時代、一年間だけ、仙台の学校に通っていました。

それはたった一年だけのことで、

二年生になると、すぐに川崎の学校に転校しました。

銀行員だった父の仕事の都合で、転校の多い子供時代でした。

その坂道の彼女とは、13歳以来、それっきりで、

今日まで、一度も会うことはありませんでした。

ボクらには二人だけの甘い想い出や、

初恋のエピソードとか、ちっともありませんでした。

ボクらは本当にただの同級生で、それ以上でも、

それ以下でもない関係でした。

なのに。

ボクは今日その白い坂道で、彼女を見た途端。

すべてのことを思い出してしまいました。

クラスは1年3組で、窓から噴水が見えたこと。

桜井先生という男の先生が担任で、先生は前歯が金の差し歯だったこと。

黄緑色のジャージをワイシャツの上からいつも着ていたこと。

辞職を覚悟でお前を殴る、と体育の授業の時、クラスのワルを殴ったこと。

彼女の名前はOさんだったこと。

クラスで一番背が高かったこと。

彼女が体育座りをすると、時々ブルマから白いパンツがはみ出していたこと。

長いすらりとした足に、バレーボールのひざあてが似合っていたこと。

天然パーマで、おしゃべりで、かん高い声でボクの名前を呼び、

背中をよく叩いていたこと。

ボクは「いってーな(痛いな)」と言っていたこと。

大学生の頃、「Oは誰々と付き合ってたけど、遠距離恋愛の末に別れたんだぜ」と、

仙台から上京した友人が飲み会で話していたこと。

ボクの頭の何処に、こんなに色々なことが、しまってあったんだろう。

そのことにボクはとても驚きました。

「危ないからね、オートバイが来まちたよ」

と娘に声をかけ、直後、27年ぶりのボクの顔をちらりと見、

あっと、心でつぶやき、

たった一秒だけボクと再会した彼女は、

すれ違った、かつての井川くん、の何を思い出し、

なにを思い出さなかったのだろうか。

バイクのボクは、彼女と一切を確認することなく、スピードを変えぬまま、

その坂道を上りきり、桜の向こうへと走り去ったのでした。

人違いだったのかなーと思ったかしら。

私のことを避けたのかしら、と悲しんだかしら。

フェイスブックで確認してみようかと思ったかしら。

わからないけど、

「懐かしいね?何してるの?へーそうなんだ?お嬢ちゃんいくつ?」、

と話しをするには、ボクには時間があまりに経ちすぎてしまったんだ。

離れてしまったヒトと再会する。

そして、過ぎ去ったあの頃を再び共有するのは、

たやすいことではない、いやちがう。

それは、叶わぬこの世の真実なのだよ。

ボクはそのことを知ってしまったような気がしたのです。

ボクらは坂道を、みな、ゆっくりと下りている。

そして、その坂道はけして戻れないことを知っている。

今を共有している、今のヒトとボクらは生きていくほかないのです。

初夏の再会は、少しだけ哀しい坂道。

~カフェと編集者と漫画家の景色~

カフエ マメヒコ開店から続く フリーペーパー『M-Hico』が今年リニューアルし、

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リニューアルにともなって、

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vol.10~ 「M-Hico」描き下ろし漫画を連載してくださる

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