政治も散文的なら、それをめぐる議論や活動をくり広げる政治社会もまた散文的なのである。
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Mona Makela via Getty Images

▼散文:「韻文よりも作るのが簡単。」(フローベール『紋切型辞典』)

▼散文的:「詩情に乏しく、しっとりした趣がないさま。 ⇔詩的」(『明鏡国語辞典』)

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代々木ゼミナールが拠点7校舎だけを残し、そのほか20校舎の閉鎖を決定したことがニュースとなった。「高校で学んだことより、予備校で学んだことの方が多い。勉強も、人生も」。こううそぶく人は、ちらほらいる。それだけに、このニュースは、現役生のみならず予備校卒業生にとってのインパクトも小さくはなかったのだと思える。

20世紀の文字どおり世紀末、高三の僕は、まだベネッセの傘下に入るまえのお茶の水ゼミナールに通っていた。大手予備校に比べれば、講師陣はどこかのほほんとしていたが、その一人に、小論文の講座を担当していた風貌の冴えない大学院生があった。某国立大の大学院で台湾研究を専攻しているという彼が、ある小論文のテーマについて解説する中、こうつぶやいたことがある。

「『中途半端』ってのはさ、否定的な評価しかされない言葉だけど、本当にそうなのかな。案外、悪いものじゃないかもしれない。意外に、美しいんだよ」。

講師みずからの身の上に対する激励だったのか、あるいは台湾についてこみ上げる思いが何かしらあったのか。それはわからない。ともかく、今日まで、この冴えない講師のつぶやきを胸に抱えながら僕は生きてきたし、今もたびたびかえりみる。

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政治をめぐる人間の営みもそうかもしれない、と思う。冷戦たけなわのかつて、政治の現状にあきたらず、革命を実現しようと気炎をあげる人が多くいた。国家当局だけでなく多くの市民にも白眼視されることがあったから、自己陶酔とまではいわずとも、何かしらのロマンや英雄主義がなければやっていられないとの面はあっただろう。

その反面、政治をめぐる日々の営みというのは、それほどロマンやスリル、あるいはドラマに満ちみちあふれたものではないし、そうあるべきでもない。もっと地道で、しみったれていて、地味な営みであろう。政治的高熱が不思議とも思えなくなった今日、あらためてこのことを確認してみる必要はないだろうか。

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戦後まもなくのポーランドを舞台とするアンジェイ・ワイダの映画「灰とダイヤモンド」(1959)は、ターゲットとは別の人間を殺してしまう反ソ連派テロリストが、ガレキの上で命尽きるまでを描いたロマンチックな一本である。今日までワイダの「抵抗三部作」の一本として高く評価されるが、同時代の日本にも、この作品に刺激を受けた人は多かった。たとえ非力ながら、個人が国家当局に抵抗を試みるという英雄主義への共感があったのだろう。

哲学者の山田宗睦も、1960年代当時、同作に感銘を受けた一人である。戦後民主主義を守るべく、彼のいう「危険な思想家」らに対し仮借ない批判を加えた一冊の冒頭では、ワイダと会見した彼の興奮があますところなく記される。そして、ほぼ完全に両者を重ねあわす。

「ワイダは、はにかむように、うつむいて、ときどきちらっと天井のほうをみながら、しずかに語った。それは予想したとおり、まったくわたしの共感できることばかりだった。ワイダの口をとおしてわたし自身が語っているような気持ちがした」。

その上で彼は読者を激励する。「戦後二十年が勝つか、明治百年が勝つか[以上、原文傍点]。この闘いのなかでこそ、読者諸君は英雄になることができるし、なってほしいものだ」(『危険な思想家』1965年)。

ワイダとその作品に心酔している山田は、思い切っていえば、無邪気である。しかし、政治的なるものにあって、純粋とは必ずしも美徳ではないことは、これまでの人間の歴史をかえりみれば明らかである。

評論家・花田清輝もまた、当時「灰とダイヤモンド」に魅了された一人である。けれど、手放しで本作を称賛するという態度を、彼はとらなかった。

「政治は、燃えあがり、燃え朽ち、すでにひとにぎりの灰と化しさっているにもかかわらず、なお、自分を一箇のダイヤモンドだとおもいこまないではいられないような人間の手にかかると、すこぶるメロドラマチックな様相をおびてくる。しかし、現実の政治は、革命や抵抗のばあいであってもひどく散文的なものではなかろうか」(『近代の超克』1959年)。

散文的なる政治。ドラマもヒーローも、ロマンもロマンスもここには乏しい。花田とて現状の政治に満足していたわけではない。それでも、政治の地味な日常を引き受けようとしていた。そして、その隘路を縫って、何とか現状を改善しようと探った人間だったと僕は思う。散文は「韻文より作るのが簡単」などとは、まちがってもいえないのである。

いずれかの極によるのは、あんがい簡単である。しかし、せっかく授かった生、粘り強く考えぬき、打開策を探るのに精を出すのも悪くはない。1960年代当時、「革新」へ固執する社会党勢力を批判した評論家・萩原延寿は、不都合のめだつ政治的現実を前に、その「改良」を模索しゆくのが思想(言論)の使命だととらえた。

「政治は現実を語り、思想は理想を説き、かくして、その間に永遠の対立と緊張が存在する――、そういういわば散文的な現在の方が、政治社会の常態なのである」(「革新とは何か」1965年)。

政治も散文的なら、それをめぐる議論や活動をくり広げる政治社会もまた散文的なのである。

ところで、萩原がしばしば参照したイギリスの政治学者マイケル・オークショットは、国家の統治のあり方を「審判」「議長」にたとえる。人びとの議論が過熱しすぎるとき、どれかの極に肩入れするのではなく、統治者はただ静かに法(ルール)を守らせることに徹するべし。

この役割を心えた統治者は、国内の政治社会で熱狂が支配するようになったとき、「悪徳をもう一つの悪徳によって中和しようとする皮肉の要素......行き過ぎをくじく揶揄の要素、緊張を散逸させる嘲笑の要素、そして不活性の要素と懐疑の要素」をリングの中に投入するだろう(『政治における合理主義』増補版)。

皮肉、揶揄、嘲笑、不活性、そして懐疑。ずらしの政治、ファルス(笑劇)をおびる政治とでもいえようか。萩原は、これらの要素をリングに投入する統治者の役割を「軽薄さ」と表し、評価する。ただ、政治社会の沸騰と熱狂に、氷水を投げかける「軽薄さ」を政府に求めるのが難しいケースも多いだろう。とすれば、「軽薄さ」を引き受けるべきは、何も統治者だけではない。熱をおびたウエとヨコを尻目に、公共的な課題に関心を向ける個人にも必要とされる価値なのだと思えてくる。

政治社会における「軽薄さ」の方法は、さまざまだ。太平洋戦争のさなか、作家・林達夫の周りの知識人らは「翼賛」の一翼を担うようになった。この光景に呆然とした林は、戦後、ただまっすぐに「警官の前で、戦争絶対反対!」と唱えるヒロイックなやり方とは、別の闘い方をとった。

「いつの場合にも私にとっては反語〔ふりがな:イロニー〕が私の思想と行動との法則であり、同時に生態だったということです。......それはいわば自己を伝達することなしに、自己を伝達する。隠れながら顕われる。顕われながら隠れる」(『歴史の暮方』)。

ツイストした、容易には理解しにくい「反語的精神」もまた、個人による「軽薄さ」の一つのかたちであろう。ここで僕は、デモなどの直接的な政治行動を否定的にとらえているのでは毛頭ない。ただ、政治をめぐる営みにはバリエーションが豊富に用意されておくべきだといっているにすぎない。

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とかく今日の政治社会では、「わかりやすさ」が追求されやすい。最近、日本国内のヘイト・スピーチについて、国連・人種差別撤廃委員会から政府へ是正勧告が出された(そのことの是非はここでは問わない)。広島では土砂災害が大規模に拡大した。これらに関して、すわ在日コリアンの策謀で勧告が出されたのではないか、徒党を組んだ在日が災害現場で空き巣などの狼藉を働いている、との実に「わかりやすい」陰謀論のお手本も一部ではみられた。

今日、英雄主義の下、熱を帯び、一個のダイヤモンドを自認して強硬な変革を目指し、どこまでも「わかりやすい」政治的活動を志向するのはいったい誰なのか。

先人らの織りなしてきたニュアンスやバリエーションあふれる言葉と政治的態度は、「わかりやすさ」の影で、相手にされなくなってしまったのだろうか。そして、政治社会の高熱を「軽薄さ」によってクールダウンするという契機は、もはや必要とされなくなったのか。

そんなことはないだろう。きっとただいっとき忘却されているだけである。熱にうかされつづけることとて、楽ではないのだから。韻文よりも散文を求めるようになる刹那だけは、見失わないようにしたい。