2015年末にフランスのパリで開かれる国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)は、世界が今後どう気候変動問題へ立ち向かうかを決定する会議となる。この会議の成否は、未来に対する現世代の責任が果たせるかを問うものとも言える。国連はCOP21に先立って、各国に自国の行動と目標の案を提出するよう求めており、2015年3月の期限までに、米国や欧州連合(EU)28か国を含む先進国の多くが提出を終えている。足元が固まらず遅れをとる日本。国内動向をみると著しい迷走ぶりに暗雲が漂うばかりだ。日本はどこへ向かうのか。
「CO2削減には原発が必要だ」「原発を減らすと経済に悪影響だ」
現在、エネルギーや気候変動政策の議論で聞かれるこうした言説。過去の資料をひも解くまでもなく、20年近く前からまったく同じような議論が繰り返されてきた。京都議定書の6%削減目標達成の手段に関する1998年の検討では、2010年までに20基の原発を新設することを織り込んだ、原発推進を大前提にした計画を作り上げた。原発でCO2削減できる前提だから、再生可能エネルギー導入も省エネ強化もさして必要なく、すでに省エネ努力を"がんばっている"産業界の行動を厳しく縛る必要もないとして、多くを自主的な取り組みに委ねた。
以来ずっと、日本の気候変動対策は、「原発」と「産業界の自主的取組」を軸に歩んできている。が、その結果は、排出量は一向に減ってこなかったという現実である(下図)。リーマンショックによる世界的な経済低迷で排出量が唯一減少した時期と京都議定書第1約束期間がちょうど重なり、かろうじて目標達成できた形だ。
実際には、2010年までに20基の原発新設との計画は結局3基建設に止まり、加えて2003年の東京電力の不祥事や2007年の新潟県中越沖地震に伴う原発の運転停止により、計画は全く遂行できなかった。計画通りにいかなかったのは今に始まったことではない。これまで一度たりともないのが実情だ(下図)。原発は増えてきたとはいえ、打ち上げ花火のような計画(点線)を達成したことは一度もない。すなわち、原発計画を前提にした気候変動対策は、計画した時点ですでに破たんしていたと言えるのである。
福島第一原発事故後、火力発電への依存度が高まりCO2排出が増加している。これをもって、2030年の温室効果ガス削減目標の検討プロセスでは、まるで原発事故がなかったかのように原発必要論が再び大手を振って主張されるようになってきた。しかし、ここで認識しておく必要があるのは、仮に既存の原発をすべて再稼働させても、一向に削減させることができなかった2010年前の状況に戻るだけであるということである。また、今後、原発が老朽化していく中で、原発依存はおのずと低下するのであり、相当数の新設をしない限り将来のCO2大幅削減の切り札になり得そうもない。そして、相当数の新設など実現できるはずはないことは誰もが理解できることだ。
にもかかわらず、「原発推進は気候変動対策のために必要」と声高に語る人たちがいる。その人たちの多くは、これまで気候変動政策の強化に反対してきた人たちであることは奇妙なことである。彼らが省エネや再生可能エネルギー政策の促進を阻止してきた経緯をみれば、本当は気候変動問題に関心があるわけでもないことは容易に透けて見えよう。CO2削減は方便であり、原発推進のためのロジック作りに他ならない。そしてそれは、過去を顧みずに、新たな非現実的な計画をもって気候変動対策を狂わせる道に突き進もうとするものでしかない。
福島第一原発事故後、政治が原発回帰に大きく舵を切るその裏で、気候変動問題との関係で際立つ動きは、ここ2〜3年の石炭火力発電所の建設計画の乱立である。とはいえ、石炭火力発電の利用推進も今に始まったことではない。
1990年以降、原発推進政策の傍らで、新規の運転開始が大規模に増加させ、設備容量・発電量ともに拡大をしてきた。せっかく(といっては何だが)原発を推進してCO2を減らしても、石炭火力の増加がいとも簡単にその効果を相殺してきたのである。日本の気候変動政策のちぐはぐさがここに表れている。それでも、京都議定書が発効し、単位当たりCO2排出量の大きい石炭火力は問題視されるようになって、2009年には、福島県小名浜での石炭火力発電所建設計画が環境アセスメントの過程で計画中止に追いこまれた。それ以降、大型の石炭火力の計画は一度ゼロになる。
状況が一変したのが、福島第一原発事故後である。電力コスト低減という国からの命題と、改正「エネルギー基本計画」において重要なベースロード電源としての位置づけを新たに得て、完全に息を吹き返したのである。東京電力が行った初の火力電源入札 で2基の石炭火力発電事業が落札されたのを機に、様子をうかがっていた他の電力会社及び新電力としての参入を狙う事業者が堰を切ったように石炭火力計画に乗り出したのだ。その背景には、政府が、規制改革の一環で石炭火力のリプレース(更新)の際に環境影響評価の迅速化を図るといった決定 や、コスト低減のための火力電源入札制度を導入などの、政府による事業者の石炭火力の建設計画への強力なバックアップがある。
そして今、建設計画は毎月増加を続けている。その規模は、2030年までに43基、計2120万kW(2015年4月15日時点)に上る。設備容量からも、古い発電所のリプレースの規模を大幅に超える石炭火力の大増設計画であることが見て取れよう(下図)。
昨今のエネルギー・ミックスの検討では、"低廉"で"安定"した「ベースロード電源」としての原発・石炭の重要性が強調され、その6割の維持が必要だと議論が聞かれる。このうち原発20%などといった実現性が見いだせない絵空事の数字が飛び交う中、実質的にベースロード電源として着実に進められているのがこの石炭火力ということである。
このままでいけば日本は石炭依存高めていくばかりであり、CO2削減どころではなくなる。なお、ベースロード電源6割を確保していた福島第一原発事故前には、CO2排出が減ってこなかった。このことを想起すれば、結局のところ、現在の体制派は、温室効果ガス削減などまともに考えてもいないのである。もし、真剣だというなら、石炭火力の建設の野放し状態に手をつけないことはあり得ないだろう。
米オバマ大統領は、国内排出の3割を占める発電部門対策として、実質的に石炭火力の抑制に乗り出した 。英国では、3党党首が国内の石炭火力のフェーズアウトに合意した 。EUは、石炭火力発電の新設の際には、CCS(二酸化炭素固定貯留技術)の準備ができていることの証明を求めている。「CO2を出さない手だてを準備しないと建設はしてはならない」というサインである。いずれも、石炭火力がCO2排出に最も大きなインパクトのあるインフラ設備であり、一度建設されると40年といった期間で運転を続けることの気候変動へ影響を緩和するための政治の対応だ。
2050年まで運転を続ける技術でありながら、このような高炭素排出インフラへの投資の在り方が問われない日本は、気候変動対策に真剣であるとはお世辞にも言えない。
日本が今取ろうとしている道は、原発事故前と同様のロジックを採用し、原発・石炭を軸にベースロード電源を確保し、その上澄みとしてだけ再エネをわずかに位置づけ、肝心の省エネは、業界の言い値以上には想定しない、というこれまでたどってきた道へ戻ろうとするものである。気候変動の観点から言うと、従前と同じ、景気低迷、人口減少に依存するだけの無策に近い。これではCO2は決して減らない。
日本がこのように気候変動問題に対処できないシステムを構築しようとすることを、国際社会は許容することはないだろう。CO2排出制約は今後厳しくなることはあっても緩むことはない。炭素コストの上昇、環境規制強化、投資要件の厳格化、そして再生可能エネルギーのコスト低下など、今は低廉だとされる石炭火力にも様々な事業リスクが目前にある。ここ2〜3年の事業者の石炭火力への投資事業は、国際的にコスト低下が顕著な再生可能エネルギーに対する競争力の低下による経営難の可能性も高く、CO2排出への対策要請から、二重の投資を強いられる選択となる可能性も小さくない。今の方針は、変わらなければならないはずの産業構造を硬直化させ、グリーン経済の振興の芽を摘み、経済の先行きに閉塞感ある現在の状態が続くばかりだろう。
では、どうすべきか。
まず、「ベースロード電源」の呪縛を解き放つ必要がある。原発の問い直しが必須であることは言うまでもなく、その役割を終えていくのが日本の使命だ。また、累積排出量が問われる時代になり、石炭で電力を作る時代ももはや過去のものとなったのである。24時間稼働し続ける原発・石炭などの電源が"低廉"で"安定した"電源だと言うが、再生可能エネルギーは、燃料コストがかからないという意味で"より低廉"で、枯渇しないという意味で"より安定した"電源であると言える。そして、もちろんクリーンである。
再生可能エネルギー推進の必要性を疑う余地がない中では、今後は、供給可能な再生可能エネルギー電源を「ベースロード電源」という概念として新たに定義付けたらいいだろう。再生可能エネルギーから賄える電源を電力供給の基礎に位置づけ、さらに必要な部分を柔軟性・機動性の高い電源で補う。日本の社会経済的リスク・環境リスクを低減するには、この発想転換が政治及び政策の中で共有されることが肝要だろう。
第二に必要と考えられるのは、気候変動問題に対する最新の科学を踏まえた基本認識を共有することである。当たり前のことのようだが、そうでもない。気候変動対策が求められる中、100万kWで年300万トンものCO2を排出する石炭火力発電装置には問題がありそうなことは容易に想像できるはずだが、その排出は問題にされることなく、制約がないどころか、むしろ政府の後押しを受けて建設できるのが今の日本である。
このことは、日本において、気候変動問題は国家の課題としてもリスクとして認識されていないことに起因すると考えられる。実際、過去の日本の気候変動政策動向を振り返ると、政策検討や導入に動いたのは国際的な条約や議定書にけん引された場合に限られ、国内自らの問題として、自発的に動いたことはほとんどない。すなわち、国内政治では危機感はほとんど共有されず、むしろ気候変動対策は経済負担とぐらいにしかとらえられていない。
しかし現実には、気候変動は、国内経済、産業、インフラ、安全な暮らしを脅かす日本にとっての安全保障問題である。そしてこれに挑む経済産業システムを構築することにはビジネス機会も多く、新たな日本作りの好機でもあり、国を挙げて取り組むべき課題ではないだろうか。これまでの二十年来の変わらぬ議論を俯瞰していると、表面を取り繕うだけの気候変動対策を脱するには、日本にとっての気候変動リスクを一から捉えなおし、問題意識を持つことから始めないとならないかもしれないとも感じるのである。それは、電力問題に矮小化されるのではなく、産業のありかた、まちづくり、交通政策など将来を見据えた気候変動対策の構築の基盤としても不可避であろう。
【参考】
[1] 資源エネルギー庁「新しい火力電源入札の運用に係る指針」平成24年9月
[2] 規制改革会議「規制改革に関する答申」平成25年6月5日
[3] USEPA, Clean Power Plan, http://www2.epa.gov/carbon-pollution-standards/clean-power-plan-proposed-rule
[4] 英国3党合意文書、2015年2月14日 http://www.green-alliance.org.uk/resources/Leaders_Joint_Climate_Change_Agreement.pdf
著者平田 仁子
価格¥ 1,728(2015/04/21 15:25時点)
出版日2012/08
商品ランキング276,706位
単行本197ページ
ISBN-104861870968
ISBN-139784861870965
出版社コモンズ
(2015年4月20日「Energy Democracy」より転載)
Energy Democracy <http://www.energy-democracy.jp> は、左右でもなく市場原理主義でも市場否定でもない「プログレッシブ」を場のエートスとする、創造的で未来志向の言論を積み重ね、新しい時代・新しい社会の知的コモンセンスを積み上げていくメディアです。
人・モノ・カネ・情報のグローバル化や、社会や組織、家族や個人のあり方や思考、価値観など「変化してゆく社会」のなかで、中央集中型から地域分散型へとエネルギーと社会のあり方がパラダイム的に変化する意味を考え、議論し、理解を深め、未来に進んでいくための手がかりとなる論考を、自然エネルギーがもたらす変革を中心に、気候変動対策、原子力政策、電力システム改革、エネルギー効率化など環境エネルギー政策に関する論考など環境・エネルギー・コミュニティを軸に、経済・社会・政治など多角的な視点から、環境エネルギー政策研究所(ISEP)による編集のもと、国内外のプログレッシブジャーナルとも連携しつつ、厳選された国内外の専門家や実務家、ジャーナリストが寄稿します。