シリア難民はスマホカメラをどう使っているのか

自撮り棒を持参する難民も。
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内戦激しいシリアから逃れる難民たちの映像が世界を駆けめぐっている。彼らが自分のスマートフォンで、写真を撮ったり、通信をしたりする姿をご存じの人も多いだろう。現代の難民たちの日常生活で、スマートフォンのカメラは欠かせない。

この夏、国境を越えるシリア難民たちと延べ1カ月強、行動を共にした朝日新聞の矢木隆晴カメラマンがみた現代の難民たちのスマホカメラ事情とは――。

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「フェイスブックやっている?」 取材中、多くの難民から声をかけられる。ネットがつながれば、その場で「友達」になれる。そうしてつながったシリア難民男性のページを見ると、バルカン半島の移動の途中経過やドイツでの生活の様子が逐次アップされていた。

ホテルの近くを散歩する様子、簡素なベッドが並ぶドイツの大型難民キャンプ、友人との再会――。シリアに残る知人たちは旅の無事を願い、先にEU諸国に入った人々は役にたちそうな情報を提供する。紛争地から安全な場所を求めて移動してきた人々にとって、旅路の記録として、また貴重なコミュニケーションツールとしてスマートフォンのカメラは欠かせないようだ。

ボートに揺られて、まず「自撮り」―エーゲ海の海上で
ニスマさん提供(2015年7月23日撮影)
シリア難民のニスマさん(左)たち一行は、早朝、経由地のトルコから、ギリシャ・レスボス島を目指し出発した。大人ひとり1100ドル、子ども600ドルを密航業者に払ったという。波に揺れるボートの上で、写真と動画を自撮りした。全長7メートルほどのボートに、子どもからお年寄りまで40人ほどが肩を寄せ合っている。危険な旅路の貴重な記録だ。
レスボス島に着く。たき火の前で
朝日新聞社・矢木隆晴(2015年9月13日撮影)
暗闇の午前4時。たき火の前に座りながら、スマホの画面だけが光っている。熱心にSNSで文章や写真を仲間とやりとりしていた。つい2時間ほど前、トルコからボートでエーゲ海を渡り、ギリシャの離島・レスボス島に着いたばかりの男性だ。近くではイラク人やシリア人が30人ほど、路上で眠っている。服は海水で濡れ、海で靴を失った人もいた。夜が明けると、難民登録のため約40キロ離れた島の中心部まで歩かなければならない。
太陽光でスマホを充電
朝日新聞社・矢木隆晴(2015年7月23日撮影)
レスボス島の難民キャンプは難民にとって決して十分な環境とは言えない。「水、清潔なトイレ、食料に情報、そして電源が足りない」と話すのはシリアから来た、大学生のニスマさん(24)。テントに到着するとすぐに、持ち歩いている太陽電池の充電器に、サムソン製のスマホをつなげた。キャンプ内ではプリペイドのSIMカードを業者の男性から買うことができる。「ネットが通じたら無料通話アプリで連絡する」と連絡先を交換した。
レスボス島からの出発
朝日新聞社・矢木隆晴(2015年7月24日撮影)
ギリシャのレスボス島からフェリーで出発する女性がスマホで写真撮影していた。ここからアテネ近郊のピレウス港を目指す。劣悪な環境の島の難民キャンプで数日を過ごした後、ようやくギリシャでの一時滞在許可の書類を得た。これでようやく、フェリーのチケットを買うことができる。約40ユーロのチケット代はもちろん自腹だが、新天地に出発する人々の表情は晴れ晴れとしていた。
アテネに到着
朝日新聞社・矢木隆晴(2015年7月25日撮影)
夕暮れ時のギリシャ・アテネ近郊のピレウス港。レスボス島から到着した難民でごった返している。島で会ったニスマさんから午前中、SNSで「いまフェリーに乗っている」と連絡があった。最後尾からきた彼女たちの一行と再会。ヨーロッパ大陸に上陸した喜びに包まれた彼らはスマホでさかんに記念撮影していた。ニスマさんも撮影した写真をフェイスブックにアップロード。「安全な旅路を」「神があなたたちを守っています」などの40件以上のコメントが友人から寄せられ、70以上の「いいね」ボタンが押された。
自撮り棒で撮る
朝日新聞社・矢木隆晴(2015年7月25日撮影)
アテネ近郊のピレウス港に到着後、持参した自撮り棒ですかさず撮影するニスマさん。一見、普通の旅行者と見間違う。シリアでは北部イドリブ近郊の私立大学で英文学を学んでいた大学生だ。大学の寮で同室だった親友とはフェイスブックでやりとりを続けている。ツイッター、インスタグラムにも投稿するため、スマホが離せず、「ネットがなければ生きていけない」という。親友に預けているペットの黒猫のことが気にかかっている。
マケドニア北部で
朝日新聞社・矢木隆晴(2015年7月19日撮影)
セルビア国境へとつながるマケドニア最北端の草原で記念撮影をするクルド系シリア難民グループ。「大人数になったほうが安全なんだよ」と集団で行動する。現金を持っていて、立場の弱い難民は強盗に襲われやすいという。どのルートが安全かをSNSで仲間と共有している。男性たちは「君も気をつけたほうがいいよ」と言い残し、森の中に消えていった。
セルビア北部
朝日新聞社・矢木隆晴(2015年7月27日撮影)
セルビア最北の都市、スボティツァ郊外にある廃レンガ工場の敷地内では数百人が屋外で暮らしていた。まわりにはゴミが散乱。パンやトマトの食べ残しが腐り、ひどくにおう。ハンガリーへの国境を越えるために待機しており、食料や衣類はボランティアの配給に頼っている。草原で布を敷いて横になっているパキスタン人に声をかけた。スマホを持っているが、電話やネットは使えないという。「写真を送ってくれよ」と言われ、名刺を渡した。ネットにつながったら連絡すると言うが、まだ連絡は来ていない。
ドイツでの生活
朝日新聞社・矢木隆晴(2015年9月29日撮影)
ニスマさん一家は8月上旬、ドイツにたどり着くことができた。一時的な難民認定を受け、9月上旬からドイツ南西部のハイルブロン市で、市が提供する住宅で暮らす。シリアにいる祖父母とは、スマホで写真を送り、会話を交わす。祖父母は孫たちと連絡をとるために、スマホを買い、無料通話アプリの使い方を覚えた。「元気に暮らしているよ」と話す表情は穏やかだった。新天地での生活は始まったばかりだ。

(難民とカメラのほか、カメラと私たちを取り巻く「いま」をリポートする特集は11月1日付GLOBE「カメラと変わる」で読めます)