【3.11】「高所へ逃げろ」と書かれた陸前高田市立図書館の本がたどった運命 地域の歴史を忘れず、伝えるために

高所へ逃げろ。「津波記念碑」という本の表紙には、そうメモ書きされていた。2011年3月11日、東日本大震災による大津波は、この本を所蔵していた岩手県の陸前高田市立図書館を襲い、職員7人全員が落命、蔵書8万冊も全て流出した。津波に浸水し、ボロボロとなってしまったこの本は、その後、どのような運命をたどったのだろうか?
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日本図書館協会

高所へ逃げろ。「津浪記念碑」という本の表紙には、そうメモ書きされていた。2011年3月11日、東日本大震災による大津波は、この本を所蔵していた岩手県の陸前高田市立図書館にも襲いかかった。職員7人全員が落命、蔵書8万冊も全て流出。地域の人々に愛されてきた図書館は、壊滅した。

図書館の貴重な資料を救うため、博物館や図書館関係者は早くから動いていた。4月には、図書館の特別書庫に収蔵されていた岩手県指定文化財の「吉田家文書」などが救出。岩手県立博物館や国立国会図書館による修復作業が行われた。

しかし、文化財として重要な資料以外の図書館の本は、骨組みだけとなった建物周辺に散乱。自衛隊や地元の人たちによって車庫に積み上げられ、震災から1年近く経ってもそのままにされていた。「津浪記念碑」もそのうちの1冊だった。津波に浸水し、ボロボロとなってしまったこの本は、その後、どのような運命をたどったのだろうか?

■震災後、車庫に積み上げられていた図書館の資料

津波災害で得た教訓を後世に残すために記した記念碑は、東日本大震災以前から三陸海岸の各地に建立されている。「津浪記念碑」は郷土の歴史を研究していた宗宮参治郎さんがまとめたもので、陸前高田市内にも点在している津波記念碑を丹念に調査している。

たとえば、1934(昭和9)年に建てられた「広田小学校下道端の津波記念碑」には、1876(明治9)年と1933(昭和8)年に襲来した津波の死亡者数とともに、「地震があったら高所へ集まれ」「津波と聞いたら欲捨てて逃げろ」「低いところに住家を建てるな」といった教訓が書かれていたとある。

2005年ごろにまとめられたと推測されるこの本は、「吉田家文書」のように文化財にこそ指定はされないが、地域にとっては重要な郷土資料であることに変わりない。震災前の陸前高田市立図書館は、こうした郷土資料も積極的に集めていたという。

車庫に山積みとなっていた本の中から、なんとかして郷土資料を救出できないか。2012年3月、岩手県立図書館や日本図書館協会などが現地を訪れ、約500点を発掘した。そのうちの51点がもはや再入手が困難であり、「貴重な資料として後世に伝えていきたい」という陸前高田市の意向を受け、2013年9月に東京都立中央図書館(港区)の資料保全室へと運ばれた。「津浪記念碑」もその中に含まれていた。

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津波に襲われた直後の陸前高田市立図書館

■試行錯誤を重ねながら、東京都立中央図書館で修復

都立中央図書館の資料保全室は、全国の公立図書館で唯一の資料修復専門部署だ。前身である東京市立日比谷図書館が1908(明治41)年に開館して以来、資料の修復技術を受け継いできた。通常は専門の職員が江戸時代の和装本の保存や、経年劣化した資料の修理などを行っている。

高い修復技術を持つ資料保全室だが、津波による塩分や汚泥を含む資料を修復するのは、初めての経験だった。「塩分や汚物を含んだ泥は、普通の落とし方では取れない状態でした」と振り返るのは、資料保全専門員の眞野節雄さんだ。津波被害に遭った本の修復についての研究も少なく、作業は試行錯誤で進められた。

修復は、資料を紙1枚、1枚に解体することから始まる。粉塵やカビが飛散したり、作業する職員の健康を害さないよう、フィルター付きの集塵機を使いながら作業する。解体が終わったら、乾燥している状態で落とせる汚れを刷毛やスポンジで落とし、クリーニング。汚泥にも浸かっているため、エタノールで消毒をほどこす。

「それから、紙を1枚1枚、慎重に洗いますが、津波に浸かった資料を扱った経験が誰もありませんでした。どれぐらいの温度で、どれぐらいの時間、洗えばいいのか、最初は本当に手探りでした」と眞野さん。「海水に浸かった資料には塩分が入っています。塩分をきちんと抜かないと紙が湿り気を帯びてしまい、湿気が入りやすくなる。その後、カビが生えやすくなってしまうのです」

濡れると破れやすい紙を丁重に洗い、伸ばして乾燥。「それから後は、私たちが通常、行っている作業になります。和紙とでんぷん糊で欠けているところを修復します。カビにやられていて脆弱になっているページは、極薄の和紙を全面に貼ります」

長ければ1冊につき1週間かかるという工程を職員3人で行い、1年半にわたる修復は完成した。そうして作業を終えた51点は3月20日、仮設で運営されている陸前高田市立図書館に返還される。

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和紙を貼り、丁寧に修復する眞野さん

■「陸前高田市の方々に、きれいになった本を触ってほしい」

今回、修復された郷土資料は、陸前高田市の子供たちの文集や、高齢者が書いた文章をまとめた本、地域の人たちが書き記した郷土史といった本だった。中には、津波で失われてしまったであろう建物の写真が掲載された本もある。

「こうした資料は岩手県内の他の図書館にはありませんし、再入手できないものばかりです。そもそも、何部発行されたかもわからない。陸前高田市立図書館は、地域の人たちが書き記したものを残していかなければと、震災前から熱心にこうした郷土資料を集めていらっしゃったと聞いています。それが津波に全て流され、職員の方も亡くなられました。現在の図書館の方たちも、再度、郷土資料を集めて、陸前高田の歴史を残して伝えていきたいとおっしゃっています。

僕たちは最初、状態があまりにひどいので修復は諦めた方がいいと思いました。デジタル化して、残せばいいと。でも、資料を直していくうちに、犠牲になった陸前高田市の方々や、図書館の方々の形見のような思いがしました。今回、再出発の第一歩のお手伝いがちょっとでもできました。こんなにうれしいことはないです」

眞野さんたちの手によって、「津浪記念碑」もきれいに修復された。

「誰が書いたのかわかりませんが、表紙に『高所へ逃げろ』とありました。震災前のものでしょう。この本は津波に流されましたが、こうして復活できた。ぜひ、陸前高田市の方々に、きれいになった本を触ってほしいなあと思います」

資料保全室では追加資料として、地元の郷土史家の人が自宅に保存していた郷土資料83点を受け入れ、修復の作業にかかっている。こちらも2016年度までかけて、丁寧に復活する予定だ。

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きれいに修復された「津浪記念碑」

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