「漢字にルビをどこまで振るか」問題

せっかく細かくルビを振ってもらったのを、赤でどんどん「トル」「トル」「トル」としていくのはなんとなく気が引けたが、書き手としては基本的にルビは極力少なくしたいのだ。
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ここのところずっと来月出る自著の校正をしていたのだが、一番悩んだのは、漢字のルビをどうするかという問題だ。

元のテキストはウェブ連載だったこともあって、ルビはない。もともとそれほど難解な漢字は使わないし、聞いたことがないような熟語も使っていない。しかし最初のゲラを見た時は、「ひえっ、ルビだらけ!」と思った。

編集者によれば、「ルビ基準は常用漢字外、および難読と思われる訓読み、固有名詞」とのこと。これまでの著作では、難読と思われる漢字や人名にルビを振ることはあったが、ここまでではなかった。今回は映画の本で、あまり読書をしないような人にも手に取ってもらいたいという目標があって、とりあえず大目にルビが振ってあるということなのだ。

しかし、義務教育で教わっていない漢字だからと言って、読めないとは限らない。一般に、書けなくても読める漢字は結構ある。

たとえば、「滲む」「叩く」「揉む」「茫然」「冴えない」「惣菜」「強姦」「尖った」「垢抜けない」「痒い」「殺戮」「噛む」「揃う」「手斧」「雀」「天真爛漫」「薔薇」などを、読めない人はどのくらいいるのだろう。読書好きではなくても、高校生以上なら大体読めるのではないか。たとえ読みに自信がなくても、前後の文脈でなんとなくわかるということもある。

そう考えて、3回くらいの校正の間にかなりのルビを取った。どっちかと言うと見慣れない(読み慣れない)漢字かな?と思ったところは、ひらがなに開いた。せっかく細かくルビを振ってもらったのを、赤でどんどん「トル」「トル」「トル」としていくのはなんとなく気が引けたが、書き手としては基本的にルビは極力少なくしたいのだ。

一切ルビを振らず、「読めなかったら自分で調べろよ」的に突き放すのも一つのあり方だろう。でも今回はそういうスタンスの本ではない。かと言ってあまりにルビが多いと、親切を通り越して読み手を低く見過ぎているような気もするし、見た目も美しくない。

人名はすべてルビを残した。*1「この人有名人だし、読めない人はいないでしょ」と思うケースは多々あったが、編集者によれば「今は誰でも読めても、たとえば30年後にその人は世間から忘れられているかもしれない。そうすると読めない人も出てくる」。‥‥‥そこまでは思いつかなかった。

もちろん30年後に私の本がまだ新しい読者に読まれている(図書館にあるとか)ことが前提の話なのだけど、本を作る人というのはそういうふうに先の先の可能性まで考えるのかと思った。

地名のルビもすべて残した。編集者曰く「東京圏の人なら茅ヶ崎も九段も読めるでしょうが、地方の人がすっと読めるとは限らないのです」。たしかに。東京の地名などあまり知らない人が、この本を手に取るかもしれない。そういう可能性が少しでもあれば、それに沿わせるということだ。

最後まで、ルビを残すか取るか迷い、残したものもかなりある。「繋ぐ」「逡巡」「佇まい」「孕む」「抉る」「忽然」「贖罪」「颯爽」「諺」「几帳面」「屹立」「掴む」など。

そんなの普通は読めるに決まってるよ!と思う人は多いだろう。ここを読みに来るような人は特に。でも自分や自分の周囲にとって「普通」で当たり前であることが、誰にとっても「普通」であるとは限らないのだ。

しかしまた中には、私の本を読んで「こんな漢字にルビ振るくらいなら、こっちにも振らないとバランスが取れないだろう」と感じる人もいるかもしれない。「この漢字にはルビが振ってないけど、これは読めて当たり前ということなのか。それは厳しいのでは?」と感じる人もいるかもしれない。

そのあたりの細かいところは、なんともし難いので、本当に悩ましい。私の中で精一杯想像した上での「これが普通だろう」という感覚も、やはり極めて曖昧なものなのだ。

(2015年11月10日「Ohnoblog 2」より転載)