自由と生存のメーデー 2016 アンダークラスの闘い 山谷、そして歌舞伎町。

今年は私にとって、記念すべき「10周年」の日である。
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The shadow of electricians is cast on the road as they protest the government's shut down of a state-run power company in Mexico City
Chico Sanchez via Getty Images

今年は私にとって、記念すべき「10周年」の日である。

なんの10周年かというと、「労働・貧困問題」に目覚めてから10周年。

10年前の2006年4月、「自由と生存のメーデー」に行ったことで、私の人生は大きく変わった。知り合いが主催していたわけでも誘われたわけでもなかった。たまたまネットで発見したメーデーの告知が、頭を離れなかった。こんな告知文だ。

「自由と生存のメーデー06 プレカリアートの企みのために生きることはよい。生存を貶めるな!

低賃金・長時間労働を撤廃しろ。まともに暮らせる賃金と保障を!

社会的排除と選別を許すな。やられたままでは黙っていないぞ!

殺すことはない。戦争の廃絶を!」

「プレカリアート」という初めて聞く言葉には、「新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々」という注釈があった。当時の私は「新自由主義」という言葉が何を指すのかも理解していなかった。だけど、「不安定」という言葉がずっとひっかかっていた。

メーデーを知らせる文章には、以下のような言葉があった。

「私たちはばらばらに切り分けられながら、この国で戦争を戦わされている。差別と排除のなかで生存を脅かされながら、野宿労働者が『自立』を強要され剥き出しの市場に放り出される。

社会保障を切り捨てられ地域の支えあいが不十分ななかで、障害者は『自立支援法』のもとに自己責任で働くことを強要される。無権利なまま女性パートタイム労働者が正社員と変わらぬ労働を担わされる。人間性を蹂躙する指紋押捺など治安管理にさらされながら、移民労働者が都合よく周縁労働者として酷使される。

イラク派兵後のこの戦時下では、殺されることさえも殺された人間の自己責任と侮辱され、ふらふらと街を歩くこと自体が危険視され監視されている。『ただ生きること』が否定され、役に立つかどうか、放置してよいかどうか、殺してよいかどうかが吟味されているのだ」

この文章を書き写しながら、「10年前」のものとは思えず改めて驚いた。

生存のための戦争と、移民、女性パートタイムの問題などなど。そして当時はイラク戦争からまだ3年。「イラク派兵」は身近な問題で、このメーデーの2年前には香田証生氏が「自衛隊の撤退」を求めるイラクアルカイダ(ISの前身)に殺害されていた。

そしてそのことが、「自己責任」というバッシングに晒された。

06年、このメーデーに参加した私は、200人ほどの若者たちからなるデモ隊から、自然発生的に「生きさせろ!」と声が上がったことに、がつんと頭を殴られたような衝撃を受けた。

10年前。当時は小泉政権で、戦後最長の好景気と言われていた。フリーターなど非正規問題は労働問題ではなく「心の問題」とされ、フリーターの若者たちは「夢追い型」「モラトリアム型」なんて形で本人の「心理」ばかりを分析されていた。何か違うと思ったけれど、どう違うかわからなかった。

「甘えている」「怠けている」。そう言われれば言われるほど違和感を持ったけれど、反論できなかった。自分自身、社会に出る頃から非正規で低賃金で、「マトモな労働環境」に潜り込めたためしなどないのだから、何が普通で何が異常なのか、知る由もなかった。

バブルが崩壊してから、既に10年以上が経っていた。非正規雇用率はどんどん上がり続けていたのに、誰もまだ、この国に広がる「貧困」を、発見していなかった。この日、メーデーを主催したような一部の人々を除いては。

あれから、10年。

見渡してみれば、状況は変わらないどころか悪化の一途を辿っている。当時「1600万人」と衝撃をもって語られた非正規雇用者の数は既に2000万人を突破。働く人々の平均年収は下がり続け、非正規雇用率は4割を超えた。ブラックバイトや奨学金も問題となっている。

そうして当時若者だった層は10年分、年をとった。31歳で運動を始めた私も41歳だ。気がつけば「失われた10年」は「失われた20年」になっていた。ということは、現在のアラフォー世代は20歳から40歳を「失われた」中で過ごしたというわけだ。

多くの人はこの20年の間で就職したり結婚したり、場合によっては子どもを持ったりするわけだが、そのすべてを経験していない層が周りに多くいて、今や自分たちを「絶滅危惧種」と自称している。

さて、そんな10年目のメーデーが5月1日に開催される。今年のテーマは「アンダークラスの闘い 山谷、そして歌舞伎町」だ。

この日は、日雇い労働者の闘いを描いた映画『山谷 やられたらやりかえせ』を上映。また、メーデーを呼びかけるフリーター労組の分会「キャバクラユニオン」の闘いの記録も上映する。

日雇い労働者の町から福祉の町へと変貌する寄せ場の光景は、不安定層にとって未来予想に近いものかもしれない。

一方、「稼げる仕事」だった夜の仕事の世界にも、とてつもない搾取がまかり通っている。キャバクラユニオンの人に話を聞くと、時給にすれば65円のキャバ嬢もいれば、朝キャバに出勤するため、前日は公園で野宿するキャバ嬢もいるのだという。

いろんなことの、底が抜けている。

そんな中、この十数年で、唯一「改善」した数字がある。それはホームレス数。

例えば03年は、厚生労働省の調査で2万5000人を超える路上生活者がいることが確認されていた。が、15年の調査では、日本のホームレス数は6541人。

「減ってよかった」と胸を撫で下ろしたいところだが、そうは言っていられない。厚生労働省の定義する「ホームレス」は、「都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場として日常生活を営んでいる者」。

が、現在のホームレス状態の人々、特に若年層は、ネットカフェやファストフード店、友人宅などを転々としている。身なりもきれいで、そうとはわからない。

定義にも当てはまらない、国の調査でも決してカウントされない人々が、おそらくはかなりの数存在する。が、その数字は誰にもわからない。見えてこないから、放置されている。

この10年、毎年、メーデーが近くなるたびに実行委員会が立ち上げられ、会議に参加し、企画を練ってきた。

そんな「自由と生存のメーデー」と言えば、「祝祭的なサウンドデモ」がある意味「名物」で、「日本のデモカルチャーの最先端」とも言われてきた。

しかし、今年はデモはしない予定だ。

「もうデモはみんなやってるから、引き継いだって感じだよね」

誰かの言葉に、妙に納得した。

考えてみると、10年前、デモがこんなに「日常」の光景になっているとは思わなかった。もちろん、それは原発が爆発したからだけれど、運動を始めた06〜11年までの5年間と、それ以降の5年間のこの国の光景はまったく違う。

多くの人が「覚醒」し、声を上げ、アクションを始めた。ある意味で「社会運動」は当たり前のことになった。

そうして、10年前と比較して改めて戦慄するのは「戦争との距離が近くなった」ということだ。10年前、「戦争」がこんなにリアルなものになっているとは想像もしていなかった。

集団的自衛権の行使が容認され、安保法制が成立し、既に施行されている。経済的徴兵制という言葉が、貧困層を脅かしている。5年後、10年後を想像すると、暗澹たる気持ちになる。

しかし、絶望ばかりもしていられない。問題意識を共有できる人たちは、10年前と比べて遥かに増えている。

10年前、まさか10年後も同じ運動を続けているとは思ってもいなかったけれど、状況が悪化しているのだから仕方ない。しかも、パナマ文書に象徴されるように、金持ちがより豊かになり、グロテスクなまでに格差が広がるシステムは、更に強固になっている。

ということで、5月1日、みんなで集まろう。そしてこれからの作戦を立てよう。生きるために。

***

自由と生存のメーデー 2016

アンダークラスの闘い 山谷、そして歌舞伎町

日 時: 5月1日(日) 15時30分〜

場 所: フリーター全般労働組合事務所

     渋谷区代々木4-29-4 

     ミノシマビル2階 (京王新線初台駅東口より徒歩5分)

資料代: 500円

映像・トーク: 『山谷 やられたらやりかえせ』『キャバクラユニオンの闘い』

登壇者: 平井玄(山岡強一虐殺30年山さんプレゼンテ!実行委員会) 布施えり子(キャバクラユニオン) 竹信三重子(ジャーナリスト・和光大学教員)

司 会: 雨宮処凛 また、前日には前夜祭もあります。

日 時: 4月30日(土) 19時30分

場 所: フリーター全般労働組合事務所

(2016年4月14日 「雨宮処凛がゆく!」より転載)