自分の街で触れる「当たり前」が、実は大切?
4月1日、那覇の市制100周年を祝う「かなさなはPROJECT」が発足した。当たり前をもっと深く考える、これまでにない視点や考え方を活かして社会課題の解決に取り組む「Rethink PROJECT」が協力し、地域の企業、団体、個人等とのパートナーシップのもと、ともに作り上げている。
「かなさなは」とは沖縄の言葉で「愛(かな)さ、那覇」のことで、文字通り「那覇愛」を意味する。
JT沖縄支店でRethink PROJECTに取り組む中川慎也さんに、プロジェクト発足のきっかけを伺った。
「那覇市が市制100周年を迎えるにあたって、“Rethink” というコンセプトを使って何か一緒にできないだろうか、と那覇市と一緒に話を進めてきました。Rethink PROJECTが協賛している『Rethink Creator PROJECT』が那覇市でセミナーを行なった時からですね。そこからいろんなパートナーさんにお声がけして体制を整え、4月1日の発足まで急ピッチで押し進めることができました」
主催団体の新世紀那覇実行委員会の代表・栽愛美さんは、那覇市出身、那覇市育ち。このプロジェクトにはこんな期待を寄せている。
「那覇で触れるものを当たり前に思ってしまって、その大切さを忘れてしまっていることもあるんじゃないかと思っています。この『かなさなはPROJECT』を、100年という長い歴史を振り返るきっかけにしたいです。多くの人が、この100年をつくってきたのは自分たちなんだ、と誇りを持てるような、自分ごととして捉えてらえる場所をつくりたいな、と」
若い世代が、外に夢を探しに行ってしまう現実
このプロジェクトに、クリエイティブディレクターとして関わる羽室吉隆さんは、これまでさまざまな街の地域活性化に携わってきた。
「100周年をお祝いする時に、那覇の人が『お祝いしてもらう』感じになっちゃダメなんですよね。地域活性化のプロジェクトでたまにあるのが、外からやってきた人たちが形だけ作って、当の街の人たちがあまり楽しめていない、という状況。今回は、大好きな友達の誕生日を祝うようなワクワクする気持ちを持ってほしいと思っています」
実は、中川さんが取引先に「100周年」の話をした際、「知らなかった」という反応がほとんどだったそう。でも「かなさなはPROJECT」について説明すると、「何か一緒にできないかな」という姿勢になってくれるという。
今回の「100周年」という分かりやすいタイミングで、見えてくることがあった。それは、那覇の人たちが、自分の住んでいる街の本当の魅力を、じゅうぶんに可視化、言語化できていないのかもしれない、ということ。
那覇というと、どうしても、観光客向けのリゾート地としてのイメージが強い。羽室さんは、「『那覇は海が綺麗で、自然が豊かで…』という外向けのイメージを、那覇の人たち自身も定着させてしまっている。本当の街の魅力は、その思い込みをこじ開けないと出てこない」と語る。
2021ベストオブミス沖縄の沖縄代表の養成にも携わり、若い世代と関わることの多い栽さんも、同じような課題を感じていた。
「若い子たちは、那覇市で何ができるかな? を考える前に、外に自分の夢を探しに行ってしまう。それを見送るのが、嬉しいような寂しいような、複雑な気持ちです。だから、那覇市で誇りを持ってできることをもっとつくらないといけない、と感じています」
自分の街に「あなたは魅力に満ちている」と言えたら
具体的な活動としては、4月1日にプロジェクトの発足式を行ったのち、「#かなさなは」で那覇市の魅力を集約するインスタグラムキャンペーンや、ポスターを市内に掲載する。実施期間は4月1日~7月9日。
コンセプトは、那覇市の花であるブーゲンビリアの花言葉「あなたは魅力に満ちている」だ。これは、ディスカッションをしている中で出たアイディアだという。羽室さんは「 僕自身は当初、誕生日だから蝋燭のデザインなどを考えていたんですけど」と振り返る。
「みんなが、『いや、那覇は“花”がいいです』って(「那覇」を逆さから読むと「花」)。それで市の花がブーゲンビリアだということを知って、たまたま花言葉を調べてみたら『あなたは魅力に満ちている』だったんです。まさしく、僕らが那覇に対して言いたいことだな、と」
オープンなディスカッションの場で偶然生まれたアイディアが、こんなふうに形になった。
ここまでは、那覇市の魅力を「伝え合う」という目的。その後は、那覇市の魅力を「語り合う」というテーマで、市民も地元企業も一堂に介して「これからの100年」をディスカッションするイベントを計画中だという。
「これからの100年」についての思いを、栽さんが教えてくれた。
「私も、この企画で初めて『100周年だったんだ!』と知ったんです。100年後は『200周年だったんだ!』じゃなくて、『そろそろ200年じゃない?』と、誕生日がくることをみんながワクワクできるような空気をつくっていきたいと思います。私はもう死んでしまっているけれど、自分の子どもたちの世代がそういうふうに思えたらいいですよね」