米政権が「ロシアゲート」疑惑をめぐって揺れている。
そもそもの端緒は、昨年の米大統領選渦中でロシアが民主党候補ヒラリー・クリントン側にサイバー攻撃を仕掛けていたという疑惑だった。その真偽はさておき、ここにきてロシアは国内外でさまざまなサイバー関連の動きを見せている。この連載ではそうした動きを分析していきたい。
今年5月2日、ロシア連邦通信・情報技術・マスコミ監督庁(ロスコムナゾール)は、メッセンジャーサービスを提供する一部インターネット企業へのアクセスをブロックすると発表した。ロスコムナゾールはロシア国内での操業を認めない「禁止サイト」リストを作成しており、ここに登録されたサイトはロシア国内からのアクセスがブロックされる。
今回、ブロック対象となったのは、「LINE」や「ブラックベリー・メッセンジャー(BBM)」など4つ。いずれもパソコンやモバイル機器で短いメッセージや写真、動画などを送ることができる簡易メッセンジャーサービスである。今のところ、ブロックされているのはこれらのサービスのポータルサイトだけ(つまりメッセージ送信自体は依然として可能)であるようだが、遠からずサービス自体が停止に追い込まれるのではないかという観測が根強い。
禁止の根拠
これらのサービスがなぜロシアで禁止されなければならないのだろうか。
ロシア政府の言い分としては、これらの企業が2014年5月5日連邦法第95号、通称「改正情報法」に違反しているため、ということになる。この法律によると、ロシア連邦内でインターネットサービス(ここにはSNS、電子メール、通話・メッセンジャーサービス、インターネットショッピングなどが含まれる)を提供する事業者は、自社のロシア人ユーザーに関する情報をロシア国内に保存しなければならない。たとえばアメリカのインターネット企業であっても、そのサービスをロシア人が利用している場合は、ロシア国内のサーバーに保存しなければならないのである。
今回、「禁止サイト」に登録されたメッセンジャーサービスは、いずれも改正情報法に従ってユーザー情報をロシア国内のサーバーに移していなかったので、法律にしたがって禁止した、というのがロシア側の言い分である。
情報機関が自由に「検閲」
だが、ロシア国内に個人情報を保存するということは、それがロシアの情報機関に対して筒抜けになることを意味している。
たとえば昨年施行された通称「ヤロヴァヤ法」(発案者のヤロヴァヤ下院公安委員長の名を取っている)によると、ロシアで操業するインターネット事業者は、自社ユーザーが送受信した音声情報、文字情報、画像その他の電子的情報を6カ月間、これらの送受信を行った記録については3年間保存しておかなければならないとされている。
米国ではNSA(国家安全保障局)が巨大なデータセンターを建設してこういった情報を保存しているが、ロシアの場合は各インターネット事業者の負担で同じことをさせようとしているわけである。
さらにロシアの情報機関は、これらの情報を自由に検閲できることが、これ以前の法改正で認められている。従来は、裁判所の令状を取った上でインターネット企業のサーバールームに立ち入って情報を閲覧していたが、現在では令状なしでオンライン上から検閲が行われているようだ。
検閲を受けているネット事業者自身も、自社のどのような顧客情報を情報機関が検閲しているのか分からないということだ。
ネット企業との攻防
もちろん、これはインターネット事業者にしてみれば簡単に飲める条件ではない。顧客の個人情報がロシアの情報機関に筒抜けということになれば、企業の信用に関わるばかりか、膨大なデータ保存に必要とされるデータセンターの設置コストまでのしかかってくるためだ。
ヤロヴァヤ法を厳格に守れば2兆ルーブル(約3.9兆円)以上の費用が掛かるとして、ロシア国内のインターネット事業者さえも反対を表明したくらいである。
外国のインターネット事業者も、多くは否定的な態度を示した。
ネットショッピング大手の「e-Bay」のように比較的早い段階で改正情報法を受け入れた企業もあるが、SNS大手の「Twitter」や「Facebook」などはロシア国内へのユーザー情報移転に強い抵抗を示し、「Google」はロシア国内の一部事業所を閉鎖した。
これに対してロスコムナゾールは、Facebook、Twitter、Googleの各現地法人に対し、ロシアの法令を遵守するよう求める書簡を副長官の名前で発出したとも伝えられており、水面下ではロシア当局とインターネット事業者の間でかなりの攻防が繰り広げられていたと見られる。
それでもしばらくの間は、ロシア当局もインターネット事業者に対する実力行使には出なかった。つまり、法律の文言からすれば違法ではあるが、ロシア国内にユーザー情報を保存しようとしない企業の操業を認めていたのである。
だが2016年、ロスコムナゾールは、米国のSNSである「LinkedIn」が改正情報法に従っていないとして、ブロックに踏み切った。
これがきっかけとなって、今年4月にはTwitterがロシア国内でのデータセンター開設に応じる意向を表明、2018年半ばまでにはロシア人ユーザーの情報をロシア国内のサーバーに移すことに同意した。
Facebookは依然としてデータ移転を拒んでいるが、現状ではロシア市場からの締め出しか、改正情報法の受け入れかを早晩選択せざるを得なくなるだろう。
本丸は「Telegram」?
今回のメッセンジャーサービス禁止に至る経緯は大要、以上のようなものである。
ただ、禁止されたサービスは、いずれもロシアではメジャーなサービスとは言えない。世界的には最大手のLINEでさえ、ロシアではさほど多くのユーザーを集めていなかったし、前述のLinkedInも同様である。
これについては、ロシア政府の「警告射撃」であるという説が有力だ。つまり、いきなり国内の最大手に圧力をかけるのではなく、ロシア市場から撤退されてもさほどダメージのないマイナーなサービスを見せしめのために狙い撃ちにしたという見方である。SNSの場合、本当のターゲットはTwitterやFacebookであったと見られ、実際、Twitterがついに改正情報法を呑んだことはすでに述べた。「警告射撃」は一定の効果を発揮したと言えるだろう。
一方、今回のブロック問題におけるロシア政府の本当の標的は、「Telegram」ではないかと見られている。Telegramとはロシア人のドゥーロフ兄弟がドイツで立ち上げた企業で、メッセンジャーサービスとしての機能の高さに加え、なりすましや盗聴に対する安全性が極めて高いのがウリとされている。サービスの開始は2013年だが、2016年には全世界でのユーザーが1億人を超えるという一大人気サービスに成長した。
ところで、ドゥーロフ兄弟の弟、パーヴェル・ドゥーロフはロシア版Facebookと呼ばれる「フ・コンタクチェ(VK)」の開発者としても知られる。今やVKは旧ソ連圏最大のSNSとなっており、それゆえにパーヴェルはしばしば「ロシアのザッカーバーグ」などと呼ばれてきた。
ところが2014年4月、パーヴェル・ドゥーロフは自社株のほとんど売り払ってロシアから出国してしまった。ウクライナの反露組織のリーダーに関する情報を提供するよう当局から求められ、これを拒否したところ、自宅を治安機関に急襲されたことがきっかけであるという。
こうしてみると、今回のメッセンジャーサービス閉鎖は、ロシア政府のドゥーロフ兄弟に対する新たな締め付け策の第1歩と考えられるだろう(ドゥーロフ兄弟はTelegramユーザーのロシアへの移転も当然、拒んでいる)。
だが、ロシア政府は何故こうもインターネットサービスの統制に執着するのだろうか。次回は、この点をロシア側の論理から掘り下げていくことにしたい。
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(2017年5月24日フォーサイトより転載)