どんなお産も命がけ。私は帝王切開で、我が子と出会うことを選んだ。

産みの「苦しみ」と「喜び」は、想像以上でした。
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徳瑠里香

生まれつき生理と排卵がない私が妊娠し、「ホルモンの奴隷」とも言える心と身体の変化を経験。そして迎えたお産。振り返ると、妊娠・出産を経て我が子に会えるまで、奇跡の連続だった。

逆子が直前で回転!

28週から逆子だった我が子は正産期に入る37週になっても直らず、帝王切開で出産するため予定通り入院することに。

主治医から手術の説明を受け、同意書へ署名したり、赤ちゃんの「元気度」と呼ばれる心拍やお腹の張りを確認したり、毛を剃ったり、前日から手術に備えた。

手術当日。朝9時からはじまる点滴などに備え、シャワーを浴びてオペ着に着替えて部屋で待機していると、担当の看護師さんが最後に赤ちゃんを確認してみようと声をかけてくれた。

処置室へ移動しエコーを確認すると、なんと、逆子がひっくり返っている!!!!!!約2カ月間も頭を上にしたまま微動だにしなかった我が子が手術直前にひっくり返るなんて。びっくりして、拍子抜けして、爆笑した。

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その時のエコー。骨盤あたりで確認された我が子の頭
徳瑠里香

逆子の原因は開いてみないとわからないけれど、私の場合は赤ちゃんの成長に対して骨盤が小さいことだと予測された。

念のため骨盤辺りのレントゲンを撮ってみると、たしかに骨盤は小ぶりではあるけれど、赤ちゃんが通れないほどではなく、自然分娩も望める。

その時点で我が子は推定2600g。先生はこのまま帝王切開で産むという選択肢もくれた。迷ったけれど、直前でひっくり返った我が子にまだ出たくないんだという意思を感じて、自然分娩に挑戦することにした。

検査も含めて入院費3万円、夫の交通費2万円、計5万円かけて手術もしないで無事(?)退院。夫もせっかく東京から里帰り先の愛知まで来たので、我が子が回転した記念に2人でお鮨を食べて帰宅した。

今朝は一人病室で、胎教にいいと言われたドビュッシーを聴きながら(迷信?)、隣の赤ちゃんの泣き声に耳を澄まし、晴れた空を眺め、このぽっこりお腹ともお別れかあ、いよいよ我が子に会えるのかあ、と浸っていたというのに。

やっぱりお産はいのちがけ

帝王切開から自然分娩へと覚悟を新たにし、陣痛が来るのを待つ日々。

毎日たくさん歩き、スクワットをし、会陰マッサージをして、安産のお灸を据えて、妊娠中はじめての体重管理をして......、我が子に会える日を心待ちにしながら過ごした。

1週間後の検診で、我が子はさらに成長し推定3000gを超える大きさに。もう産まれてきてもいい大きさだけれど、まだまだ私の小さな骨盤に頭がはまることはなく、子宮口もカチカチ。私の身体はまだ産む準備ができていないよう。

その日、先生は、私のお産が抱える「リスク」について丁寧に説明をしてくれた。

成長著しい我が子に対して、私の骨盤の大きさでは難産になる可能性が高いこと。

ずっと逆子であったことにはなんらかの原因があるはずだけれど、それは産んでみないとわからないこと。

予定日までに陣痛が来なくて、陣痛促進剤を打った場合、急に赤ちゃんが下に降りてくるため、子宮破裂などの危険性もあることなど。

実は私の退院後、同じように36週まで逆子で直前に治り、自然分娩に切り替えて出産を迎えた方が、胎児の命をつなぐへその緒が先に出てきてしまう「臍帯脱出」が原因で、お産の最中に赤ちゃんの命を落としてしまったという。

我が子に会うことができなかったお母さんとその家族、産まれてくることができなかった赤ちゃんのことを思うと胸が締め付けられて、他人事とは思えず、病院の待合室でおいおい涙が溢れて止まらなかった。私はその後何度もこの親子に思いを馳せることになる。

お産は本当にリスクと隣合わせで、母子ともにいのちがけ。産まれてくるその瞬間まで(その後も)何があるかわからない。無事に産まれてくることは奇跡の重なりなんだと、お産を間近に改めて胸に刻まれた。

自然分娩で産むか、帝王切開で産むか。

先生は1週間の猶予期間をくれたけれど、私たち夫婦は迷うことなく、想定されるあらゆる母子のリスクを避けるために、すぐに帝王切開で産むことを決めた。

これまで数々の奇跡をくれた我が子に起こしてほしい唯一の奇跡は、無事に産まれてきてくれること。ただそれだけ。

3178gの元気な女の子、誕生!

そして、迎えた出産当日。

前日に入院し、前回の入院と同じ手はずで手術に備えた。手術30分前に夫は出張先の秋田から(6万円かけて!)駆けつけ、同じ病院に勤める母も仕事を抜け出してきた。

2人に見送られ、ベッドのまま手術室へ。ブルーのオペ着を纏った先生たちに囲まれ、手術台の上に上がり、眩しいくらいの白いライトに全身を照らされる。裸になって背中を丸め、背骨の間に腰椎麻酔と硬膜外麻酔という2本の半身麻酔を打つ。

麻酔が回ってくると身体がしびれたような感覚に。効き目を確認するため、麻酔の効いていない頸の辺りと麻酔が効いている胸の辺りを同じ針が刺す。肩はチクっと痛むのに、胸は触れられる感覚はあるものの痛みは感じない。

麻酔の効き目が確認できたところで手術がスタート。

意識はあるのでお腹を触られている感覚はあるし、先生たちの声もメスが重なる音も聞こえる。麻酔科の先生が実況中継をしてくれたこともあり、自分のお腹が切られた瞬間もわかった。

手術開始から35分。先生の「赤ちゃん出るよ―」という掛け声とともに、「あぎゃーあぎゃーあぎゃー」という泣き声が響き渡った。

「おめでとうございます! 元気な赤ちゃんが産まれました!」

我が子の泣き声とその言葉を聞いた瞬間、緊張の糸が切れ全身から力が抜け、一筋の涙がこぼれた。

麻酔のせいか意識が少し遠のいてきたけれど、酸素マスクで深く呼吸をしながら、処置をしている間も、力強く泣き叫ぶ我が子の声に必死に耳を澄ませた。

数分後、抱きかかえられた真っ赤でしわくちゃに泣く我が子が頭の横に。その姿を自分の目で見て肌で触れた瞬間、嬉しくて声を上げて泣き笑った。無事に産まれてきてくれて本当によかった。

赤ちゃんはそのまま先に病室へ。私は開いた子宮やお腹を縫い合わせる手術が続いた。麻酔の副作用で気持ち悪さと若干の頭痛があり、意識が朦朧としたまま手術は終了。自分ではどうにもならない身体を先生たちに抱きかかえられてベッドへ移動し、病室へ運ばれた。

夫が待つ病室へ戻ってからはアドレナリンが出ているのか妙に元気だった。隣には産まれたばかりの赤くむくんだ驚くほど小さな赤ちゃんがいる。さっきまでお腹の中にいたなんて。

すやすや寝息を立てたり、目を閉じたまま「ふひゃーふひゃー」と細く泣いたり。仕事終わりに父と母、妹たちも駆けつけ、家族みんなでその一挙手一投足に湧いた。不思議なくらい温かくて平和な時が流れた。

術後、痛みとの戦い

家族が帰り赤ちゃんがナースステーションに戻った後、戦いははじまった。麻酔が切れた瞬間、どっと痛みは押し寄せた。お腹を中心にどこが痛いのかもはやよくわからない。

背中には手術時に入れた麻酔の針が残ったままで、腕には抗生剤や水分を補うための点滴がつながれ、尿の管を入れられ、足には血栓予防のためのポンプがつけられている。子宮収縮に伴い悪露(おろ)という血の塊も出てくる。

最初は寒くてガクガク震えていたのに、一気に38.5度の熱が出た。とにかく身体は動かず、寝返りさえもうてないため床ずれしないよう硬いクッションを左右交互に背中の下に挟み何度も向きを変えた。

傷口が痛くなったら背中から麻酔を入れるようにボタンを握りしめているものの、1時間に1回と限られるためどれくらいの痛さで押していいのかわからない。

看護師さんが定期的に病室に来ては、血圧と熱を測り、水分が足りず飴色になった尿を変え(ペットボトルに手を伸ばす気力もなかった)、悪露で真っ赤に染まったオムツを交換してくれた。

身体や顔は濡れタオルで拭き、歯磨きも顎下にトレーを置いて吐き出す。夜中もずっと献身的にお世話をしてくれる看護師さんは女神に見えた。こうして全身に押し寄せる痛みに耐えながら術後の夜を明かした。

術後1日目。朝から血を抜かれ貧血気味に。血液検査の結果、糖分が足りていないため甘いものを摂取するようにと言われ、夫に買ってきてもらったミルキーをたくさんなめた。

2日間の絶食後のミルキー。かつてこんなに美味しいミルキーを食べたことはない。絶食していたというのに、点滴の栄養で大きな口内炎ができていた。お腹は空いていなかったけれど、久しぶりの昼食は嬉しくて完食した(これが後に悲劇をもたらす)。

昼食後は、尿の管も抜かれ、足のポンプも外され、点滴はつけたまま、病室の外にあるトイレまでいかなければならない。まずベッドから起き上がるのがつらい。立ちくらみがするし、お腹を中心に全身が痛い。必死に立ち上がり点滴の棒を引きずり、よち、よち、と歩を進める。

痛みに耐えながらやっとの思いでトイレに到着し、尿を取り、ナプキンを替える。この作業が一苦労。汚物を床に落としてしまった時には呆然とした。これをどやって拾えばいいのか。しゃがむの!? 無理でしょ! でもやるしかない。格闘している間に点滴の血液は逆流。上からも下からも血が滴る。途方に暮れた。これをトイレに行く度、一日に何度も繰り返さないといけない。苦行である。

病室で我が子と過ごす時間だけが癒やし。といっても身体が動かないためあまり触れ合うことはできない。それでもこの日、我が子ははじめておっぱいを咥(くわ)えた。初乳というやつだ。目も見えていないはずなのに、必死に食らいついてくる姿がなんとも愛おしい。産まれてはじめて自分が哺乳類であることを意識した。

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隣で眠る生後2日目の我が子
徳瑠里香

身体が回復していないためまだ授乳はしていないというのに、その日の夜はほとんど眠れなかった。謎の腹痛に襲われたのだ。

ポンッポンッとお腹の中で何かが弾けて、キュルキュル移動してガスが出る。ずっと繰り返されて眠れない。

はじめてナースコールを鳴らした。触診をしてもらうものの原因はわからず、傷口のため常時飲んでいる痛み止め(ロキソニン)を飲んで凌ぐことに。それでも眠れず、お腹の痛みに耐えながらずっと考えてわかったことはおそらく消化だ。

2日間の絶食の後、普段より多い昼食を完食、甘いものを摂取したほうがいいという言葉を引きずりおやつも食べ、晩御飯も完食した。おそらく胃がびっくりしたんだと思う。それでも入院前から5日間ほど便は出ていなかった。翌朝、先生に診てもらい便を促す点滴を打つことに。ようやく点滴が外れるというのに。まさかここでも便秘に悩まされるとは(退院後、体質が変わったのか母乳育児がいいのか見事便秘は解消!)。

術後2日目も痛みを抱えながら外のトイレへ歩いていくという苦行は続いた。昨日よりはましになっているもののまだよちよちとしか歩けない。

そんな中、赤ちゃんのお世話もはじまる。まだあまり出ないおっぱいを一生懸命に吸い、飲んだあとはリラックスするのか顔の筋肉がゆるみほんのり笑顔になる。かわいいいいい!!!!ホルモンのせいもあるのか何とも言えない多幸感に包まれた。

術後3日目、朝から押しつぶされるような頭痛に襲われた。動くとめまいがする。ぐおんぐおんと頭が揺れる、はじめて体験する痛み。先生に伝えると、麻酔の針を打った穴から髄液が漏れ出しているとのこと。帝王切開では人によってはある症状らしい。

点滴が処方され、動くと髄液が漏れ出て痛むため、安静にしているようにと告げられる。今日から母児同室が始まる予定だったけれど、赤ちゃんのお世話もおあずけ。それどころではない痛みと戦うことに。起き上がるだけでも髄液が漏れ出すのか、頭がガンガンする。点滴で痛みを一時的に和らげることはできるけれど、時間が最大の薬。ベッドに横になりながら背中の穴が塞がるのを待つしかない。結局この痛みは退院直前まで続いた。 

術後4日目は産後はじめての体重測定があった。点滴の針を射したまま体重計に乗ると、10kg増えた産前の体重と一切変わってない。え...? 我が子が3,178g、羊水も含めて4kg近くは減るんじゃないの?

体重計が壊れているんじゃないかと本気で思って、看護師さんに恐る恐る「産前の体重と一切変わってないんですけど、体重計......」と切り出すも「点滴とむくみですねー」とさらっと言われた。まじか。

たしかに身体はむくんでいて、特にむくみがひどい足は膝が見えないほど。便秘や頭痛に襲われなんだかんだ毎日点滴を打っている。授乳もろくにできていないのに通常より600カロリー多い授乳食も食べている。かつベッドの上から動いていない。そりゃ太るよな。

でもたった4日で4〜5kgも増えるなんて、驚いた。お腹は相変わらず膨らんだままだし、肉はたっぷりつまめるほどびろびろしているし、黒ずみも消えない。明らかに妊娠前の身体とは違う。いつか戻る日が来るのだろうか(体重は退院後、ちゃんと4kgほど減っていた!)。

入院中、傷口の痛みと髄液が漏れ出る頭痛に襲われながらも、とにかく目の前の小さないのちを守るために必死だった。昼夜問わず約3時間ごとにオムツを替えて、授乳し、ミルクを調乳する。ほとんど眠れていない状態なのに、夜中でも我が子が動き少し声を上げただけで目が冷めて自然と身体が動く。

泣き喚く我が子を横に何をすればいいのかわからず焦ることもあった。助産師さんたちがサポートしてくれるからなんとかなっているものの、退院してちゃんとやっていけるのか不安にもなった。

そんな不安はよそに、術後7日目には、頭痛も治り、我が子も体重含め順調に成長しているため母子ともに予定通り無事退院が決まった。

帝王切開だから避けられたリスク

私は今回、出産の直前まで逆子だったこともあり、自然分娩も望めたけれど、あらゆるリスクを回避するために「選択的帝王切開」という方法で我が子を産んだ。

実際にお腹を開いてみたら、私の子宮の一部の筋膜が非常に薄く、そこに胎盤が癒着していたそう。珍しいケースで、お腹を開くまでそれはわからなかったとのこと。もし自然分娩を選んでいたら、陣痛が来た時点で、子宮の筋膜が破れ、子宮破裂を起こしていた可能性があったという。恐ろしい。帝王切開を選んで母子ともに命拾いをした。

自然分娩が推奨される日本にはまだ「お腹を痛めて産んだ子だからかわいい」という都市伝説があるようだけど、帝王切開だって十分お腹を痛めているし、我が子はちゃんとかわいい。産み方もある程度大事だとは思うけれど、母子が安全であることがなによりだ。避けられるリスクは避けた方がいいと私は身をもって実感した。

ひりひりと痛む、お腹というより股に刻まれた15cmほどの傷口。これはいのちがけで我が子を産んだ母の勲章だと思う。

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徳瑠里香

妊娠から出産まで、たくさんの"奇跡"が重なった。何か一つでも違っていたら私は我が子には会えなかっただろう。

必死に我が子のお世話をする日々の中、ふとした瞬間にふわーっと温かな風が吹くように湧く"愛おしい"という気持ち。かつて経験したことのなかった、母になったからこそ味わえる感情のように思う。いのちをかけてでも守りたい、自分以上に大切な小さないのち。

無事に生まれてきてくれて、ありがとう。お母さんにしてくれて、ありがとう。まだまだ未熟な母だけど、これから、一緒に成長していこうね。