こんにちは、または初めまして、とりあえずビールと申します。
ゲルマン人の夫との生活などについて書いております。現在は日本に住んでおります。
今回は、バイリンガル教育の始め方とその後悔(我が家の場合)、についてです。
ハーフの人は自動的に難なくバイリンガルになっちゃってると思われていることが多いようです。私も昔はそう思ってました。
でも、そうではないみたいです。
バイリンガルとは本人と親の努力の賜物に他ならない...と今は思ってます。(もしかしたら中には難なくバイリンガルになる人も中にはいるのでしょうか...?)
両親が日本人の子供と比べるとバイリンガルになる環境は整っている、というだけなのです。そのせっかく整った環境を生かすも殺すも親(と本人)次第...ということを現在まざまざと思い知らされております。
この春、長男が小学校に上がりました。普通の公立小学校です。
思い起こせば5年前... ドイツから日本に引っ越したとき、住居に横浜を選びました。夫の職場から少し遠いのにも関わらず。なぜなら、横浜にはドイツ人学校があるからです。当時、学校のサイトを見てみると入学条件に「本人がドイツ語母語話者レベルであること」というようなものがありました。(現在その条件は変わってるようです)
甘かった... 完全に甘かったよ我々...
親が何の努力もせずにいると、子供は置かれた(言語)環境にみるみるうちに染まってゆきます。
長男が小さい頃、夫ゲルマンさんはドイツ語、私は日本語で話しかけていて、これはかなり徹底されておりました。実際、それぞれの親は自分の母語で話しかけることがバイリンガル教育には良いそうです。
当時の動画を見ても夫はほぼドイツ語で長男に話しかけてます。日本に引っ越してきてからもそうでした。その所為か長男は言葉の発達が他の子と比べゆっくりでした。一般的に、言葉を話さなくても親の言うことが理解できてるようなら大丈夫!などと言われてますが、うちの子はちらほらと単語は出てはいるものの、2歳過ぎてもこちらの言うことを理解してるのか...?ということが多々ありました。
ところがどっこい、2歳4カ月で保育園に入ってから日本語に触れる機会が増えたからか、2歳8カ月のある日を境に急にまともな会話ができるようになりました。あまりの衝撃にその時のことは今でもハッキリ覚えてるほど。
それからというもの、生来短気のゲルマンさんはドイツ語より日本語のほうが早く通じるので少しずつズルズルとドイツ語から日本語にシフトしてしまい、気付いたらドイツ語の分からない日独ハーフが出来上がってしまいましたとさ...。
日本に住みながら日本語ペラペラ外国人の父親を持つ我が子、言葉の出始めのこの時期をどう踏ん張るかが問題でした。これがその後の子供のバイリンガル人生を左右するんですね...。うちの場合は2歳代後半にもっと(我々親が)踏ん張ってれば、6歳になった今頃はどちらも話せるようになっていたかもなー、少なくとも話せなくても理解はできるようになってたのかなー、と後悔と反省をしております。
6歳の今より、話こそしませんでしたが2歳の時の方がドイツ語を理解してました。
我々は日本在住、それに加え母親よりも接する機会が少ない父親が日本語堪能で短気という、バイリンガル教育にはかなり厳しいパターンでした。あ、ごめんなさいねーほとんど責任をゲルマンさんになすりつけちゃってる書き方ですよねコレ。うん、でも実際ゲルマンさんのより一層の努力が必要だったと思います。
ゲルマンさんが息子に日本語を話していた時、私が逐一指摘すればよかったのですが、そう言うわけで短気ですので、ちょっと指摘が続くと険悪なムードが漂い始めてしまう...。私の反省点は、険悪なムードにも負けず、この時期に長男へはドイツ語で話すよう指摘し続けておけばよかったトホホ、です。
あの時期に我々親がくじけてしまったので、この先長男がドイツ語を習得したい!となったとき(ならない可能性も十分にアリ)更なる努力を強いることになってしまいました。長男には本当に申し訳ないと思っております...。
現在1歳半の次男は生まれも日本なので、長男のときよりも言葉の理解が早いような気がします。
ゲルマンさんは今のところ「まだ」次男にはドイツ語で話しかけております。長男の時と比べると日本語がやや多めな気がしますが...。長男の失敗を踏まえて、これからもドイツ語で話しかけ続けてくれることを願うしか! そして私はゲルマンさんが日本語で話しかけたら指摘をするしか!
頑張ります!
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