低線量被曝の健康に与える影響は極めて大きいものでは決してなく、あるとしても小さなものであることは知られています。100mGyから200mGy以下の低線量被曝が具体的に健康に影響を与えるのか、与えるとしてもどのような影響をどの臓器に与えるのかは全く明らかではありません。福島第一原子力発電所事故による低線量被曝が周辺住民に与えた健康影響について明らかにしなければならないと考えており、今回は桜咲く4月2日に意見交換を兼ねて南相馬市立総合病院の坪倉正治医師と相馬中央病院の森田知宏医師とともに被曝研究のメッカでもある広島の放射線影響研究所を訪問してきました。
1945年8月6日に広島に原子爆弾は投下され、その被曝による健康影響を調査しているのが放射線影響研究所(以下放影研)であります。放影研の前身は米国原子力委員会の資金により米国学士院が設立した原爆傷害調査委員会であり、1947年に広島で研究活動を開始しました。1955年にフランシス委員会により個別課題ごとの研究を改め、固定集団を対象とする追跡調査へ統合すべきという今日まで続く研究方針の基礎となる勧告が出されました。そして原爆被爆者とそれの対照群となる非被爆者の死亡率、がん発生率、非がん疾患発生率などを追跡調査を行い、推定被曝量との相関関係に関する研究データが報告されています。これが現在の被曝の影響を語る上での基礎データとなっています。のべ12万人に対して調査が行われており、60年も前にそのような大規模な調査が行われていたことには驚きを禁じえませんでした。
放影研疫学部の小笹晃太郎先生曰く1Gy以上の極めて線量の高い場合の健康影響は生活習慣などの交絡因子の影響が相対的に小さくなるため、がん発生率に与える影響は明らかではあった。しかし100~200mGy以下の低線量被曝の場合の健康影響は測定すべき影響が小さく、交絡因子の影響が相対的に大きくなるため、リスク評価が困難となるということでした。また、当然数十年前にデザインされた研究であるため交絡因子に関する検討は現在の基準が照らし合わせると不十分であり、ここに研究の限界があるということでした。これは放影研の理事長で福島県郡山市の健康管理アドバイザーも務める大久保利晃氏が「放射線に被ばくすればするほど、ガンは増えます。これは逆に。だんだんだんだん減らしていったときにどうなるのか。本当にゼロに近いところでもごくわずかに増えるのか増えないのか。これが一つの問題です。」「本家本元、広島の研究では増えたのか増えてないのかということは統計学的に証明できてないです。」と以前指摘されていた通りでもあります。
我々の研究においても福島第一原子力発電所事故による被曝はほぼ全員が低線量被曝であるため、被曝のがんの発生率やその他の疾患の発生率に対する影響を正しく評価するためには避難の有無、生活習慣、収入などの多岐に渡る交絡因子を検討する必要があると考えられます。そのためには行政や住民の方々ともしっかりコミュニケーションを取りながら、適切にデータベースを作っていく必要があることを切に感じました。
加えて、我々が臨床を行っている実感として低線量被曝そのものの影響よりも事故のために農業、漁業ができなくなり、仮設住宅で生活することで運動量が落ちてしまったことによる健康影響、家族が離れ離れになってしまったことによる精神的な影響、高齢化が急速に進んだためにこの地域で介護老人をみることができないなどの副次的な影響が極めて大きいのではないかと考えており、その影響も明らかにできればと考えております。
また、放射線影響研究所で経済協力開発機構/原子力機関(OECD-NEA)主催の低線量被曝に関する政策立案者向けのカンファレンスの発表練習にも参加させていただきました。そのようなカンファレンスが行われる事自体が低線量被曝の研究に対するニーズは福島第一原子力発電所事故後高まっているということの証左であると考えており、これから我々が行おうとしている研究の意義を再認識させられるような旅となりました。
(2015年5月27日「MRIC by 医療ガバナンス学会」より転載)