パフォーマーという生き方。それは社会に「感情の波」を提供する仕事。

パフォーマーの仕事は無意味なのでしょうか。もちろんそんな事ないです。

こんにちはー。 縄跳びパフォーマーの粕尾将一(@macchan8130)です。

縄跳びパフォーマーの朝は早いです。生徒が登校する前に現場入りしますからね。どうしても7時とか7時30分には到着している必要があるんですよ。

すると結構な確率で「始発」に乗ることになります。つくばに居た頃寄りはゆっくりですが、5時58分始発のバスに乗って出張することもしばしば。

もうまわりは真っ暗、バスに乗っている人も半分以上が寝ています。毎朝この出勤を続けていると思うと、頭が上がりません。この光景を見た時、フト「パフォーマー」という職業について考えました。

パフォーマーという仕事が提供するモノ

パフォーマーの仕事は何でしょうか。人にパフォーマンスを見て楽しんでもらい、元気になってもらうことです。縄跳びパフォーマーの場合、主に小学校の子ども達にパフォーマンスを披露してモチベーションを上げ、上達の背中を押す仕事です。

でもこれ、実際に何かを生み出してるわけじゃないのでは?と思うのです。

たとえば先ほどの「始発バス」だと、駅まで遠くに住んでいる人に便利さを提供しています。じゃ縄跳びパフォーマーは何を提供しているか…実は直接的には何も提供できてないのではないでしょうか。

パフォーマンスを見た後、という二次的な効果を提供

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じゃパフォーマーの仕事は無意味なのでしょうか。もちろんそんな事ないです。

縄跳びパフォーマーとして小学生に楽しんでもらい、モチベーションが上がります。すると通常授業でも子ども達は意欲的に取り組むようになるんです。また縄跳びパフォーマーに教えてもらった方法で、子どもが新しい技ができるようになったら?先生方はもちろん、親はメッチャ嬉しいですよね。

これが縄跳びパフォーマーの提供する価値です。

つい先日も友人の幼稚園児に縄跳びを教えました。あれよあれよと上達し、終盤には「二重跳び」ができたんです。もちろん本人も驚きと喜びでいっぱいでした。が、本人以上に喜びを爆発させていた友人の笑顔は、今でも忘れられません。

パフォーマーは社会の応援団

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極端に言えば縄跳びができなくても人生に困ることはありません。

困ることはないでしょう。しかし「難しい技ができた!」「うちの子もやればできるんだ!」といった喜びの瞬間、感情の波が生まれます。だからこそ子どもは自信を持ち、親も子どもを通じてハッピーになれるのです。

パフォーマンスは利便性や消費といった「直接的な価値」を生み出すことはできません。一方でこうした「ハッピーの時間」という価値を提供しています。

つまりパフォーマーは社会に生かされている職業といえるのではないでしょうか。

(2016年2月3日 「なわとび1本で何でもできるのだ」より転載)