「太りたくないなら吐けばいい」産後うつの土台にあった摂食障害

私の中では、自分の抱え続けたこの苦しみこそが産後鬱の土台だった。

医療問題ジャーナリストの熊田梨恵と申します。私は2015年、長男を出産後に「産後うつ」を経験し、初めてその苦しみと孤独を思い知りました。

仕事柄「産後うつ」という言葉は産婦人科医から聞いたことはありましたが、まさか自分がそうなるとは思いませんでしたし、妊娠中は誰からもそんな大変なことがあるとは聞かされませんでした。

私の場合は、産後うつや睡眠不足、片頭痛などから日常生活が送れなくなりました。そんな私がどうやって産後うつの苦しみと向き合い克服していったのか。このブログでは、産後うつ経験者として一つの体験談をお伝えしたいと思います。

私が産後うつになる土台には両親の愛を求める子どもの頃の自分がいて、そのために数々の依存症が引き起こされていたのです。

今回は、私の過去の心の傷が原因で引き起こされた摂食障害の始まりについて書いてみます。

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ここまで読まれて、「産後鬱の話のはずがDVとかリストカットとか、方向がずれてないか」と思われる方もいるかもしれない。

しかし私の中では、自分の抱え続けたこの苦しみこそが産後鬱の土台だった。

育児には自分がこれまで抱えてきた人生の課題が現れやすいと言われるが、まさしくそうだった。自分自身が成長するしか、真新しい子どもの命に向き合う方法はないのかもしれないと思った。

産後、私のように幼少期から抱えている親との問題が浮き上がってくる人も多いように、周りの話を聞いていると思う。このブログに寄せていただく感想を拝読していても、そういうご経験をされている方々が多い。

産後鬱の圧倒的な孤独は、抱えている悩みの背景が人それぞれ違うということも一つの原因かもしれない。

だとすると、ホルモンバランスが乱れるという生理的な話だけでは済まないのではないか。抱え続けた人生の課題と向き合わなければいけなくなるのだから、ある意味のクライシスだ。

(同時にチャンスでもあると思うが。とはいえ、皆が皆人生の課題が上がってくるわけでもないだろうし、本当に人それぞれだと思う)

こういう根っこの苦しみも、書かずに済ませることはできた。ただ産後鬱の最中のしんどさのみを伝える、ということもできた。でもそれでは、産後鬱の何が苦しいのかを伝えられない、それでは自分が書く意味がないと思った。

話を本題に戻す。

私は数々の依存症を繰り返した。買い物から向精神薬、恋愛依存、リストカットなどの自傷行為...。

しかし依存症は愛されていない自分を別のもので満たす代替行為なので、自分が満たされなければ、解決しない。私が買い物から向精神薬に移ったように、「もぐらたたき」のように、次々と依存対象を変えて現れるだけなのだ。

私の場合、買い物はお金がかかるから長続きしなかった。

向精神薬は飲み過ぎると体に良くないんじゃないかという思いがあった(精神科や心療内科をはしごしているという罪悪感も大きかったが、そもそもすべての依存症患者は自分のやっていることが世間的によろしくないということは十分すぎるほど分かっているので自己嫌悪や罪悪感は常に背負っている)。

恋愛依存は相手がいることなので、時間も労力も相当かかる。リストカットは跡が残るし、その後の痛みもつらい。

そして私が行きついたのは、摂食障害だった。

私の場合は典型的な過食嘔吐で、約15年間続いた。

女性用のお手洗いに行くと、吐いた跡を見かけることがある。

お手洗いから出てきたときに口の周りが汚れている人も見かけたし、向かい合って座った時に手の甲に吐きダコ(嘔吐する時に手を突っ込むと、手の甲に歯が当たってできる)ができている人もいる。

食べ放題の店のお手洗いで「吐かないでください」という張り紙を見かけたことさえある。

女性の10人に1人は摂食障害と言われ、若い男性にも増えていると言われるので、きっとそこらじゅうに問題を抱えている人はいるのだと思う(最近の統計ではもっと増えているのかもしれない)。

私は吐いた跡を見ると「もっと上手に、分からないようにやればいいのに」と思ったりしながら、自分の口に指を突っ込んで、声や音を出さずに胃の中のものを全部出したものだった。

初めて食べることに快感を感じたのは、入社一年目の初夏の頃だった。

私が新卒で入った会社は小規模の会社だったので、新入社員は新卒の私と、社会人枠で入った男性との二人だった。

関西から東京に来たばかりの私は、東京の右も左も分からず、社会人としても初めてで、何もかもがさっぱり分からない、という状態だった。

せめて同期入社で同い年の子でもいれば分からないことを尋ねたり、新入社員の戸惑いや大変さを共感できて少し楽になったのかもしれないが、そういう相手もおらず、とても孤独だった。

おまけに会社は霞が関にあり、国会議事堂駅が最寄りで、内閣府と総理官邸の前を通っての通勤。

取材は厚生労働省や霞が関に事務所を置く全国団体がメインで、初夏の頃には総理官邸にカメラを持って入り、居並ぶ報道陣と共に当時の小泉純一郎首相を撮った。

一般のマスメディアの記者であれば最初は研修があり、その後は地方回りから始まるのだろうから、入社したての初夏から総理官邸に入ったりした新人記者は自分ぐらいではなかっただろうかと思ったりした(違ったらすみません)。

普通の学生が卒業して突然、日本の中枢の報道に放り込まれたのだ。「こんな自分で大丈夫だろうか。ちゃんとできてるだろうか」と常に不安だった。

取材相手は自分より年齢の高い男性が多く、社会人として、記者としての自分の振る舞いが大丈夫なのかも分からなかった。

社員は皆とても優しくいい方々ばかりだったので、尋ねると教えてもらえたが、厳しいモラル指導などはなかったので、余計にこれでいいんだろうかと不安な毎日だった(今思えば、普通にとてもいい会社でした)。

そもそも自分に自信がなく周りを伺ってばかりの私だったので、社会人になった自分に何を求められいてるのかが分からなくて、どう動いたらいいのかの基準もなく、常に不安だった。

電話の応対も心配で、頭の中でフローチャートみたいなものを作ってしゃべっていたが、そのうち自分が話していることが正しいのかどうか分からなくなり、どもるようになった。

土日もどこに行くことが「遊び」なのか分からなかったし、どこに何があるのか分からない場所でどう気分転換すればいいのかも分からなかった。

大学時代に知り合った数少ない東京在住の友人と会う時などが、唯一の楽しみだった。

(大学時代の友人はほぼ関西で就職していたので、関東に行った人はいなかったように思う)

この頃、一体どうやって土日を過ごしていたのかほとんど思い出せない。

ただ鬱屈した日が続き、そういったつらさを吐き出せる相手もおらず、悶々とストレスだけが溜まっていった感覚はよく覚えている。

そしてある初夏の日、外があまりに暑かったので私は帰社途中にアイスクリームを買っていた。

そして帰社後、机に座って少し休憩しようと、そのアイスを食べた。

アイスの甘みが全身に伝わった時、頭の中でピーンと何かがつながったような、不思議な快感があった。

あの瞬間のことは今でも覚えている。

アイスクリームなんて今までも散々食べてきたはずなのに、あの時は自分の中に普段はない幸せな快感が走った。

私は夢中になってそのアイスクリームを食べた。

それから、私はその「幸せな快感」がほしくて、何かとコンビニでお菓子を買ってくるようになり、いつも何か食べながら仕事していた。

仕事で何か考えたり、しんどくなったときは、お菓子による「幸せな快感」に助けられていた。

それを感じているときは、つらいことを考えなくてよかった。

先輩から「熊田さん、いつもなんか食べてるよね」と言われ、ちょっと目立ってたかな、しまったなと思ったこともあった。

しばらくはそんな風に、なんとなくお菓子をたくさん食べていたと思う。

自分でも、これはもしかして「過食」というやつだろうか、と思ってはいたが、そこまでではないだろうと、気にしていなかった。

しかし秋頃、誰に言われたか忘れたが、「太ったよね」と言われた。

その瞬間、頭を殴られたようなショックを受けた。

なんとなくそんな気はしていたが、やっぱりはたから見ても分かるほど太ったかと落ち込んだ。

常にお菓子を食べていたので当たり前だが、ショックはショックだった。

私は調子がいい時の体重は53kgなのだが、当時は57kgぐらいあったかもしれない。

ヤバい、まずい、と思った。

女性は当然のように綺麗でいることを求められるし、できるだけ美しくいろ、という無言の圧力をいつも感じていた。

誰から言われたわけでもないが、若く綺麗で美しくいることが、世間から愛され、認められることの前提条件のように感じていた。

テレビや雑誌には細くてスタイルの良い美人が並び、たくさんの化粧品や洋服、美容エステなどのCM。

自分も彼女たちのように美しくなりなさい、そうならないと誰からも認められないよ、愛されないよと言われているようだった。

私はもともと、自分の容姿に自信がなかった。

そもそも「自分は愛されない」という枠組みを強固に持っているので、自分に自信がない、見た目にも自信がないと連鎖していた。

だから鏡が嫌いだった。

綺麗じゃない、可愛くない自分を見るのにはとてつもない勇気が必要だったから。

外出時の身だしなみとして鏡は家にあったが、自分の全体像を結んだことがなかったように思う。

どういうことかというと、全体をトータルで見ると自分の欠点に目が行ってしまうので、部分だけを集中して見ていた。

化粧する時は顔だけ、とか、服を着るときは上半身、下半身だけ、とか。

とにかく怖くて全身が見られなかったし、見たとしてもすぐに目をそらして受け入れないようにしていた。

それほどに自分の容姿に自信がないのに、挙句の果てに太ったと。

まずい、このままだと私はもっと愛されなくなる、認められなくなる。

恐怖ですくみそうだった。

それでも、当時の私にはお菓子の甘みを手放すことは無理だった。それだけが唯一の楽しみであり、ストレス解消であり、現実逃避できる手段だったから。

それからダイエットに挑戦するようになり、休日にランニングしたり、帰宅時に駅を二駅ほど前に降りて歩いて帰ったり、食事は置き換えダイエット食品にしてみたり、色々やってみたが体重は変わらず、長続きしなかった。

そもそもストレス満載の日々を送っているのに、さらにつらいと思うことをしても、苦しさが増してお菓子の量が増えるだけだった。

それでもこのままでは太ってしまう。

電車に乗ったり、道を歩いているだけでも、周りの人から「こいつデブだな、ブサイクだな」と思われているんじゃないかと、脅迫的に思うようになった。

でもお菓子はやめられない。一体どうしたらいいのか・・・。

その時思い付いた。

だったら、食べて吐けばいいのだと。

そうすれば、どれだけ食べても太らないじゃないか。

お菓子もご飯も、食べたいだけたくさん食べられるんだ。我慢しなくていいんだ。

夢のような方法だと思った。

そしてこの瞬間から、15年にわたる過食と嘔吐の無限ループが始まった。

(2017年5月22日「ロハス・メディカルブログ」より転載)

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