「町に帰らないのは放射線量が理由ではない」 避難を続ける福島県民の本音【東日本大震災】

福島第一原子力発電所の事故によって一時は全町民に避難が指示された福島県の広野町で6月11日、「幸せな帰町とは何か」を考える国際シンポジウムが開かれた。
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福島第一原子力発電所の事故によって一時は全町民に避難が指示された福島県の広野町で6月15日、「幸せな帰町とは何か」を考える国際シンポジウムが開かれた。

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福島第一原発から南に20km離れた場所に位置する広野町は、2012年3月31日に避難指示が解除され、約3割の住民が町に戻った。しかし、20〜30代の帰町率が低く、さらにこの世代の女性は、男性の半分ほどしか戻っていない

町に人が戻るためには、何が必要なのか。地元住民をはじめ、世界各地で発生した大災害による住民避難について研究している海外の研究者らが議論を交わした。

■「放射線量は、理由付けでしかない」

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放射能測定マップ

会場でひときわ注目を集めたのは、広野中学の3年生による「町に人が戻らないのは、原発事故による放射線量が理由ではない」という発言だ。福島市や郡山市などの県央の地域に比べて広野町の放射線量が低い点をあげ、「放射線量は避難を続けるための理由付けでしかない」と強調した。

では何が理由で、住民は町に帰らず避難を続けるのか。この生徒は続ける。

「一番の理由は、『便利か否か』ということだと思います。私も今、いわき市に避難していますが、広野町に比べると便利。いわき市、福島市や郡山市に避難している人たちは、みな同じではないでしょうか。なぜ町民が(本音を)言わないのかというと、白い目でみられるからです」

こう考えるのは、この中学生ばかりではない。震災後は神奈川県に避難し、2014年4月に3年ぶりに広野町に戻った馬上直子さん(35)も、避難先の便利さによって帰町をためらった一人だ。「神奈川に居れば、子供たちにとって、将来の選択肢が広がる」と考え、避難先の利便性にしがみついていたと、当時を振り返る。

■原発事故によって本音が言えなくなった

「利便性」以外にも、帰町しない避難者の本音は存在する。しかし、原発事故によって、広野町に本音を言いづらくなった状況が生まれたため、表に現れにくくなっている。

事故前は気軽に話していた隣の家の家族とも、原発や放射性物質に関する考え方が異なると会話しづらくなった。住民の間だけでなく、親や子供、夫婦、兄弟といった家族の間でも、心の分断が生じている。

「うちはこれだけの賠償しかもらえないのに、近所のあそこの家はもっと出ている。納得いかない」

「広野に戻りたいと夫婦は思っても、県外の実家が口を出してくる」

「夫は早く戻りたがっているけれど、原発作業員が増えて、怖い。娘もいるし。ここなら買い物も近い。」

「親は戻りたいというけれど、町には何もない。広野には高校もないし」

シンポジウムの前日、仮設住宅で避難者のヒアリングを行った専門家によると、家族と帰町について話し合いを行ったかとの質問に、住民は一斉に口をつぐんでしまったという。家の中でも難しい話題を、外で語ることは余計に難しい。

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ワシントンDCの復活の兆しを報じるNew York Times

それでも専門家らは、住民が主体となって本音ベースの意見を出すことが復興には不可欠だと指摘する。アメリカの研究者は1968年のキング牧師暗殺の際に起こった暴動で、ワシントンDCの町が長期にわたって廃虚と化した事例を紹介。暴動から30年ほど経ってからやっと、街が変わり始めた理由として、住民らが自身の思いを述べ、主体的に街のビジョンづくりに参加したことをあげた。

専門家らは海外の事例として、経済力の違いや、持ち家の有無などの住民の状況によって、帰還する・しないの考え方に様々な違いが見られたと報告。それぞれの状況に応じた支援が必要と指摘する。

■町民の本音を引き出せるか

このシンポジウムを通じで、住民からは「本音を聞いてもらえる場所がほしい」との発言が何度もあったが、それは町に対して本音を伝えたいという要望であると同時に、素直に住民同士がコミュニケーションを取りたいというものでもあった。

シンポジウムでは、復興には「あらゆるステーク・ホルダーがお互いに本音の声を交換できる場をつくること」が重要などとする内容が盛り込まれた提言が採択された。シンポジウムの終了後には、福島県内だけでなく県外からの参加者からも町民らに対し、交流の場作りに参加できないかなどの申し出が行われている風景も見られた。

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提言を読み上げる参加者ら

一方、自分の本音をまだまだ気軽に話せる状況ではないなか、広野町は2014年4月、「広野町復興計画(第二次)」を策定したと発表している。約10日間の間に19件寄せられたパブリックコメントの内容確認を経て決定されたものだが、匿名でのコメントは受け付けられなかった。

広野町はこの計画は骨組みであり、詳細は今後詰めることになるとしており、住民との合意形成のための話し合いの場も、今後設けるとしている。

遠藤智・広野町長は閉会の挨拶で、今回のシンポジウムで海外の事例が紹介されたことを取り上げ、今後の広野町の取り組みについて「世界で避難の問題に取り組む人々に対しても、大きく貢献できる」と述べた。住民の本音は今後どのように共有され、町の復興に盛り込まれることになるのか。広野町民の本音を引き出す、メンタルのケアを含めた環境づくりが急がれる。

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