東京・二子玉川にある世田谷記念病院の酒向正春先生は、40歳を過ぎて脳神経外科医からリハビリテーション医へ転身した、異色のキャリアを持つ医師。脳画像から患者がどこまで回復可能かを読み取り、それに基づいて積極的な「攻めのリハビリ」を行うという独特の手法で驚くべき成果を上げ、数多くの患者およびその家族から絶大な信頼を得ています。著書「あきらめない力」にも詳しく書かれた、どんなに困難なケースでもあきらめずとことんまで粘り抜くその真摯な仕事ぶりは、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも取り上げられ、大きな反響を呼びました。
「リハビリはチームで行う医療」と酒向先生は言います。では先生は、理想とする医療を実現するためのチームをどのように構築し、運営しているのか? そして先生の考えるリーダーシップのあり方とは? サイボウズ式読者に向け、じっくりと語っていただきました。
脳神経外科医からリハビリテーション医へと転身された、世田谷記念病院の酒向正春先生
異例の転身、それは「超高齢化社会」を支える医療を生み出すため
――まずは酒向先生が、脳神経外科医からリハビリテーション医へ転身された理由を教えてください。
酒向先生:これは非常にシンプルでして。脳外科医には、世界で勝負しよう、自分の手術で患者さんを良くしようという、アクティブかつ優秀な先生が多いのです。ところが一方で、例えば脳卒中を発症した中には、手術をしても良くならない、あるいは重症すぎて手術すらできない患者さんもいる。そうした患者さんを専門的に治す医者は誰もいなかったんですよ。ならば自分がやろうと。
これから超高齢化社会を迎えると、脳卒中などで脳を損傷しなくても、ある意味、誰もが障害を抱えるようになる。そんな中、重症な患者さんでもここまでは治る余地があるということをしっかり診断した上で、能力を上げていく。そうした医療があってもいいのでは考えたのです。
一般的に、バリバリの脳外科医がリハビリ医に転じるというと、キャリアダウンと受け取られかねませんが、私からすると新しい医療を創り上げるという意味で、むしろキャリアアップと考えて飛び込んでいきました。
酒向先生の新著「あきらめない力」
――先生のリハビリは非常に特徴的と聞きます。どのような特徴があるのでしょう?
酒向先生:私は主に脳卒中の患者さんを対象にしており、まずは脳の画像から、どこが壊れていて、どういう後遺症が出るかを読み取ります。障害や後遺症は、奇跡は起こらないので、残念ながら残るんですよ。その上で、どこまで能力を上げられるかを考えて、限界近くまで攻めのリハビリを行い、失われかけた人間性を取り戻す「人間回復」のお手伝いをする。それが私のリハビリです。
脳画像に、年齢・発症前の運動・認知機能などの影響を組み合わせると、このくらいの損傷であればここまでは良くなると予測できるんですね。その予測に基づき、目標を立ててチームを率いていくわけです。こういう医療をやっている医者は今までいなかったそうです。
――脳画像からどこまで回復するか予測できるのですか?
酒向先生:ええ。ただ私も脳外科医になってから、正確に診断できるようになるまでには、2万例くらいの脳画像を見なくてはなりませんでした。一般的にリハビリ医が見る脳画像は、せいぜい1日に2、3例。それだと2万例見るには40年くらいかかり、そのうちに定年を迎えてしまいます。私の場合、今ではもう10万例以上の画像を機能予測しながら見ていますから、この脳ならこういう状態だと、自信を持って言い切れますね。
――先生は「攻めのリハビリ」という言葉もよく使われますよね? それはどういうものですか?
酒向先生:一般的にリハビリは「可能な限り安全に」という考え方で進めます。しかし私の場合は逆で、どこまでやったら危険かを、患者さんの状態を見ながら判断してリハビリを進めていくのです。スタッフと一緒に、寝たきりの患者さんを座らせ、立たせて、歩かせて、どこまでやれば痛くなるか、具合が悪くなるかを見極め、限界まで行っていきます。それが「攻めのリハビリ」です。
もちろん「脳画像からするとここまではやれる」という裏付けがあってできるわけですが。万が一それで悪くなったら全て私の責任。そこまで背負って患者さんのリハビリに取り組んでいます。
"逆ピラミッド型"リーダーシップで生み出す「チーム医療」
――脳外科医からリハビリ医になって、もっとも違いを感じたのはどんな点だったでしょう?
酒向先生:脳外科医は「俺のメスにかかっている」「俺はこういうふうに治療するからみんなついてこい」の世界。ドクターがトップにいて他のスタッフはその下という、いわば「ピラミッド型」です。これに対してリハビリ医は、ドクター1人で何ができるわけではなく、看護師、介護福祉士(ケアワーカー)、セラピスト、ソーシャルワーカー、管理栄養士、歯科衛生士、薬剤師、レントゲン技師などと一緒に「チーム」で治療していく。ドクターは先陣を切るのではなく、一番後ろにいて司令塔として機能する「逆ピラミッド型」になります。ここが一番の違いですね。
理由は簡単で、看護師や介護福祉士の方々は、1日のうち21時間、患者さんと接しているんです。セラピストも3時間。これに対して、ドクターが1人の患者さんに接する時間は1日のうち数分間だけ。だからドクターは、「こういう治療でいきましょう」という方針を伝えたらあとは後方からチームを束ね、うまくいかない場合にどう修正するかを発信する、という役割になります。
さらに、「チームで治療をする」となると、全てのスタッフがプロとして仕事をしないと良い治療はできません。そのためチーム全体を育てるのもリハビリ医の重要な役割になります。脳外科医時代に比べて、医師以外への指導の時間が増えて大変だというのはありますね。
――スタッフを成長させチーム力を底上げしていくために、先生はどのような努力や工夫をしていますか?
酒向先生:1人ひとりのパーソナリティを理解して接する、というのは当然として、それと同じくらい、各職種に応じて「これはきちんとマスターしてほしい」という方向性とスキルレベルを明確に示すようにしています。
私たちのビジョンは非常にシンプルで、「患者さんを良くしたい」、それだけなんですよ。そのビジョンを実現するには全ての職種で武器となるスキルが必要。本物のプロになってもらうには、今、この人には何が足りていないかを考えながら指導していきます。
口で言うのは簡単ですが、これは非常に難しく、時間がかかります。私も同じ医者のことならわかりますが、違う職種のことはわかりませんから。だからここでも、各職種のチーフと一緒になって、一番下から支えながら指導にあたることが必須になります。
スタッフに問う。「患者への貢献」か「収入のための時間潰し」か
――今いらっしゃる世田谷記念病院では、先生は病院自体の立ち上げから参画されました。何もない状態からチームを作るのにも苦労があったと思いますが。
酒向先生:そうですね。今でこそ、この病院や私自身の知名度もそれなりに上がり、日本全国から「ぜひこの病院で働きたい」という人材が集まってくれるようになりましたが、当初はそうではなかったですから。単に家が近いからとか、新しい病院だからということでやって来た人も多かったんです。
ただ、私たちの医療は"熱い"医療なので、かなりマインドがある人でないと続けられない。軽い気持ちで来て、「こんなにしんどい思いをするのはイヤだ」と抜けていった人もいましたよ。そういう意味での苦労はありました。
「目指すのは「どこにでもある病院」。そのため、大病院と違って器具は最小限。充実した設備有りきでは同じスタイルの治療を実践できる病院が限られてしまうから」
――そうした中、どのようにチームを作っていったのでしょう? 先生のチーム作りのポリシーとは?
酒向先生:やはり何よりスタッフにビジョンをきちんと発信し、共感してもらうことが大事です。患者さんを良くしたいと真剣に考えるのか、それとも単に収入を得るための手段として時間つぶしのように働くのか、ということですよね。
立ち上げにあたっては、各職種で核になる人は、以前一緒に働いた私のビジョンを理解している人に集まっていただき、チーフになってもらいました。その他のスタッフについては、実は学校を卒業したばかりの新卒の割合が52%で始めたんですよ。意図したわけではないのですが、まっさらな状態から私のビジョンを受け入れてもらうという意味では、それも良かったのかと思います。
私の生き方は、「パッション」「ミッション」「アクション」なんです。情熱を持ち、使命感を持って実践し、それを形にする。チームを作るにしても、私のビジョンやミッションに賛同してくれないとしっかりとしたものができません。今残っているのは、それに賛同してくれた人だけです。
一方で私は、一度チームに受け入れたら、よほどのことがない限りダメだと見放すことはありません。"気配り、目配り、思いやり"で、粘り強く見守ってあげることも大切です。
私は「病気」に興味があるのではなく「人間」に興味があるんです
――先生の考える「リーダーに求められる資質」とはどのようなものでしょう?
酒向先生:常に勉強して、知識をたくさん持っていなくてはならないのは言うまでもありません。その上で、自分が率いているメンバーの能力を正確に把握し、可能な戦略を進めることが求められるでしょう。また、自分の経験や知見を、できるだけ簡単な言葉に置き換えてスタッフに伝えて共有し、一緒に実践していくことが重要だと思います。
――医療現場でチームワークを生み出すために、ITはどのような役割を果たせますか?
酒向先生:一番の役割は情報共有とスケジュール管理でしょうね。当院でも電子カルテに、患者さんごとにどのように治療していくか、またその方針が変わったらどのように変わったかを詳細に書き込み、治療に関わるスタッフ全員が読めるようにしています。チーム全員がいつも集まって話し合えればいいですが、必ずしもそうはいきませんので。刻々と変わる患者さんの状況をその場で発信し、チーム全員で共有するのに、ITツールは必要不可欠です。また、複雑に交錯するリハビリや検査、面談、カンファレンスの管理にも必須です。
取材中も、先生の指示を確認するため電話がかかってくる
――それでは最後に、先生の今後のビジョンをお話しください。
酒向先生:私のライフワークは「街づくり」なんですよ。リハビリを終えた患者さんが、家に帰った後も病院に頼らず、日々の生活を楽しく送れる街をつくらなくてはならない。そこで私は「健康医療福祉都市」という構想を提唱しています。人口20~30万人くらいの街の中に、直径500m~1kmの「コア」があり、そこに行くと誰もが楽しく安全に歩けて、周りの人とコミュニケーションも取れて元気が出るというのが基本的なイメージです。もちろん医療が核ですので医療施設も完備されていますが、できる限りそれには頼らず、街自体で元気になれるようにしたい。困ったときだけ、医療を利用する体制が理想です。
この構想の実現に向け、国、自治体や大手デベロッパーなどと組んで様々なプロジェクトを進めています。東京都内の山手通りには都と協力して、24時間365日、安全快適に散歩ができる初台ヘルシーロードを実現しました。当院がある二子玉川周辺の再開発にも携わっており、2015年のゴールデンウィークには新たな街が完成する予定です。
将来的には、この「健康医療福祉都市」を、日本全国のみならず、アジア諸国にも展開していきたいと考えています。アジア諸国もこれから超高齢化社会を迎えるので、こうした医療を核としたクオリティの高い街づくりのノウハウが求められるはず。それを提供することで、アジア全体にも貢献していくのが私の今の夢です。
――脳外科からリハビリ、そして街作りと先生の関心分野が広がっていく様子が驚きです。
酒向先生:それは私が「病気」に興味があるのではなく「人間」に興味があるから。これからも1人でも多くの患者さんを元気にする医療を突き詰めていきたいですね。
(サイボウズ式 2014年3月19日の掲載記事「医療に頼らない「街づくり」がライフワーク? 異色キャリアのリハビリ医・酒向正春が考える「チーム医療」とは」より転載しました)