現政権を結果的に支え続ける日本のメディアの「特ダネ原理主義」とおさらばを

読者の皆さんには冷静になってほしい。

「籠池氏立件へ」「籠池氏逮捕へ」「籠池氏聴取へ」「逮捕取りやめへ」

元々、「森友学園問題」とは国有地が安部首相と関係のある団体に特別価格で売却されていた疑惑だったはずなのに、最近のメディアを見ていると、いつのまにか、民間人の補助金不正受給疑惑にすり替えられてはいないか。加計学園問題でも、告発者の個人攻撃が展開されたが、構図はそっくりだ。先日のブログで内閣改造の度に新しい閣僚の顔ぶれを探る「報道合戦」が間接的に内閣支持率を上げていると書いたが、今回もメディアの報道合戦がこのすり替えに大きく寄与し、結果的に政権を支援している。

1970年代、沖縄密約疑惑を報じた元新聞記者が女性問題で叩かれたことがあったが、政権にとって邪魔な存在は個人攻撃を受け、メディアがそれに加担する歴史はずっと繰り返されている。

メディアの報道合戦が特に加熱するのは事件報道であり、中でも地検特捜部のネタは一番熱くなる。私が記者だったころ、上司から「事件に強くなれ」と何度も言われた。私がいた毎日新聞大阪本社は、東京本社と違って政治部も外信部もないため、社会部が絶大な権力を持ち、中でも事件担当は一番の花形だった。そして、事件担当の中でも大阪地検特捜部を担当するのはエース中のエース。数年前、東京地検特捜部担当になった元同僚と飲む機会があった。

「検察官の友達いたら紹介して。検察官と飲みに行けるなら、全国どこでも行けるよ。うちの部署が一番予算自由に使えるから」と言っていた。仲良くなった検察官が北海道にいる方だとしても、その検察官を通して、他の検察官と知り合い、そこから地検特捜部の人へと切り込んでいくというわけだ。

2010年に大阪地検特捜部の検察官が証拠を改ざんした疑惑を朝日新聞がスクープ。私は2009年まで毎日新聞におり、数年後、元同僚たちと飲んでいた際、私がいたころ出世街道にいた先輩記者たちについて尋ねると、「ああ。あの人は一線からは外れたよ。改ざん事件を朝日にスクープされたから、あの時事件担当していた人たちは皆外されちゃった」と教えてくれた。それくらい、地検特捜部ネタで他社にスクープされるというのは記者生命の生死に関わることなのだ。

だから、政権を支持する新聞社も、支持しない新聞社も、皆こぞって、大阪地検特捜部がいつ、何の容疑で籠池氏をどのように立件するのかの報道合戦を繰り広げている。この報道合戦が問題のすり替えになり、間接的に現政権を支持することにつながる可能性なんて関係ない。各社の出世街道を走るエリート記者のプライドにかけて、地検特捜部ネタで他社に負けるわけにはいかないのだ。

記者クラブ制度など、日本のメディアは閉鎖的と批判されることがあるが、私は、何よりも特ダネが優先される、この「特ダネ原理主義」こそ日本のメディアがうまく機能しない最大の要因だと思う。

読者の皆さんには冷静になってほしい。大阪の一民間人が数千万円の補助金を不正受給していた疑惑が、実際に立件される前から、ここまで大きく報じられることは異常である。私の住む新潟の地方紙でさえ、聴取した事実を社会面で大きく扱っている。国有地の売却問題で籠池氏が有名人になってしまったから大きく報道されているだけであって、これが籠池氏でなければ、聴取の段階でこれだけ大きく扱われることはないだろうし、大阪の話が、新潟の地方紙で報道されるかも微妙なところだ。

メディア各社には改めて問いたい。そろそろ「特ダネ原理主義」はやめにしませんか。本来、政府の不祥事を暴くのがメディアの役割のはずなのに、記者の自己満足のために、政府の不祥事を隠蔽することに加担してしまっている。本当に籠池氏が不正受給していたのだとしたら、それはいけない行為であり、しっかり報道はすべきだ。しかし、この問題が、国有地が首相と関係のある団体に特別価格で売却された疑惑と同等の扱いで報じられるべきなのか、はなはだ疑問である。

もし、「この捜査は、政権の不祥事を隠蔽するための国策捜査だ」と判断するのなら、「わが社はこの事件は大きく報道しない。結果的に他社にスクープされるなら仕方ない」という気概を持ってほしい。

毎日新聞のホームページを開くと、以下のキャッチコピーが出てくる。

誰でも送り手になれる世の中だからこそ、情報の質が問われている。

これは読者に問う言葉ではなく、自分たち自身に問う言葉ではないか。