菅氏に「嘘つき!」翁長前知事の県民葬で私が目にした沖縄の人々の怒り

その怒声は、彼の後ろにいる私たちにも向けられている。
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8月に亡くなった翁長雄志元沖縄県知事の県民葬が10月9日、那覇市内で営まれた。およそ2400人を収容できる会場に入りきらないほどの人々が集まり、故人を悼んだ。

私は、2009年から沖縄の近現代史について調査を続けており、年に何回か沖縄を訪ねて聞き取りをしている。そんな私なりの視点から、今回の県民葬を通して感じたことを紹介していきたい。

■菅長官にぶつけられた「怒り」

県民葬は午後2時から始まることになっていた。私は、東京からの始発便で那覇に飛び、その足で式場となった県立武道館へと向かった。

午前11時ごろには到着し、「少し早く着きすぎたかな」と思ったが、すでに式場の周辺には参列者が集まり始めていた。

入場時刻になるまで、何人かに話を聞いた。小中学校で翁長さんと同級生だったという男性、どうしてもお礼が言いたいと石垣島から駆けつけた親子、友人同士でやってきた人もいた。彼らは口を揃えて「翁長さんが沖縄をひとつにしてくれた」と話す。

翁長雄志という県知事の存在が、沖縄にとってどれだけ大きなものだったのか、ひしひしと伝わってきた。私もまた、この政治家に同じような思いを寄せてきた。

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開式の数時間前から、会場近くには参列者が集まっていた=2018年10月9日午前、那覇市の奥武山公園
木内慧

式が始まると、黙祷に続いて、翁長さんが「期待する人物」として名前を挙げ、このほどあった選挙で当選した玉城デニー新知事が式辞を読み上げた。翁長さんが普及に取り組んできたウチナーグチで式辞を締めくくると、会場には拍手が響き渡った。

続いて登壇したのが、菅義偉官房長官だった。式場内はなんともいえない緊張した空気に包まれる。私は、翁長さんと菅長官の間のあるやり取りを思い出していた。

新基地建設反対の民意が重ねて示された後も、菅長官は「粛々と工事を進める」と繰り返していた。知事に就任した翁長さんは「粛々と進めるという発言は問答無用という姿勢が感じられる。上から目線の言葉を使えば使うほど、県民の心は離れ怒りは増幅する」と苦言を呈した。

その後、菅長官は「粛々」のことばを封印するが、少なくとも私には「上から目線」で「問答無用」の姿勢は改められることはなかったように感じられる。

首相の代読というかたちでの追悼の辞の終盤、菅長官は「基地負担の軽減に向けて、ひとつひとつ確実に結果を出していく決意であります」と読み上げた。直後、「嘘つけ!」との声が飛んだ。

最初の声に呼応するように、次第に会場中から「民意を尊重してください」「心にもないことを言うな」「帰れ」などの声が大きくなり、それらは1分以上続いた。

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沖縄県の翁長雄志前知事の県民葬で式辞を述べ、席に戻る玉城デニー知事(手前)。後方は、菅義偉官房長官=2018年10月9日、那覇市の県立武道館[代表撮影]
時事通信社

ここ数年、沖縄で開かれる式典で政府関係者に一言二言の反発の声がかけられることはよくあることだった。しかし、今回はいつになく声の数が多く、その時間も長いことに驚かされた。

閉式後に話を聞いたある女性も、この時声を挙げていたという。

「いてもたってもいられなくなって、自然と声が出ていた」

政治的考え方や、イデオロギーからくる「ヤジ」ではない。あの声の数々は、県民の代表の声に聞く耳を持たなかった国が増幅させた「怒り」に違いなかった。

葬儀の場に混乱を持ち込むような行動には、批判もあるだろう。声を挙げた人の多くも、本当は静かに追悼したかったはずだと思う。それにも関わらず、声を張り上げなければならないほどの怒りの本質は何か。私は、菅長官に向けられた怒声は、同時に「本土」で暮らす私たちにも向けられているのではないかと感じた。

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祭壇には、座右の銘が書かれた銘板や、9月の県民大会で身につける予定だった帽子などが並べられていた=2018年10月9日、那覇市の県立武道館
木内慧

■「沖縄が日本に甘えているんですか」

私は東京で生まれ育ち、沖縄に縁があるわけではないが、2009年に「普天間飛行場移設問題」が注目されたことをきっかけとして、沖縄を取り巻く問題に関心を持った。今は大学院で沖縄の近現代史を研究している。

「本土」で生まれ育った立場で、沖縄について考える時には常に自分の「ポジショナリティ」(政治的な立ち位置)について意識させられる。

今年1月に内閣府が行なった世論調査では、81.9%の人が「現状どおり日米の安全保障体制と自衛隊で日本の安全を守る」べきだと答えている。だが、日米安保条約を根拠に置かれている在日米軍専用施設面積のおよそ70%が、国土のおよそ0.6%にあたる沖縄に集中している。

国民の大半が日米安保は必要だが、その負担面は「現状どおり」沖縄に担ってもらおうと考えているということだ。

「本土」に住む人々の中にも、当然いろいろな考えを持つ人がいる。「自分は沖縄の民意に思いを寄せている」「日米安保体制に賛同などしていない」という人もいるだろう。しかし、これまで沖縄に犠牲を強いてた政府の方針を転換させることができなかった以上、「本土」のポジショナリティから逃れることはできない。

「沖縄が日本に甘えているんですか。それとも日本が沖縄に甘えているんですか」

翁長さんは、生前そう訴えていた。

私が友人に沖縄のことについて研究をしていると話すと、今だに「でも、沖縄は基地があるから暮らしていけるんでしょう」などと言われることがよくある。まるで、都会で金を稼いだ自分たちの「おこぼれ」を分けてあげているかのような上から目線だ。

そこには、自分の街の空を轟音の軍用機が昼夜を問わず飛び回り、屈強な兵士たちと隣り合わせで暮らすことを受け入れる覚悟は見えてこない。

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米海兵隊普天間飛行場の移設先に計画されている辺野古の海岸。中央は米軍のキャンプ・シュワブ。移設工事は現在、県による埋め立て承認撤回で止まっている=2018年10月2日、沖縄県名護市(小型無人機で撮影)
時事通信社

一言付け加えておきたいことがある。私は度重なる調査の中で、たくさんの沖縄の人たちとじっくり話す機会に恵まれた。意外だったのは、「本土」を責めることなく、むしろ「沖縄と同じ思いをはさせられない」と、「県外移設」に否定的な人が少なからずいたということだ。

もちろん、「過大な負担を押し付けられている」という本音はあるのだろう。でも、「本土」との関係を損ないたくないという気持ちもあり、そうした一見相反するような思いを抱えていることがむしろ、私にはリアルに感じられた。

私の思いも複雑だ。沖縄と「本土」の対立をいたずらにあおりたくはない。その一方で、本土への「気遣い」を見せてくれた沖縄の人たちに甘えていいのだろうか、と心が苦しくなる。

■誰が沖縄を「負かそう」としているのか

県民葬の終盤、翁長さんの軌跡を追った映像が上映され、最後のひとことに会場中が拍手に包まれた。

グスーヨー、負ケテナイビランドー。ワッターウチナーンチュヌ クワウマガ マムティイチャビラ。チバラナヤーサイ。

(みなさん、負けてはいけません。私たちウチナーンチュの子や孫を守っていきましょう。頑張りましょう)

[2016年6月19日「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し海兵隊の撤退を求める県民大会」での翁長知事あいさつ]

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米軍属による女性殺害事件に抗議する沖縄県民大会で、あいさつする沖縄県の翁長雄志知事=2016年6月19日、沖縄県那覇市の奥武山公園陸上競技場
時事通信社

誰が沖縄を「負かそう」とし、「子や孫を脅かしている」のか。それを考えたとき、私は決して、沖縄をめぐる問題を他人事にすることができない。

度重ねて、沖縄が「新たな基地は造らせない」「普天間飛行場を返還してほしい」という民意を示しても、人口比では日本全体の1%あまりの沖縄県民の声に、政府は向き合ってこなかった。先述したポジショナリティを考えれば、その政府の姿勢を支えているのは、99%の「本土」に住む日本人である。

このままでは、沖縄と「本土」の間の溝は取り返しがつかないほどに深まっていってしまうだろう。「沖縄の基地問題」ではなく、一人ひとりが「日本の問題」として考えることが、現状を変えていくために必要なことなのだと、私は考えている。

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県民葬の会場に入りきらなかった人々が、献花のために長い列をつくった=2018年10月9日午後、那覇市の奥武山公園
木内慧