「Ladies Be Open」に投稿された林亜季さんの記事(女31歳。生まれてこのかた、一度も生理がない。)を読んでハッとした。
私も彼女と同じ「原発性無月経」だ。高校生になっても初潮がなく、これまで一度も自然と生理がきたことはない。それでも今、私のお腹の中には5ヶ月を迎える赤ちゃんがいる。
思い返せば、小学校高学年から中学生まで、男子は急激に身長が伸び、女子は身体が丸みを帯びてくる思春期、私の成長は止まっていた。
身長は1cm程しか伸びなかったし、体重は35kgのまま。原因はわからない。私の食いしん坊体質は、どれだけ食べても太らなかったこの頃に由来しているのかもしれない(ちなみに今は食べたら普通に太る)。
小学校5年生(写真右)。妹たちと。この頃から成長が止まり長女の私が一番小さい
16歳になる頃、母親に連れられて産婦人科を訪れた。気さくなおじさん先生は「現時点で子どもが産めるか産めないかはわからないねえ。子宮が退化するから定期的に生理を起こしておこう」と診断した。
その日から定期的に産婦人科に通い、注射や飲み薬でホルモンを注入して生理を起こした。当時は自分が"病気"だと認識することもなく、"子どもを産めないかもしれない"ということにもあまりピンと来ていなかったように思う。
しかし、時を同じくして中学時代からの親友が16歳で妊娠をした。小説やドラマの中では高校生が妊娠をするという話も聞いていたけれど、自分の周りで起こるとは思っていなかった。「生理が来ない」ことを不安に思う彼女が安心するために手にした妊娠検査薬の結果は陽性。混乱した。ただただ哀しくて、その事実を誰にも伝えることができず、私は来る日も来る日も一人で泣いていた。
その間彼女がどれだけ悩み苦しんだかは想像もできないが、彼氏や両親に伝え、産婦人科を訪れ、エコーで小さな命を確認した彼女は産むことを決めた。エコー写真を手にそのことを告げた彼女がとても強くとても優しく見えたことは今でも覚えている。
彼女は高校を中退し、17歳で母になる道を選んだ。私は学校帰りに彼女の家を訪ね、つわりに苦しむ姿、膨らんでいくお腹、どこか落ち着いて大人びていく彼女の変化を目の当たりにした。
そして出産当日。知らせを受けて制服のまま自転車で駆けつけた病院。産まれたての赤ちゃんを腕に抱いたその瞬間、どわっと涙が溢れた。ただそこにいるだけで周りの人をしあわせにする、赤くてやわらかい小さな命。その存在に涙が止まらなかった。とても愛おしく思ったし、あの時、産むことを決めた彼女を心から尊敬した。
その間も私は産婦人科に通い、いつか自分の子どもを産むことができるのだろうか、母になれるのだろうか、とふとした瞬間に思うようになっていた。
そんな私にも27歳になる頃、結婚したいと思う人ができた。夫となる人には事前に自分の身体のことも話していたけれど、彼は結婚に際してそのことを一切問題にしなかった。寛大な人である。私も彼とだったら、たとえ子どもができなくても楽しい人生を送れるだろうと深く悩むことなく結婚を決めた。
結婚式にて
結婚をしてから、それまで生理を起こすために飲んでいたピルをやめた。するとやはり生理は来ない。生理がないということは排卵もない。仕事もしていたため産婦人科に通うのが面倒で、そのまま放置していた時期もあり、私の子宮はその間、存在意義をなしていなかった。
あまりに子宮が静かなままではまずいと思い、通える範囲で産婦人科に通い、ホルモン剤を使って生理と排卵を起こすようにした。お互い仕事に夢中で、2人でいる時間も楽しかったので、排卵を起こしても積極的にタイミングを合わせることはしていなかった(夫は出張なども多く、なかなか合わせるのが難しかった)。
結婚して2年が経つ頃、そろそろ本格的に子づくりをしようと思い、先輩のアドバイスを得て、夫婦で不妊治療専門の病院を訪れた。私の身体のこともあるので、最初から不妊治療専門の病院に行くことに対して夫も理解してくれた。
1ヶ月前に予約をしたその病院には、日曜の朝からたくさんの夫婦や女性が訪れていた。割り振られた番号がモニターに表示され、尿検査、採血、先生との面談、と順番に検査が進む。待ち時間含め3時間が過ぎる頃、夫は精液検査の部屋に呼ばれ、私は内診室へ向かった。
診察台で股を開く私に、子宮の中を確認した先生が衝撃的な一言を発した。
「赤ちゃんがいますねえ」
「えええええ!!??」
混乱した。何かの間違いだと思った。赤ちゃんができないと思っていたからこの病院にいるわけで、妊娠しているなんて1ミリも思っていなかった。エコー画面を覗き込むと、ピーナッツみたいな"赤ちゃん"がいた。しかもその時点で8週と5日。しっかり呼吸もしている。17mmの命が私のお腹の中にいる。信じられない。とにかく驚いた。
不妊治療専門の病院の待合室で、射精を終えた夫に「赤ちゃんがいた」と耳打ちをして私たちは喜び、しあわせに浸った。薬で起こしていた排卵期に2人のタイミングが重なり、一つの命が芽吹いていたのだ。
夫の検査は意味をなさなかったが、私は検査の結果、妊娠はしているものの黄体ホルモンの数値が極めて低いことがわかった。黄体ホルモンは妊娠初期には赤ちゃんにふかふかのベッドを提供するようなものらしく、少ないと流産しやすいそう。それは困るので、また注射と飲み薬でホルモンを注入した。私はいつだってホルモンが足りない。もうその治療には慣れている。
それでもつわりの原因とも言われる黄体ホルモンの注入は、つらかった。それまで妊娠に気づかないほどつわりが激しくなかったのはおそらく黄体ホルモンが足りなかっただけ。ホルモンを注入してからというもの、吐き気や頭痛に襲われ、ソファに寝転んだまま動けなかった。気持ちも滅入る。つわり期を乗り越えてきた世のお母様方を心から尊敬するけれど、産む時の痛みとは比べ物にならないんだろうな。今から想像もできない。
10週の赤ちゃん
問題の多い私の子宮の中に、一人の命が育っていることは本当に"奇跡"だと思う。「原発性無月経」であること、それでも妊娠できたことについて、何が良くて何が悪かったのか正直わからない。赤ちゃんは本当に、授かりものなんだと思う。
でもこれからだってどんなことが起こるかわからないし、無事に赤ちゃんが産まれてくるかどうかもわからない。今はただ、お腹の中にいる我が子がすくすく育って、無事に産まれてきてくれることを祈るばかりだ。
もし、私と同じような身体の悩みを抱えている人がいるのなら、妊娠する可能性がゼロではないということを伝えられたらと思い、筆をとった。
治療は時に終わりが見えず、未来も保証されない。私自身も高校生からずっと産婦人科に通いながら、不安に思うこともあった。私の周りには子どもを授からずに輝いている女性がたくさんいる。だから、産まない人生を思い描いたこともある。それでも私は治療を選び、奇跡的に子どもを授かった。
産む・産まないの選択は人それぞれだと思う。たとえ選べなかったとしてもどちらの人生にもきっとそれぞれの魅力があるはず。女性の身体も人生も、本当に十人十色。私はこれからも、この"特徴"ある身体と自分で選んだ人生と、しっかり向き合っていきたいと思っている。
とても個人的な話に最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
【関連記事】
ハフィントンポストでは、「女性のカラダについてもっとオープンに話せる社会になって欲しい」という思いから、『Ladies Be Open』を立ち上げました。
女性のカラダはデリケートで、一人ひとりがみんな違う。だからこそ、その声を形にしたい。そして、みんなが話しやすい空気や会話できる場所を創っていきたいと思っています。
みなさんの「女性のカラダ」に関する体験や思いを聞かせてください。 ハッシュタグ #ladiesbeopen#もっと話そう女性のカラダ も用意しました。 メールもお待ちしています ladiesbeopen@huffingtonpost.jp 。
すでに読者の方からたくさんのお便り(メール)を頂いています。直接みなさんと会話がしたいので、4月6日(木曜日)夜にトークイベント(無料)を開きます。お目にかかることが出来るのを編集部一同楽しみにしています。
お申し込み⇒