昭和天皇の弟で、天皇陛下の叔父である三笠宮崇仁さまが10月27日朝、東京都内の病院で亡くなられた。明治以降の皇族では最長寿の100歳だった。 時事ドットコムなどが伝えた。
NHKニュースによると三笠宮さまは5月16日、せきや発熱の症状を訴え、急性肺炎と診断されて東京・中央区の聖路加国際病院に長期入院していた。
治療によって症状は改善しましたが、関係者によりますと、三笠宮さまは、心臓の働きの低下がみられ、胸にたまった水を抜く治療を受けたり、新たに誤えん性の肺炎を発症したりして、病室と集中治療室とを行き来される状況が続いていました。
(三笠宮さま ご逝去 昭和天皇の弟で100歳 | NHKニュースより 10月27日 8時55分)
6月下旬には心臓の拍動のリズムを整える「ペースメーカー」を埋め込む治療も受けられたが、その後容体が悪化し、亡くなられたという。
■100歳の誕生日、妃の百合子さまへ感謝のお気持ち
2012年、三笠宮さまは96歳の時に、心臓の弁の機能を回復するための手術を受け、その後は外出の機会は減ったものの、2015年12月には明治以降の皇族で初めて100歳を迎えた。この時に三笠宮さまは宮内庁を通じて、妃の百合子さまへの感謝の気持ちをつづった文書を発表した。
100歳を迎えるからといって、これまでと何ら変わることはありません。世界中の人々の幸せを願い、また、70年以上にもわたり私を支えてくれている妻百合子に感謝しつつ、楽しく穏やかな日々を過ごしていきたいと思います
2016年1月の一般参賀でも、妃の百合子さまとともに元気な姿を見せていた。
朝日新聞デジタルなどによると、三笠宮さまは1915年(大正4年)12月2日、大正天皇と貞明皇后の第四皇男子として誕生。9人の孫、4人のひ孫がいる。長男・寛仁さま、次男・桂宮さま、三男・高円宮さまの3人の息子がいたが、すでに亡くなられている。
朝日新聞などによると、三笠宮さまには戦時中は旧日本軍の大本営参謀などを務めた。陸軍参謀として中国・南京にも派遣された。お印にちなんで「若杉参謀」の名を用い、軍紀の乱れや残虐行為をただす発言をしたことで知られる。戦後は東京大学文学部研究生として「古代オリエント史」を専攻。トルコなどで遺跡調査に携わった後、青山学院大学などで古代オリエント史の講師として教壇に立った。
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