2018年10月にアラブ首長国連邦ドバイで開催されるラムサール条約第13回締約国会議において、日本の2つの湿地が新たに条約の登録湿地となりました。その一つ、東日本大震災後に海の環境に配慮した養殖を進める宮城県の志津川湾は、この条約の理念である「ワイズユース(賢明な利用)」の優良事例として、一層の取り組みが期待されます。もう一つの葛西海浜公園は、オリンピック開催予定地である東京都。ここでは、オリンピック憲章が掲げる「責任ある環境への取組み」を実践する舞台として注目されます。
ラムサール条約とは
渡り鳥とその生息地を保全する国際条約として誕生
ラムサール条約は正式には「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」と言い、1971年にイランのラムサール市で開催された国際会議で採択されたことにちなんで、そう呼ばれています。
正式名称からも分かるように、当初この条約は、急速にすすむ沿岸・湿地の開発と汚染に歯止めをかけ、それらを主な生息場所とする水鳥を危機から守ることを主目的としとして、始まりました。
しかし今では、干潟や湿原だけではなく、浅い水域に広がるサンゴ礁、水田、人造湖など幅広い水環境(ウェットランド)を条約の保全対象とし、環境を特徴づける生物種も魚類、昆虫、海藻など多種に及んでいます。
ラムサール条約では、湿地環境の保全・再生に加え、交流・学習とワイズユース(賢明な利用)の3つを条約の柱としています。
登録地を人為的影響から隔離して保全するのではなく、そこから得られる生態系サービス(自然の恵み)を持続的に利用しつつ、湿地のもつ魅力と役割を学び、伝えることで地域活性にもつなげていくことを理念としています。
条約登録地と日本の動き
日本は1980年の条約の加盟以来、これまでに50か所の国内湿地を、条約の登録地として登録してきました。
ラムサール条約登録地とは、各国内の保全湿地の中で特に重要な環境を、条約に登録するもので、これが認められると、世界的にも価値のある保護区として広く認知されることになります。
そして今回、2018年10月21~29日の日程で、アラブ首長国連邦ドバイで開催される第13回締約国会議において、宮城県志津川湾と東京都葛西臨海公園の、2カ所の湿地環境が、新たに日本から条約登録地として追加さることになりました。(図①)。
ラムサール条約と湿地保全
日本がラムサール条約に加入し、北海道の釧路湿原が日本初の条約湿地として登録されてからも、全国各地では湿地の消失の危機が続きました。 特にシギ・チドリ類の主要な生息地である全国各地の干潟では、干拓や埋立、橋の建設などの大型公共工事の計画が着々と進められ、干潟の自然が消失。
そうした中でWWFジャパンは各地のNGO、研究者等と連携して現地調査からその重要性を明らかにし、国政府、自治体、事業者に要望書・意見書を提出するとともに、セミナー・シンポジウムを開催して、干潟の保全を求める活動を行なってきました。 その結果として、愛知県名古屋市・飛島村の藤前干潟のように、活動が結実し、ラムサール条約登録に至った湿地もあります。
しかし、長崎県諫早湾での干拓事業、福岡県博多湾の人工島建設、徳島県吉野川河口の自動車道建設など、多少の見直しはあったものの、事業が継続され、渡り鳥の飛来地の環境が損なわれた例も多くみられました。
こうした問題が日本で続き、生物多様性保全上重要な湿地の開発が進んでしまった理由の一つには、日本が条約への登録要件と定める「国が管理する保護区」への登録手続きを進める際に、地元および関係者の合意が進みにくいことがあります。さらに、環境影響評価手続きが事業承認にほぼ影響しない法制度上の問題もありました。
そこでWWFは他の環境NGOと連携して法改正による保全の促進を国政府に要望するとともに、これらの制約を問わない「敷居の低い」保全の仕組みとして、東アジア・オーストラリア地域フライウェイネットワーク(現在は、東アジア・オーストラリア地域フライウェイパートナーシップの1保全プログラムに編入)を推進してきました。
このネットワークに参加した湿地は、法的な保護が約束されるわけではありませんが、重要性については、国際的にも認知されることになります。
こうした湿地を国内で増やすことで、保全のすそ野を広げる活動を展開してきました。 2002年にフライウェイネットワークに参加した、佐賀県鹿島市の鹿島新籠海岸の湿地が、2015年にラムサール条約への登録を果たしたことは、その取り組みが成功した事例の一つです。
ラムサール登録の意義を考える
志津川湾(宮城県南三陸町)で進められる責任ある養殖
今回、新たに条約登録地となった宮城県南三陸町の志津川湾の海は、リアス式の内湾で、2015年に南三陸・金華山国定公園から三陸復興国立公園に編入されました。
登録されるのは、この国立公園の普通地域区域5793haです。 この志津川湾周辺は、寒流と暖流が混ざり合う海域で、冷水性のマコンブと暖水性のアラメが同所的に生息するなど、海藻の種多様性が非常に高いことが特徴です。
これまでの調査から、その数はアマモなども含め180種を超えることが判明しています。さらに海藻を主食とする希少鳥類のコクガンが多数越冬することも評価されました。
湾内ではカキ、ワカメ、ギンザケなどの養殖が盛んに行われており、南三陸町の主幹産業となっています。
2011年の東日本大震災によってこれらの養殖施設のほぼすべてが失われましたが、関係者の努力とさまざまな支援により活気を取り戻しつつあります。
しかし震災前と大きく違うことがあります。 宮城県漁協志津川支所戸倉出張所のカキ生産者は震災後、これまでの過密養殖を改め、養殖施設台数を半分以下に減らすことで、海への環境負荷を減らし、高品質のカキ作りを目指すことを決断。 WWFをはじめ、多くの個人・団体の支援を受けて2016年には日本初のASC(水産養殖管理協議会)認証の取得を果たしました。
ASC認証は自然環境と地域社会に関する厳しい国際基準をクリアした養殖場だけが取得できる認証です。 これを取得し、海の環境に配慮した養殖を実現、継続していることは、ラムサール条約の理念であるワイズユースを、高いレベルで実践している実例といえるでしょう。 そうした実績のある湿地としても、今後、志津川湾の取り組みが世界的な注目を集め、さらなる発展を目指すことが期待されます。
葛西海浜公園(東京都江戸川区)で試される都市と自然との共生
もう一つの新たな登録地、葛西海浜公園は、人の手で造成された人工干潟と、その地先の浅海域から成ります。 東京都では初の条約登録湿地となり、その面積は2018年に新たに設定された国指定葛西沖三枚洲鳥獣保護区の367haに及びます。
この地域は、2万羽を超えるスズガモなどのカモ類に加え、シギ・チドリ類、カモメ類など、これまでに120種を超える鳥類が記録されています。 さらに希少な魚類、底生生物などの生息も確認されています。 しかし、東京湾の干潟は、埋立により戦後80%以上が消失。 水辺に依存する生物の生息場所が失われただけでなく、自然の浄化能力も大幅に低下したと考えられます。
加えて、大量の生活・産業排水による富栄養化と、それに伴う赤潮や青潮・貧酸素水塊による水生生物への影響が、今も問題となっています。 実は葛西海浜公園周辺は、東京オリンピックの競技場として整備する計画が持ち上がり、一時存亡の危機にありました。 しかし、日本野鳥の会東京などの環境NGOによる活動により、計画が見直され、国際的な保護区登録へと転換した象徴的事例です。
オリンピック憲章では「環境問題に対し責任ある関心をもつことを奨励し支援する」ことを国際オリンピック委員会(IOC)の使命とし規定しており、各大会においても環境保全や資源の持続的利用は優先的課題となっています。
世界中の注目が集まる国際大会を控え、東京都が都市と自然との共生にどう取り組むかの一つの指標になるでしょう。 今回の登録に際しては、カモ類による海苔や貝の食害や、海浜公園の利用のあり方についての問題提起もされており、どのように地域との共生を図っていくのかが課題です。
今回追加されたこの2か所を合わせ、日本のラムサール条約登録湿地は52か所となりました。 また2012年に登録された円山川下流域・周辺水田(兵庫県豊岡市)も、登録地面積が574haから1094haに拡大され、登録面積は合わせて15万4696haとなります。
しかし保護区は登録・拡大しただけでは意味がありません。 今後も生態系サービスを享受できるよう、環境と生物多様性を脅かす課題を改善していかなければなりません。 そのためには行政が管理計画を適切に立案・実行するだけではなく、利用する一人一人が保全活動に参加していくことが重要です。