普通ってなんだっけ? これ、読むだけで「幸せのヒント」掴めます。

正しさや常識なんて、時代や場所でいくらでも変わるんです。
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第1回目のパブリテック自治体講座は、鎌倉市長 松尾崇さん、株式会社ぐるんとびー代表取締役 菅原健介さんをお招きし、<共生×鎌倉×パブリック>というテーマで開催いたしました。ご登壇いただいた講演、およびコーディネーターに共創法人 CoCo Social work CEO兼ソーシャルワーカーの菅原直敏さんが加わった、パネルディスカッションの様子を紹介させていただきます。

本記事では、株式会社ぐるんとびー代表取締役 菅原健介さんのご講演内容を紹介いたします。

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株式会社ぐるんとびー代表 菅原健介さん
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イベントフライヤー

主催団体 公式Facebook ☞ https://www.facebook.com/jpolicy.org/

後援団体 パブリテック推進協議会 ☞ http://publitech.jp/

*パブリテックの基本的な考え方

「テクノロジーをどう活用してどのような世界観を実現していくのか」というところに重きをおいています。

*パブリテック自治体講座とは

AI・VR・ブロックチェーンなど、テクノロジーが発達している中で、その技術の中身について話すだけでなく、「実装している方」を官民問わずお招きして講演していただきます。最後には、会場の皆様ともパネルディスカッションを通して深めていきます。

株式会社ぐるんとびー

日本初、UR集合団地のひと部屋に介護事業所を入れて、自分の家族もスタッフも皆で住みながら「住民視点でまちづくりをしたいな」と考えている会社です。

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株式会社ぐるんとびー

わたしは、鎌倉生まれ鎌倉育ちで、中高生の時期をデンマークで過ごしました。インターネット広告の会社に入社し、その後医学療法士になりました。

地域活動に元々興味があったわけではなく、東日本大震災を契機に気がついたら小規模多機能ホームを作っていて、週30時間を地域活動に費やしています。まちづくりに関連する多くの自治会・委員会の幹事を務めています。お金にはなりませんが、この活動が「人がより良く生きていくために、いま必要なんじゃないか」と思い、励んでいます。

「ぐるんとびー」という名前はデンマークの哲学者からいただきました。デンマークが世界一幸せな国と言われるようになったのは、「競争ではなく共生からなる生活」を国として求めていったところからスタートしています。

介護事業所を含め、僕らも「どうしたら共に生きていけるのか」という視点で事業展開しています。

正しさや常識なんて時代や場所でいくらでも変わる

例えば、デンマークの保育園のお昼寝は、雨でも、-13℃の寒い冬でも、外で寝かせます。

これ、普通です。

ドアを開放すると外の音が聞こえたり、空気が入ってきたり、五感で感じるものが増えます。こういったものを体感することで感性も育ち、免疫力も高まることがエビデンスとしても出ているので、デンマークではこの方法が採用されています。

僕らはなぜ子どもたちを一定の温度の中、室内で寝かしているのでしょう?

「親が心配だから」「風邪を引くと困るから」など、理由は色々あると思いますが、デンマークでは「子どもたちにとって、国民にとって、何が1番良いのか」を常に議論しています。

小さい頃から免疫力を高めないと国の財政を圧迫することになるので、僕が39.5℃の熱で病院に行った時も「寝てれば治る」と薬はもらえませんでした。自分たちで免疫力を上げていくという意味でも、外で昼寝をさせることを重要視しています。無理してやらせているわけではなくて、お母さんたちも「だって、外の方が良く寝るのよ」と、子どもにとってもその方が良いという理解をしています。

デンマークでは、親権よりも適切に育てられることが優先されます。子どもが生まれると、「あなたの子どもも隣の子どもも、等しくまちの宝なので地域全体で育てていきます」といことを最初に言われます。その子が働かなくなってしまったり、働けなくなってしまったりすると、国としても納税が減るので、子どもたちが健やかに育つことが国の財産になると考えます。親が適切に育てられないと判断されると国が親権を剝奪することもあります。

食事介助も虐待と見なされる場合があります。本人が食べたいものを食べる手伝いをすることは介助ですが、本人は食べたくないのに「食べて栄養を付けないと弱るから」と無理に食べさせる行為は虐待にあたります。日本中の介護施設では、まだまだこれが起こっています。

本人にとって、本当に必要かどうかが重要で、「このままだと死んじゃうから」と周りがやらせるのは虐待、というのがデンマークでは常識になっています。

「正しい」を固定化させない

なぜそれが必要か、それをやる必要があるか、を国民全体が考え、「その瞬間での最適解」を更新し続けることをデンマークは行っています。

・常識的に

・こうあるべき

・誰かに言われたから

・指示されたから

・会社のルールだから

は理由にはなりません。

「Always Why?」で考えるよう、シフトしていくことが大切です。

僕らが向き合うのは、前例のない社会なんです。

僕の地域は藤沢市で最も高齢化率の高いエリアなので、近くのカフェの「98%が高齢者」のような状況です。会社としても大事にしている、常識や前例にとらわれず、自分で考え、行動し、新たな道を切り拓けるクリエイティブな人財が求められる時代になっていくでしょう。

地域住民と社会を共創する

人は、ほぼ100%介護が必要な時期が訪れますが、「介護を受けたい」と言う人は、実はあまりいません。

これは僕のまちのおじいさんです。

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出典 当日のスライドより

この方も「人の世話になってまで生きたくない」と言っていて、ただ、40年間通っていた「プールには行きたい」と言っていました。ガンが進行してきて、放射線治療を受けている間も「プールに行きたい」と言い続けていました。

しかし、病院では「今は治療に専念して下さい」「プールに行くと感染のリスクがあります」と止められ、ご家族からも「もう十分やったからいいじゃない」と反対されていました。そんな状況におじいさんは「人が死んでもいいって言ってるのに、それを止めるのが医療や介護か!それなら全員やめちまえ!」と話されていました。

おっしゃる通りで、「医療もラーメン屋さんみたいなものなので、『ぬるいラーメンは出せません』と言うなら、出してくれるラーメン屋さんに変えればいいんです」と話し、病院を変えました。

在宅ドクターとも話し合いました。プールに入ると吐血したり、窒息したりするかもしれないと言われていて、「その覚悟があってやるんですよね?」と尋ねると「そうだよ!」と言うので、僕たちもお手伝いすることにしました。

プールの方とも関係はずっとつくってきていたんですが、「今日死ぬかもしれません」と伝えたら、さすがに驚かれました(笑)でも「じゃあ、あそこで泳いでる人がいつ死ぬかわかりますか?」なんて言いつつ、「もしものことあったら、他のお客さんに一緒に謝って下さい」とお願いをしました。

プールに行くと、おじいさんの友だちが待ってくれていて、たくさん声をかけられていました。最終的には、私はどかされ、仲間の皆さんがおじいさんを支えて歩いてくれました。

1時間歩き切って「もうこれでいつ死んでも良い!もうこれで満足した!」とおっしゃられていました。プールの方も、「死んでもいいからプールに入りたいと来てくれて、こんなに笑顔になってくれる人に初めて会いました」と、「ドクターの許可が降りるならば、プール側としてはこれからも来ていただいて構いません」と言っていただきました。

僕らが地域を変えていったというよりも、おじいさんの生き様が周りを変えていったことを物凄く体感しました。

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出典 当日のスライドより

ぐるんとびーを利用されている人の中には失調症やアルコール依存症の方などもいらっしゃいます。人によってはセンサーなどの見守りシステムを活用することもあり、何かあった時には緊急電話が鳴るので、すぐに駆けつけることができます。これがALSOCじゃダメなんです、僕らが地域住民として、

「おばあさんどこかお出掛けですか~?僕も東急に行くところで」

「あら、私も東急行くのよ~」

という温度感が大事で、このような自然な形でサポートをするためにテクノロジーが必要となってくると思います。

他にも、待機児童・不登校・障がいを持った子どもたち、誰でもが遊びにきて、自然と医療に関わる大人と触れられる場となっています。さらには、亡くなっていく姿から子どもたちが学び、みんなで支えながら看取る、これが社会勉強になると思っています。スタッフの半数以上が地域住民なので「地域住民という感覚」を共有しながら社会を共創しています。

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出典 当日のスライドより

「困った」を放置せず、すぐに対応できる環境づくりが最も重要だと考えています。

そこそこハッピーに生きる

周りの愛情があるが故の、「こうした方が良い」というアドバイスが、気がつくと「やめてください」になってしまっているという状況は親子関係でもよく起きていると思います。

「~したほうがいい」が「~させる」になってしまうことは、本人にはストレスになりますし、相当制限がされて、生きづらくなります。これが、本人との対立を生みます。

例えば、おむつ交換。

もう臭くなっているのに「おむつを変えたくない!」という女性の方がいたりします。でも介護側としては必要なことなので強引に変える、という行為は、普通だったらセクハラですよね?しかし、不思議なことに、これが介護や医療だと捕まりません。

うちの介護事業所では、嫌がっている場合「2日間おむつ交換しない」なんてこともあります。そうすると、本人も痛かったり、かゆかったりしてきます。そのタイミングで「気になるなら見ましょうか?」と声を掛けると、「じゃあちょっと見てくれない?」と、本人の「やりたい」をお手伝いできるかたちに持っていくことができます。

デンマークでは「失敗する権利がある」と言われています。

この権利がないと、周りの心配から制限が発生することになっていきます。「自己責任」「自己判断」「自己決定」が大事で、本人がやりたくないことを周りがさせて、その結果が良くなかった場合、「あなたにやらされたのに!」と他者責任になってしまいます。

本人がやりたいと思ってやったことはすべて自己責任なので、うちではそのお手伝いだけをします。

それによって、かぶれてしまったり、骨折してしまったことも実際にありますが、怒られたことは1度もありません。むしろ本人やご家族から謝られることの方が多いです。

住民に自治体が寄り添いながら、住民が自分たちでよりハッピーに生きられる選択肢を一緒に考えることが大切だと思っています。

東日本大震災で感じたこと

震災時、母が代表を務める「キャンナス」という訪問ボランティアの会が最多の看護師を派遣しました。

僕自身も現地のコーディネーターとして入っていたのですが、その中で価値観のぶつかり合いが起きました。

うちの団体としては、「生活支援としてなんでもやる」ということで参入していましたが、「なんでもやると自立を妨げる」という考えの団体もありました。そうは言っても、「実際に目の前で困っている人がいるんです!」と思いましたが、事実ではあると思いました。ただ、災害が起きている現状で、放置して自立できるのか?という点はとても疑問でした。

それぞれ価値観がバラバラで、やることもバラバラで、どちらも間違いではないはずです。それなのに、正しいを固定化して押し付け合っているように僕は感じていました。

これが今の日本でも起きているように感じて、このままではマズイと思っています。

保育園や介護問題、テクノロジーであったり、それぞれの団体が個別に「その分野での最適」を考えるのではなく、連帯意識と共有価値観をもって、「共生にむけた対話」をすべきだと思います。

最終的に、「教育が必要なんじゃないか」という考えになり、現在は道徳観をつくっていくことを厚生労働省と一緒に考えていこうと活動しています。