痩せたいだけじゃない!運動の苦手な私が走りたくなるわけ

本心に目を背けていることほど、辛いことはないということだ。
|
Open Image Modal
Shutterstock / Warren Goldswain

昔から運動は得意ではない。努力を重ねた結果得意になった競技は、記憶を遡っても思い当たらない。ただ、単純に好きだという気持ちだけで続けているものはある。ランニングである。

将来進みたい道が分からず鬱々としていたときも。人間関係に悩んだときも。頭の中が好きな人のことでいっぱいで、何にも手がつかなくなってしまったときも。なんだか落ち着かないというときには、一先ずウェアに着替え走り出すという習慣がついていた。走ることで救われたと感じたことは幾度となくある。

ランニングを始めたきっかけは、小学校低学年の頃。年に1度開催される小学校のマラソン大会で、偶然にも女子1位という成績を収めたことだと思っている。両親が私の姿をビデオに収めながら、私以上に嬉しそうにしていたことを覚えている。それ以来、単純に走ることが好きになってしまった。

私は現在、横浜市立大学医学部医学科の6年生である。今年に入り2回フルマラソンに出場した。趣味でランニングをすることはあったものの、本格的に大会に出場するのは初めての経験であった。普段からストイックに走り込んでいるわけではないので、タイムはさて置き、2回とも完走できた事実は間違いなく自信となっている。

ご存知の通り、数年前からランニングブームが続いている。2015年の東京マラソンに関しては、30万5734人の応募があり、フルマラソンの倍率は過去最高の10.7倍であった。私も含め、人々はなぜ走ろうと思うのだろうか。

走ることの意味合いは多種多様である。走ると体力がつく、集中力が上がる、高揚感が得られる等、様々な意見を耳にする。ここでは、「走っている間は無心になれる」という点に着目する。

私にとって走る時間とは、何にも邪魔されることなく考えることだけに没頭できる貴重な時間である。全てをリセットして自分と向き合う時間というところだろうか。

人には、脳のどの部分を優先的に使い思考するか癖があり、その癖が考え、性格、行動を決定付けると言われている。考え方に癖がつくということは、偏りが生じることにもなりかねない。これを防ぐために、時折いつもの思考やこだわりをリセットし、思いを巡らせることが重要となることもあるだろう。

私自身の経験をお話しさせていただく。私は大学受験に2度失敗している。現役時代第一志望校に合格できず、浪人生活を始めたが、翌年もその大学とは縁がなかった。そこで、悩みながらも併願校に入学した。第一志望不合格は勿論悔しかったが、それ以上に後悔していることがある。実は、この併願校では興味のある分野を勉強できなかった。そこに目を背けて、入学を決めてしまったのである。そのため、大学生として与えられた自由な時間を、将来に対する不安な思いを抱いたまま過ごすことになってしまった。

そんなとき私はランニングをするようになっていた。走っている間は、雑念が無くなると共に沈んだ気持ちが消え去り、自分の欲求に対して素直になれた。村上春樹も『走ることについて語るときに僕の語ること』で、空白の中を走っていると述べている。

「僕は原則的には空白の中を走っている。逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている、ということかもしれない。(中略)走っているときに頭に浮かぶ考えは、空の雲に似ている。いろんなかたちの、いろんな大きさの雲。それらはやってきて、過ぎ去っていく。でも空はあくまで空のままだ。雲はただの過客にすぎない。それは通りすぎて消えて行くものだ。」

この頃の私は自信をなくしきっていたが、走っている間頭に浮かぶ内容は、いつも前向きなものであった。今思うとこれは、ランニングの、脳を活性化させストレス症状を緩和する作用のためとも考えられる。走りながら私は再受験を決意した。

この経験から感じたことがある。本心に目を背けていることほど、辛いことはないということだ。太宰治の名作『走れメロス』でも、メロスはセリヌンティウスを助けるべく「無心」に走っていたようだ。「最後の死力を尽くして、メロスは走った。メロスの頭はからっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。」確かに、走ると頭の中はからっぽになる。そして正直な思いが浮き彫りになっていった。再受験に気持ちを切り替え、状況としては追い詰められていたが充足感を得られていたのは、自分の意思で選択をし直したからだと思う。

プロポーション維持のため、体力作りのためにランニングをする。そういった走り方もある。私にとってランニングとは、一度頭をリセットして自分自身の積極的な選択をする場所である。忙しいときこそ、あえてこのような時間を設けることは重要だと考えている。結果として失敗に終わったとしても、走りながら雑念なしに選んだ選択肢には、私なりに自信と責任をもつことができてきた。だから、何か決断する度に走りたくなってしまうのだ。これが、運動が苦手にも関わらず、いつの間にかランニングの習慣がついていた理由だろう。

学生生活もあと1年となった。来年からは初期研修医となり、現場で診療にあたる立場となる。どこでどのような研修をしたいか。今また私は人生の分岐点に立っている。走る頻度も増してきた。