「日米」「中国」も仮想敵!「ロシア軍巨大演習」--小泉悠

日本側がロシアに対してあらゆる妥協を拒めば、中露のさらなる軍事的接近もありえるということだ。
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A Russian Smerch multiple launch rocket system is seen during the annual international military-technical forum
Maxim Shemetov / Reuters

 秋はロシア軍の演習シーズンである。

 ロシア軍の演習は12月1日から始まる冬季演習期間と、5月1日から始まる夏季訓練期間に分かれており、後者の半ばにあたる8月から9月頃に、軍管区単位の大演習(ロシア軍の分類に従えば戦略指揮参謀演習)が行われるというのが通例だ。ことに近年では演習の規模が巨大化する傾向があり、10万人以上の兵力が動員されることも珍しくない。

 この種の大演習は4つの軍管区(西部、南部、中央、東部)の持ち回りで実施されるので、それぞれの軍管区では4年に1回の頻度で大演習が巡ってくるということになる。演習には当該軍管区の部隊だけでなく、他の軍管区からも部隊が派遣されてくるのが通例であり、場合によっては同盟国軍が参加することもある(たとえば西部軍管区であればベラルーシ、中央軍管区であれば中央アジア諸国が参加する)。

「ヴォストーク2018」

 2018年度大演習の舞台として予定されているのは、東部軍管区だ。同軍管区は東シベリアから極東、さらには北極圏東部までを含む広大な軍事行政単位であり、前回の 「ヴォストーク(東方)2014」演習では15万人以上の大兵力が動員された(ただし、そのすべてが演習に参加したのか、軍管区内の兵力をすべてカウントしているだけなのかは明らかでない)。今年の大演習はそれから4年を経て巡ってきたもので、「ヴォストーク2018」と名付けられている。演習の実施時期については今年8月から9月とされているが、具体的な開始及び終了時期についてはまだ公式発表が見られない。

 一連の「ヴォストーク」演習が日本にとって重要なのは、まずもって、その仮想敵に日本が含まれているという点にある。「ヴォストーク2014」の際にロシア国防省の機関紙『赤い星』が報じたところによると、同演習は仮想国家「北方連邦」と島を巡って領土問題を抱えた仮想国家「ハンコリヤ」が、軍事紛争に陥るという想定で実施された。さらにこの紛争がエスカレートしたことにより、NATO(北大西洋条約機構)の主導的大国である「ミズーリヤ」が介入し、太平洋におけるロシアの内海を奪取しようと試みることも想定されていたという。具体的な国名は伏せられているものの、北方領土を巡る日露紛争が対米戦争にまでエスカレートするというシナリオであることは明らかであろう。

 さらにこの演習の過程では、ベーリング海峡を挟んで米領アラスカに接するチュコト半島や北極圏のウランゲリ島に防衛部隊を送り込む演習を実施しており、北極防衛の重要性がかつてなく強調されたことも注目される。地域紛争が対米戦争にエスカレートした場合、それが全面核戦争へと至らないように核抑止力を確保する必要が生じる。この意味では報復攻撃用の弾道ミサイル原潜が遊弋(ゆうよく)する北極海及びオホーツク海の防衛は、死活的な意義を帯びることになる。

 また、これと並行してロシア軍は極東部に大規模な増援部隊を送り込み、大規模な地上戦訓練も実施した。こちらについては具体的なシナリオが明らかにされていないが、中国を想定した訓練であった可能性が高いと見られている。純粋に軍事的な観点からすれば、ロシアにとっての中国は依然として仮想敵であることが伺われよう。

中国、モンゴル軍も参加

 翻って今回の「ヴォストーク2018」では、幾つかの継続性と変化が予想されている。

 継続性について言えば、北方領土を巡る日本との紛争の可能性は、依然として主要なシナリオの1つに留まる可能性が高い。「ヴォストーク2018」の開始に先立ち、ロシアは択捉島に戦闘機を配備しており、従来から駐留している陸軍部隊や海軍の地対艦ミサイル部隊(2016年には最新鋭の3K55バスチオンが択捉島に、3K60バルが国後島に配備された)とともに、北方領土の防衛訓練が従来以上の規模で実施されることになろう。

 北極圏においては、西部軍管区に所属する北方艦隊が、「ヴォストーク」演習の枠組みでは初めて参加することが予告されているほか、8月に入ってからチュコト半島のアナドゥイリ飛行場に、Tu-160超音速爆撃機部隊が展開したと報じられている。北極防衛に加え、隣接するアラスカの米ミサイル防衛システムに対する攻撃が想定されていると見られる。

 一方、変化として注目されるのは、「ヴォストーク2018」に中国軍及びモンゴル軍が参加すると報じられている点だ。これまで「ヴォストーク」演習はロシア軍単独の演習として実施されてきており、外国軍の参加は初となる。

 なかでも大きなインパクトを持つのは、中国軍の参加であろう。中国側の発表によると、「ヴォストーク2018」に派遣される兵力は人員3200名、兵器900、航空機・ヘリコプター30機であり、ザバイカル地方のツゴル演習場で訓練を行うとされているから、巨大な演習の一部に過ぎないと言えないことはない。また、中露はこれまでにも上海協力機構の枠内で「平和使命演習」を、2国間ベースで「海上連携」演習を行ってきており、両国の合同演習が珍しいというわけでもない。

 しかし、前述したように、「ヴォストーク」演習は、もともと対日米戦争に加えて対中戦争をも想定した演習であった。そこに中国が友軍として参加するとなれば、昨今の中露接近の動きにおける新たな契機とみなすことができよう。

政治的反応を計算

 日本にとっての「ヴォストーク2018」の意義を読み解くうえでは、軍事の論理と政治の論理を区別することが必要である。

 軍事の論理とは次のようなものだ。すなわち、脅威とは敵の能力に意図を乗じたものとして理解されるが、意図は変化しやすく、かならずしも明瞭でない。したがって、脅威評価はより計測しやすい能力を基盤としなければならない。北方領土を巡る日露の軍事的衝突は現実に予期し難いにせよ(つまり「蓋然性」は低いとしても)、その「可能性」が存在する以上は備える必要がある、ということになる。

「ヴォストーク2018」も軍事組織であるロシア軍が立案し、実行するからには、基本的にこのような論理に基づくものと考えてよいだろう。領土紛争が存在する以上はそれが軍事紛争となることを想定しなければならず、仮想敵が米国の同盟国であるならば、米国の介入という最悪の事態も当然、覚悟しておかなければならない。

 これまでは仮想敵であった中国を参加させるという転換に際しても、ロシア軍参謀本部内では、現在でも中国は仮想敵の1つにとどまっているはずであり、中国の姿がない場所では依然として、対中国戦争を想定した訓練も行われる可能性が高い。現にロシア軍は「ヴォストーク2018」に向けて、大規模な地上兵力の動員準備を行っているが、極東においてこれだけの地上兵力を必要とする事態は対中国戦争だけである。

 だが、政治の論理はこうした軍事の論理を包含する、より広範なものである。この場合で言えば、純粋な軍事の論理に従って大々的な対日米戦争演習を行い、さらには中国を招き入れることが、当面の対日・対米・対中関係においていかなる政治的反応を引き起こすか、という包括的な計算がかならず存在する。

 特に中国との合同演習が予定されている9月11日から15日という時期は、ウラジオストクで開催される「東方経済フォーラム」(9月11~13日)と重なっており、開催前日の9月10日には、日露首脳会談が行われる見込みと伝えられている。

 このようなタイミングにおいて、政治の側が軍事の論理を妨げようとしていないという事実(たとえばウラジーミル・プーチン露大統領は北方領土での演習を控えめなものとするよう軍に命じることもできるし、中国との合同演習のタイミングをずらすこともできる)は、政治の論理がそれを求めている可能性を示唆する。

ロシアの「舞台装置」

 より具体的に考えてみよう。

 安倍晋三首相がウラジオストクを訪問するとき、北方領土では戦闘機の展開を含む活発な軍事活動が行われ、ロシア本土では中露の合同軍事演習が展開されていることになる。ロシア国防省はプーチン大統領が「ヴォストーク2018」を検閲する可能性も示唆していることから、同じく「東方経済フォーラム」を訪問予定の習近平中国国家主席とともに、ツゴル演習場で中露演習の模様を観戦するというシナリオも考えられないではない。

 このような「舞台装置」が、日本側に対してどのようなメッセージを孕んでいるかは明らかであろう。北方領土問題においては、ロシアの実行支配と軍事的防衛の意図をあくまでも強調し、日本側がロシアに対してあらゆる妥協を拒めば、中露のさらなる軍事的接近もありえるということだ。

 一般的なイメージに反して、ロシア人はもてなし好きである。遠方からの客人には、こちらが面食らうほどの歓迎を示してくれることも珍しくない。ただ、今回の「歓迎」は派手ではあるが、かなり手荒いものであることも覚悟すべきであろう。

小泉悠 1982年千葉県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修了。民間企業勤務を経て、外務省専門分析員、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員として2009年~2011年ロシアに滞在。現在は公益財団法人「未来工学研究所」で客員研究員を務める。専門はロシアの軍事・安全保障。主著に『軍事大国ロシア 新たな世界戦略と行動原理』(作品社)、『プーチンの国家戦略 岐路に立つ「強国」ロシア』(東京堂出版)。ロシア専門家としてメディア出演多数。

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(2018年8月30日
より転載)