Refugee Camp Report その3

背景は違っても、お互いの顔を知った上で一緒に働けば人を憎むようなことはありえない。
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今回は難民キャンプで出会ったボランティア・職員の方について書きます。キッチンの壁には無数のボランティアの名前ステッカーが貼られています。数時間・時には定期的・丸一日キャンプに足を運ぶ地元のボランティアが居ます。支援する側一人ひとりの思いも多種多様でした。

12/7 朝 

私は食糧配膳からテント内住居の清掃係に移りました。

ペアになったのはパキスタン出身の20代男性。キャンプでの無償ボランティア歴は長いそう。ふわりと柔らかな巻き毛の彼の温かい自己紹介は初仕事への不安を吹き飛ばしてくれました。ところが、雑巾の枚数や洗剤スプレー等、掃除道具の揃え方には厳しいこだわりがありました。無意識的なのか、ストライドが大きい歩き方も清掃係らしく印象的でした。彼の指導のもと難民の住居スペース周りを清掃し、シーツの交換を行いました。ゴミ箱の袋を取り替えゴミ箱の消毒をする私に、彼は入念な注意を促してくれました。

「感染症を防ぐためには、菌の消毒が本当に重要なんだ。」

衛生状態が悪く、りんごの芯などの生ごみが棚に放置されている部屋もあります。それらを投棄する判断はプライバシーの尊重が問われます。小さな判断ですが、これを何度も繰り返すのは簡単ではありません。清掃の中盤、住居前に放り出された段ボール箱が目に留まりました。中は衣服や靴で一杯でした。彼は静かに憤った様子を見せながら、私に語りかけました。

「これは処分してくれっていうメッセージなんだ。このあいだ、僕にはとても買えないような額のジャケットがこのように捨てられていたよ。彼らあくまでは難民であり、住居手続きが進まずにつらい思いをしているのは理解できる。けれど、なんだか複雑な思いになるよね。」

残念ながら、使用済み衣服は全て処分が決定づけられます。シラミの拡散の防止等、理由は幾つか考えられます。それでも箱に入っていた服や靴の殆どは捨てるには本当に惜しいものでした。息が詰まりそうな沈黙の中、2人でそれらをキャンプ外のゴミ集積所に運びました。彼の深い溜め息とコンテナの閉まる音が虚しく響きました。2人で住居の壁のマジックペンの落書きを落としました。難民の親は子どもに注意することを放棄しているとつぶやきました。作業も終わりに近づき、沈んだ気分から打って変わって、彼は仕事にまつわる熱い思いを私に話してくれました。

「決して綺麗な仕事では無いけれど、誇りを持って僕はこの仕事をしている。僕達が丁寧に仕事をする様子を彼らに見てもらって、少しでも意識を変えてもらえればいいんだ。」

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休日も返上で清掃に励む彼。子どもたちの絵と一緒に。

──このボランティアを始めたきっかけを教えて下さい。

もともと社会福祉活動が好きなんだ。ドイツは直接中東の戦争に関わっていないように見えても中東諸国に大量の武器輸出をして、紛争の複雑化に加担しているよね。ドイツでの豊かな生活を享受している分、その責任を取らないといけないという思いがあるんだ。過去に2年、僕はドバイで人事関係の仕事をしていたんだ。当時は書類の締め切りに追われる毎日で、上司を幸せにすることしか考えていなかったよ。住民登録手続きも煩雑で、数年単位で当局の許可を取らないといけなかったんだ。

でも、昨年移住したドイツの移民申請はスムーズに進んだ。語学学校を探すのには苦労したけど、チャンスは与えられると信じている。当初はキャンプで通訳の仕事を目指していた。けれど、ミュンヘンの大学で教授を務めた義父に影響を受けて考え方が変わった。手作業が好きな彼は、いくら忙しくてもくまなく研究室の掃除をするんだ。僕が清掃係をしようとしたきっかけだね。僕の経験を難民に伝え、彼らに今の現実から脱出してより良い未来を享受してもらいたい。

──このキャンプではパキスタン出身の難民も見かけますね。

未だに国内でアルカイダ勢力のテロがあるからだよ。あまり日本ではニュースにはならないかもしれないね。シリアへは5年前に行ったけど、本当に美しい国だったんだ。だから、ISが美術館の内部を破壊したニュースを目にした時は本当にショックだった。盗まれた美術品が欧州諸国で売買されて、ISの資金になっている可能性もあると聞いたことがある。

彼は終始一貫して中東で新たな十字架を背負うドイツの側面を厳しく見つめていました。その彼の視点は私にとって非常に新しいものでした。

後日、ドイツの武器輸出について調べてみました。

ストックホルム国際平和研究所が今年度3月に発表したデータによると、2010年から2014年の5年間のドイツの武器輸出額は米国、ロシア、中国に次いで世界で4番目に位置しています。代表的な発注国としてサウジアラビアやイスラエル、エジプトが挙げられています。ドイツ国内では、輸出先国のうち人権侵害行為で非難される湾岸諸国に武器を輸出することに関して議論が巻き起こっています。連立与党の1つ、社会民主党の党首で副首相兼経済・エネルギー相とのガブリエル氏は、これを批判しつつも、商業界からの下劣な関心と戦いながらも政府は既存の契約でがんじがらめになっている事を明かしています(2015年3月16日付DWより)。

12/9 夜

私は、キャンプの中心部分に位置する受付係を任されました。主にシャンプー・おむつ等の生活必需品の提供や、子どものおもちゃの貸出管理を行いました。アラビア語を話せない私にとって難民が求めるものを理解するのは難しく、つい難民出身の職員の方々の代打に頼ってしまいます。

スイスの男性と、ドイツ人若いカップルと私の4人で受付係につきました。彼らのボランティアに対する思いを伺いました。

スイス人の彼はチューリッヒ出身で児童心理学を勉強中の32歳。受付係でありながら、オールラウンダーとしてトラブル解決のためにキャンプを縦横無尽に歩きまわっています。食べ物の受け渡し口には1時間前から沢山の子どもたちがいました。彼がその1人に話しかけると、彼に千本ノックのように押し寄せる子どもたち。子どもたちは自然なスキンシップは虜になっています。彼の前職はベルリン中央駅に到着する難民を避難先登録所まで車で送り届ける運転手でした。

── 運転手をしていた時に、最も印象に残ったことを教えて下さい。

最初の夜が忘れられない。深夜の12時頃に4人家族を中央駅で拾ったんだ。子どもは2人とも6,7歳位の兄弟だった。お母さんが足首にひどい怪我していることに気が付いたから、すぐに救急車を呼んだ。真夜中だったけど、彼女はすぐに病院に搬送されたよ。お父さんを先にテントまで送り、私は子どもたちを連れて病院へ行った。

僕達が病院についた時、男性のお医者さんが宗教上の理由で彼女の流血箇所を触ることが出来なかった。彼女は声を荒げ、治療がうまく進まなくて本当に困ってね。まぁ、なんとか彼女に栄養剤の注射を射って治療は出来たね。驚くことに、彼女の怪我の原因はストレスと歩き過ぎによるものだったんだ。母子3人をテントに連れて帰ると、お父さんが家族全員分のマットレスを敷いて毛布を用意して待っていたんだ。何故か僕も不思議なほど安心しちゃったな。

── 十数時間待っても必要書類を手にする事が出来ないとシリア人の女性から聞きました。住居登録所はどのような様子なのでしょう。

人手が足りず、受付は正規の人で全てを賄うことが出来ないから、毎日6,7人のボランティアが入れ替わり立ち替わりで働いているね。今でも毎日150人程の列が出来る。手続きは煩雑だよ。住居登録以前に、係員面会予約の列に長時間並ばないといけないんだ。朝の1時から列の先頭で待ち、登録所が開く朝8時まで外で耐え忍ぶ人も居る。列の長さがピークだったのは10月だけど、今はもう本当に寒い。彼らが心配だよ。政府が3月までに新しい受け入れ施設を作ると言っているみたいだけど、どうなるかな。

── この仕事を始められたきっかけは何ですか。

現在は登録所の紹介でこの慈善団体を知ったんだ。今はココで正規の仕事に応募していて、返事を待っているよ。僕は週に3日大学へ通っているんだけど、実は最近になってお母さんが働けってうるさくてね(笑)。暇な時は映画なんかを見てる事も多かったけど、こうやって彼らを助けることが出来る。やりがいを感じているよ。

次に、ドイツ人カップルの男性にお話を伺いしました。知的な顔立ちで、安心感を持って話しかけることが出来ました。彼は大学での6年間薬学の専攻を終え、来年から実家の薬局を継ぐ予定だそうです。ふたりとも微笑みを絶やさずに、受付から難民を見つめていました。

── なぜここのボランティアにいらっしゃったのですか。

ドイツにとって大きなトピックで、TVや新聞の報道と現実は違うだろうと思ったから、見てみたくてね。

── メルケル氏に抗議する与党の若手議員が現れ、連立与党党首のゼホーファー氏が難民受け入れの制限を主張するなど、少し政治の議論の様子が変わりつつあります。あなたを含め、親しいドイツ人はこの問題をどう受け止めていますか。

夏頃まではドイツ人の態度は主に歓迎ムードだったよね。けれど、政治でさえこの問題にどう対処したらいいのかなんて分からないよ。多すぎる難民受け入れに対応できない行政への不満が反対派を生んでいると思う。

── 難民はドイツ社会に溶け込めると思いますか。例えばベルリンのクロイツベルク区には大きなトルコ人コミュニティがあります。大学のドイツ語の授業で、ドイツ語を話せないトルコ系移民2世・3世について話題になりました。

溶け込めると思う。もう既にドイツは多文化共生社会だよ。少なくとも僕の周りのトルコ系ドイツ人は皆ドイツ語を喋れるし、一緒のサッカーチームに所属している。彼らは家と外で使用する言語をうまく分けている。

── ドイツ人には戦時中に起こった特定の民族への迫害の歴史に潜在的な罪悪感があるから、難民受け入れに積極的だという意見があります。

お年寄り世代はそういう意識が強い。若い世代は話題にしないけど、戦争のことについては皆よく知っているよ。けれど、僕は欧州の中央に位置するドイツは生活水準が高く、6%と低い失業率が多くの難民にとって魅力的な場所なんだと思う。仕事を見つけるのも他の国と比べて易しい。

── ミュンヘンでは難民受け入れが過度だとの反対意見が目立っています。現地在住で、現実的観点から難民受け入れに厳しい見方をする方のブログを読みました。近所に難民の大きな住居区が出来ることになってもなお、彼らを受け入れることはできますか。

どこにも難民とテロリストを分けることが出来ない人がいる。ミュンヘンは経済的に強く独立した地域で、現地の人はベルリンや他のドイツの地域と違った考え方をすることが多い。難民に関しては確かに懐疑的だよね。近所にコミュニティが出来た場合、言葉の問題で交流が無くても共生はできると思う。でもお年寄り世代の中には移民・難民を一括りにする人も居て多文化な社会に対して抵抗はあるんじゃないかな。

ドイツはこれから数年の間に、新たに30万人の労働者が必要だと言われている。特にパン屋さんやスーパーマーケットといったサービス業・手工業の分野においてね。多くのドイツ人はビジネスを好んで勉強するんだけど、その中には難民の多くが担うことになるブルーカラーの仕事に対して偏見を持っている人も居るんじゃないかと思う。

──武器輸出大国のドイツが中東情勢を複雑化させているという意見を他のボランティアの方から伺いました。

武器輸出については大きく取り上げられてないし、僕もあまり良く知らない。そうだとしたら、すごく大きな問題だね。

"Nein, nein!" (ダメ、ダメ!) 夕食の時間が終わると、遊び盛りの年齢の子どもたちと終わりのない格闘が始まります。キッチンのゴム手袋を水や空気で膨らませる小さなギャング達、使い捨てのプラスチックカップが散乱する音に翻弄されて走り回るインターンの学生・職員の声がこだまします。受付にはチェスや卓球セット、カードゲームやパズル等、多彩なおもちゃが用意されています。12月初旬にはボランティアの引率によるクリスマス・マーケットへの遠足もありました。しかし、親の目の届く敷地内に缶詰状態の彼らの心のケアにもサポートが必要だと感じます。エネルギーを弄んでいる彼らを責めることはできない。

ここで出会った多くのボランティア・職員から何度か耳にした言葉です。言葉と言えばアラビア語で『アンタアホヤ』は『お前は 兄弟だ』と言う意味で、『アホヤ スンマヘンナ』は『兄弟 すみません』となります。兄弟とは親愛なるという気持ちをあらわします。アラビア語圏の方との会話の機会があればつかみにどうぞ。関西人の私にとって、これもまた絶対に忘れられない言葉になりました。

12/14 朝

私が通うキャンプでは、2つの大きなテントに300人近くの難民を収容しています。昨年11月の設立当初は3日程度の一時的滞在のためのシェルターとしての役割が期待されました。しかし、実際難民の滞在は平均して3ヶ月程度になることが多いとされています。主に、清掃・洗濯・キッチンの各分野で活躍するのは正規の職員としてお務めの主婦の方々です。ボランティアを主導する彼女たちの絶え間ない下支えのおかげで、難民の長期化する生活が成り立っていると言っても過言ではありません。

私は清掃係と洗濯係を任されました。洗濯係の主な仕事は使用済みシーツや難民の方々の洗濯物を個別に管理し、洗濯機と乾燥機に掛けることです。私に度々ねぎらいの言葉をかけてくれるドイツ人の主婦の方と話しました。彼女は正規職員として週5日・1日あたり6時間、難民の洗濯物のローテーションを管理していると言います。

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1日あたり20グループ近くの洗濯物を引き受ける彼女。洗濯室にて。

── お仕事で苦労されていることは何ですか。

常にベストを尽くすことを求められる点よ。彼らには言語が通じず、文化も異なる。約束した洗濯物の受け渡し時間を守って貰えないことはしょっちゅうね。それでもなお落ち着いて友好的に振る舞うのが凄くハードになる時があるの。私は去年11月のキャンプ設立時からキッチンで働いていた。ドイツでは、加熱食品は法基準の65℃以上での提供が求められるので、献立の種類が制限される。ハラールフードが提供できない事に対しても頻繁にきつくあたられた。給料を貰って働いている人は半分にも満たないのに。ドイツで喉から血抜きをした動物の肉を手に入れることは、ほぼ不可能だということをわかってほしい。

そして今年の夏、ついにストレスに耐え切れずに8週間、ココから離れたの。休暇中もオーストリアの別のキャンプで清掃の仕事をしていたんだけどね。けれど、本当に人手が不足していたのはやはりベルリンのキャンプだったから、ストレスの比較的少ない清掃・洗濯を選んで戻ることを決心したの。

── それでもなお過酷な仕事を継続できるのはなぜですか。家族や異なる意見を持つ人の理解を得るのも難しいと思うのですが。

私はクリスチャンとしての信念に基づいて生き、難民を助けているの。毎朝のお祈りは心の支え。3人の娘のうちの1人に反対されているし、難民受け入れに反対するドイツ人も少なくない。気が狂っているんじゃないかと言ってくる人もいる。彼らに理解して貰いたいという想い、かえってそれがモチベーションに繋がるの。

── 難民の人々にはどのような想いを抱いていますか。

ここは、彼らがドイツの作法を学ぶ最初の場所だと思っている。キャンプ内で平気でゴミを床に捨てるような人はともかく、悪いけれどオープンな姿勢で学ぶ意志のない人はドイツでは幸せになれないし、一緒に暮らして行けないと思う。食事後に机に置き去りの食器の片付けを手伝ってくれるのは、難民の中でもいつもお決まりの2人よ。

(作動中の洗濯機を確認するパキスタン人の男性ボランティアを指し)

もう30分以上シフトの時間を過ぎているけれど、彼は残って懸命に働いている。彼のような人に少しでも多くの人が感化される事を願っているわ。

── この仕事で感じた最大の喜びは何ですか。

難民出身の人々が受付の通訳や職員として私達と一緒に支援活動をしてくれることね。技術の進歩のおかげで世界は小さくなっている。戦争ではボタン1つで簡単に人を殺せる時代になってしまった。背景は違っても、お互いの顔を知った上で一緒に働けば人を憎むようなことはありえない。私はそう信じているの。

その時、彼女が突然振り返りました。ドアのノック音です。入り口に再び出来た長い列からは不平が上がります。「洗濯機は一杯なの。よく見てちょうだい。」温和な微笑みを浮かべる彼女。壁に貼った紙製の時計を用いて次回の時間を説明します。最後に彼女は、とあるシリア人男性職員が難民として到着した当時の写真を見せてくれました。幼い彼の娘が食堂を掃除している姿が写されていました。

難民受け入れがドイツ社会にかかる財政的・精神的負荷は計り知れません。意見はぶつかり、ニュースは気疲れをする程長くこの問題を報じ続けます。彼女の確固たる信念が報われる日は訪れるのか。帰り際、言葉に出来ないもどかしさから無性に体を動かしたくなり、夜道を走りました。