9月に入り、秋を迎えました。秋は食欲の秋、運動の秋など、楽しみ方は様々ですが、My Eyes Tokyoとしては"芸術の秋"、中でも演劇や舞台などの鑑賞をご提案させていただきたく思います。そこでこの度私たちから、イギリスで生まれ育った女優兼声優のReinaさんをご紹介いたします。
私たちがReinaさんに出会ったのは2014年春 - スウェーデン人落語家ボルボ亭イケ也(現・三遊亭じゅうべえ)さんなどが出演した巣鴨での落語会でした。そのイベントにお客さんとして参加されていたReinaさんでしたが、当時すでに声優としてのキャリアを歩み始めていた彼女の話をお聞きし、一気に興味を持ちました。
もちろん私たちは、いつか彼女にインタビューしてみたいと思っていました。そのチャンスは、思いがけない形でやってきました。2016年10月、堤真一、松雪泰子、黒木華、溝端淳平といった錚々たる日本人俳優たちと舞台で共演、しかも日本語のみで演じるという快挙を成し遂げたのです。
私たちはこの才能あふれる女性とのトークセッションを、400年の歴史を持つお寺にて開催。参加者たちはReinaさんのサクセスストーリーや、成功をつかむまでの言葉と文化の壁との闘いに心を震わせていました。
撮影:土渕正則
*インタビュー@妙善寺(港区六本木)
*英語版はこちらから
■ 私と日本をつないだ意外なもの
「Reina」という名前は芸名です。私の本名の一部を漢字で書いたものにちなんで付けました。小さい頃はアニメや『オズ』のようなファンタジー映画を見るのが好きで、9歳の頃に女優に憧れるようになりました。
私はアメリカの『ザ・シンプソンズ』というアニメが好きでした。中でも登場人物のバート・シンプソンの吹き替えを担当したナンシー・カートライトという人の話が印象に残りました。彼女は元々テレビ女優でしたが、バート役の声優に選ばれ、それがきっかけで一躍有名になりました。外見に関係なく、スタジオでは声を使ってあらゆる役を演じられ、その役に制限が無い - そんな声優の魅力を知り、私は声優になることを決意しました。14歳の頃でした。
16歳の頃、私は偶然あるアニメを見ました。『北斗の拳』です。欧米では、アニメやマンガはだいたい子供向けか家族向けでした。だから私は、なぜそのアニメがイギリスで、いわゆる"18禁"なのか不思議に思っていました。ビデオのパッケージの裏を見ると、そこには"日本製"の文字。私は思いました。「かっこいい!もっと日本のアニメを見てみよう!」。『北斗の拳』は新しく、ワクワクに満ちた、より広い世界へと私の目を開かせてくれました。なぜならそれが「大人向けのアニメやマンガがあっても良いんだ!」と初めて感じた瞬間だったからです。
私は日本のアニメ、そして日本そのものへの興味を募らせていきました。2000年頃には『ポケットモンスター』や『カードキャプターさくら』といったアニメを見るようになりました。
■ 日本語で演じる声優を目指して
大学進学を考えていた時、"日本語および現代日本社会コース"という文字が目に飛び込んできました。私の中のもう一人の私が、小さい声で囁きました。「東京に行って声優学校に入って、日本語で日本人たちと一緒に演じたり歌ったり踊ったりできたら、それって最高にカッコイイじゃない?」って。私は答えました。「そうね、それってカッコイイよね!」。こうして私は日本語をゼロから勉強することになりました。
私は専攻していたコンピューターと、日本語や日本社会について、イギリスで3年半勉強しました。
大学3年生になった2004年、ついに来日。東京にある桜美林大学で1年間、日本語を勉強しました。 桜美林には40人もの交換留学生がいて、私はそれまでの人生で初めて韓国人や中国人に出会いました。アメリカ人にも出会いましたが、それすらも人生初だったんです!
■ 働きながら声優学校に入学
1年間の海外生活の後、イギリスに帰国して大学を卒業しました。日本に戻りたいと思っていた私は、卒業してから2年後、再び日本に向かいました。ただし問題が一つありました - 再来日のタイミングです。ちょうど2008年、リーマンショック直後だったのです。大変でした。でもイギリスに戻ることは考えませんでした。
私は就職活動を始め、ブルームバーグ東京支局に3ヶ月間のインターンとして入社。インターン修了後、中学校のALT(Assistant Language Teacher: 外国語指導助手)として働き始めました。生活が安定するようになり、私は2010年に声優学校に入ろうと決めました。
私は"代々木アニメーション学院"という学校を見つけました。ここはアニメ関連では日本で最初の学校で、体験レッスンを受けたり、有名な声優さんたちとのトークイベントに参加したりしました。当時私は月曜から金曜までALTとして仕事をしていたので、1年間の土曜だけのコースを受講しました。それから私は全日制2年コースに移るべく、他の学校の体験レッスンを受け始めました。
幸いなことに、私は"東京アニメ・声優専門学校(以下「東アニ」)"という、2011年に創設されたばかりの学校を見つけました。私は東アニの設備とアニメ業界内への豊富な人脈、さらに現役で活躍している人たちが講師であることに惹かれ、入学しました。開校と同時の入学だから、私たちは第1期生。しかも私は声優コースでただ一人の外国人でした。
撮影:土渕正則
■ イントネーション - 最大の難関
私が東アニでの新生活に向けた準備を終わらせたのは、東日本大震災の3日前でした。地震発生後の最大の心配事は、福島の原発から漏れ出た放射能でした。多くの外国人交換留学生が入学を取りやめ、来日せずに母国に残りました。そのような危機にありながらも、私にとっては帰国は有り得ない選択でした。なぜなら当時の私は、ロンドンにいても全く未来が見えなかったからです。それに私がここまで来るのに9年という歳月をかけたわけで、それを捨てることなどできませんでした。だから私は命を賭けて2011年4月に東アニに入学しました。
講義は全て日本語だけで行われました。漢字をきちんと認識して読めるように勉強する必要がありましたが、それ以上に私を悩ませたものがありました。"完璧な標準語イントネーション"です。これを身につける必要があるなど、私は全然知りませんでした。入学して1ヶ月にして、私の描いていた計画は木っ端微塵になりました。イントネーションは中国語にとってはすごく重要だということは、皆さんご存知だと思います。だけどそれが日本語の、口を使ったパフォーマンス全てにとっても大事だなんて、私は全然知りませんでした。日本語の"ハシ"には"橋""箸""端"の3種類あるとか、そういったものです。私は普段の会話には困りませんでしたが、大きな声で台本を読むことについては、多少考えながらやる必要がありました。標準語を話すために必要な平板型イントネーションを身につけるのに半年かかりました。しかも外国人である私だけでなく、日本全国から来ていたクラスメイトも同じように壁にぶつかっていました。彼らの日本語には出身地の訛りが残っていたからです。
東アニの授業のほとんどは台本をベースにしたものでした。毎週私たちは台本を読み、シーンを学び、感情を込めて読み、クラスメイトと先生の前で発表し、先生に意見をいただくというサイクルを、2年間にわたり繰り返しました。そのおかげで私の日本語読解力は飛躍的に伸びました。おそらくイギリスで日本語を学んだ3年半以上に、でしたね(笑)
■ 日本で時機を待つ
2年生の時、私たちは声優事務所への応募を始めました。オーディションや就職フェアがたくさん行われていましたが、私は自分が受けたオーディションの98%から不合格通知を受けました。それはオーディションがイントネーションを重要視していたからだし、他にも台本を受け取ってから10分以内に全ての漢字を正しく読んで理解するということができなかったというのも敗因でした。度胸はありましたが、それは役に立ちませんでした(笑)
でも私は、誰かが私を上から見てくれていて、不思議と多くの悩み事が解決されていくだろうと強く信じていました。卒業の3日前、先生の一人がある事務所の社長のことを私に勧めてくれました。その事務所が英語と日本語のバイリンガル声優を探していたからです。素晴らしいタイミングでした。私はその事務所に行き、面接とオーディションを受け、幸いにも合格しました!実際には正式契約のひとつ手前の"預かり"という立場でしたが、オーディションを受けて働くことは可能でした。
2013年4月、私はついにプロになりました。でも事務所が開講していたクラスでの講義は毎週続き、毎年2月には、このまま活動を続けられるか、クラスのランクが上がるか下がるかをチェックするテストがありました。日本の声優事務所は極めて競争下にあり、もし事務所を辞めることになったら、もう一度最初からやり直すか、別の事務所のオーディションを受けるかのどちらかを迫られます。プロ1年目の時は、レベルチェックテストを受けられませんでした。なぜなら私はその頃"東京インターナショナル・プレイヤーズという劇団が上演していた『ロミオとジュリエット』で、英語と日本語で演じていたからです。
だから私は同じクラスをもう1年受け、翌年2月にレベルチェックテストを受けました。私は「君は良くやっているが、レベルアップにはあと少し足りなかった。だからもう一度同じクラスを受ける必要がある」と言われました。普通なら、事務所を通さない仕事など簡単にできるはずもありません。でも日本語でのオーディションを受けるにはまだ十分な能力に達していないと言われたわけです。だから私は事務所を辞めてフリーになることにしました。フリーとして日本語能力の向上に取り組みながら、できるだけ多くのチャンスを手にしようと思ったのです。
写真提供:Reinaさん
撮影:ロジャー・ソノさん
■ チャンス到来!
フリーとして、私は演技のワークショップを受けたり、英日バイリンガル即興劇も含めた、できるだけたくさんのオーディションを受けました。そしてラッキーなことに"ブラック・ストライプ・シアター"という劇団のオーディションに受かり、7ヶ月の間に2つの舞台に出演しました。それらは10年以上ぶりの、英語だけの舞台でした。
そして私にとって夢のようなチャンスが訪れました。戯曲『るつぼ』です。
舞台は17世紀の米マサチューセッツ州。彼らは黒人またはラテン系で日本語が話せる女性を探していました。カリブ海に浮かぶバルバドス島出身の奴隷ティチュバ役として、です。私はその情報を直接聞いたわけではありませんが、とても親切な人が、私が日本語で演技ができることを覚えていてくれていました。その人が私に連絡をくれて、その舞台のオーディションについて詳しく教えてくれました。そして何とかオーディションに合格しました!
私はキャストの中で唯一の外国人として、ティチュバを演じました。他の出演者は全員日本人で、キリスト教徒のアメリカ人を演じました。日本語で演じたことはそれまでもありましたが、かつてないほど深い体験となりました。私が覚えるべきセリフやシーンはかなりの量に及び、しかも演出家はイギリス人で、英語で私たちに指示を出すため、私は日本語と英語の2本のアンテナを伸ばす必要がありました。もちろん私は演出家の言葉を翻訳無しで理解できましたが、即座に日本語モードに切り替える必要がありました。それは楽しく、またあまり他では体験できない稽古でした。
私は2016年10月から、渋谷と大阪で32公演に出ました。しかも共演したのは一流の日本人俳優です。私の役は物語で重要な位置を占めていましたが、日本人の観客に向けてどのくらい人種間の緊張や階級差別というものを伝えられるか分かりませんでした。そしていろんな事務所のマネージャーさんたちがいらっしゃったかどうかも分かりませんでした。でも私は、誰にも負けないくらい自然な日本語で演じることができるということを、私自身に対して証明しました。私はやったんです。その経験から私は大きな自信を得ました。そしてその自信は、2017年に向けてさらに努力し成長するための原動力となりました。
■ 日本の芸能界をもっとオープンに
2016年1月以来、私は英語ナレーションの分野で実績を積んでいます。スタジオに戻って、私が受けた訓練の成果を生かすことができて嬉しいです。そして驚くことに2017年6月、私は初めて日本語での声優オーディションに受かり、2017年9月に朗読劇の舞台に立つことになりました。自分が日本語の声優ライブに立つことを思い描いていなかったら、きっとオーディションには受からなかっただろうと思います。どのような役を演じることになるのか分かりませんが、私にとってより多くの経験を得るための、そしてこれまでに申し上げた私の夢に向かう大きな一歩になるでしょう。だから私はその舞台がとても楽しみです!
私は今も日本語で演技する声優として、アニメでの仕事のチャンスをうかがっています。ファンタジー系のアニメで、たとえヘンテコでクレイジーな役だとしても、たとえセリフが「助けて!」だけだったとしても、それで私の名前がクレジットされるなら全然OKです。それこそが新境地を切り開くための証明になるでしょう。
そしてもうひとつ私が証明したいことがあります。それは「日本語を普通に話せる外国人俳優は、外国人の役だけでなく普通の役(先生やパン屋さんなど)、果ては日本人の役をも演じることができる」ということです。
私は日本の芸能界が、今後起こり得る変化や「外国人を外国人役や海外の環境につながる役だけにしか起用しない」という固定観念を打ち破ることに対し寛容になっていると思います。固定観念を壊しさらに高みに上ることを望む人たちは、もちろん完璧なイントネーションで日本語を話せなくてはなりません。そうでなければ、片言の日本語を話す外国人の役しか与えられないことになってしまいます。
イギリスでは、インド系や黒人系といったマイノリティが台頭しています。舞台版の『ハリー・ポッター』では、ハーマイオニー・グレンジャーや彼女の子供たちを演じるのは黒人の俳優です。そのような存在はとてもパワフルだし、勇気付けられます。映画版ではハーマイオニーは白人ですが、でも黒人のハーマイオニーも人々から愛され、その舞台も人気です。上演の2年前からチケットが売り切れているくらいなんです!
イギリスは少しずつ変化していますが、日本もその例に従っている気がします。国を超えたコラボレーションとしてのシリーズ第1弾『るつぼ』がそれを証明しました。その舞台での経験を通じて、私は魔法のようなことを現実にしたり、日英バイリンガル女優として東京とロンドンで仕事をするという新しい夢の実現に向けて、これからも頑張っていこうという気持ちになりました。「無理を通して道理を蹴っ飛ばす」(アニメ『天元突破グレンラガン』登場人物"カミナ"の言葉)のです!
撮影:土渕正則
Reinaさんにとって、東京って何ですか?
あらゆることが起きる矛盾に満ちた街、そして夢や希望、情熱、疲労などであふれている場所です。
東京には爆発寸前のエネルギーが渦巻いており、それは魂を枯渇させ皆さんを飲み込んでいくでしょう。でももし皆さんが地に足をしっかりと付けていたなら、素晴らしい人たちに出会え、そして夢のようなチャンスを手にすることができるでしょう。
東京は私が夢を叶えた街、そして私がこれからも私の能力でもって新しいアイデアや可能性、現実を生み出すために努力を続ける街なのです!
Reinaさん関連リンク
ウェブサイト:about.me/enrei.reina
(2017年7月11日「My Eyes Tokyo」より転載)