日韓関係の行き詰まりは、解決のための機会を提供している

日韓関係は、戦後最低の水準にあると言ってもいい。多くの観察者にとって、これは奇妙に見える。日中関係の悪化は、極めて遺憾なことではあるが、一定の構造的な理由がある。
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日韓関係は、戦後最低の水準にあると言ってもいい。多くの観察者にとって、これは奇妙に見える。日中関係の悪化は、極めて遺憾なことではあるが、一定の構造的な理由がある。中国の台頭は明白な力の行使または威嚇を伴っており、日本は必要に応じて力による対応をせざるをえない。危険は本当に存在するし、喫緊のものであるが、少なくとも歴史的には比較の対象になるような事件が起きており、このような歴史的な事件の中に、なんらかの解決の方策を見出すことが可能ではないかと思わせるものがある。

そこで日韓関係においてまず問われなければいけないのは、現在の関係の悪化に、構造的な理由があるか否かである。一瞥してみると、答えは否であるように見える。韓国は、見事な成功をおさめている。軍事独裁国家から強力な民主主義国家になり、東アジアにおける最も精力的で多彩な経済の一つになり、多くの日本人を「韓流」によって魅了している。日本は、20年の漂流の後に、いまアベノミクスによって活気をとりもどしつつある。成功は自信を生み、自信は原則として相手に対する寛容さを生むはずである。

しかしながら、この成功と自信は別の方向に向かっているのかもしれない。自信は、強いナショナリズムに基づく感情と、自己を絶対的に正当化しようとする主張を生むのかもしれない。私の最も尊敬する韓国の友人を含む何人もの分析家は、韓国における日本に対する「恨」は、あまりにも深く韓国人の心理に根付いており、韓国がその力と名誉と自信を得た今、植民地時代についての完全な正義を得ようとする欲求は、限界なく巨大化していると述べている。韓国の立場からすれば、アベノミクスの成功や日本人の間に復活しつつある自信は、「修正主義者の安倍」のイメージを強めるばかりであり、このイメージに対する嫌悪感は固定的な性格をもち始めている。確かに安倍総理の発言や対応の中にそのような疑いを惹起する点があったかもしれないが、安倍総理の政策の中の重要な部分である「実務家の安倍」の側面は、韓国ではまったく評価されていないというわけである。もしも韓国でそういうことが本当に起きているのならば、両国関係の悪化は、構造的な性格を持ち始めたのかもしれない。

しかしながら、本当にそうだろうか。筆者は、関係の悪化は、不可避的なものとは考えていない。もちろん、関係を悪くさせる客観的な要因はある。しかしながら、同時に、いまだに実現されていない広大な可能性をもった分野が残っている。そこでは、最高指導者からフェイスブックに書き込みをしているたくさんの人たちを含めて、両国関係に携わる人たちが、選択し、実行することができるものがあまりにもたくさんある。このような見方からすれば、現在の両国関係の崩壊は、行動の欠如ないし失敗によるんものであり、それらは、指導者やその他の人々の積極的な行動によって、是正されうるはずのものばかりである。

現在の日韓関係では、少なくとも四つの難しい問題がある。一つの問題における困難さがその他の問題に影響し、悪循環をつくっている。今必要なことは、この悪循環の連鎖を断ち切り、それぞれの問題に一つ一つ別々に取り組むことである。一つの問題について改善することができれば、そのことが次の問題によい影響を与えるかもしれない。そうなれば、両国関係は、好循環になるかもしれない。双方に、政治的な意思さえあれば、このことは可能なはずである。四つの問題とは、安倍晋三総理と朴槿恵大統領との間の信頼の欠如、慰安婦問題、竹島問題、強制労働問題に対する韓国司法の決定の四つである。

現在安倍総理と朴大統領との間に信頼感が全く欠如しているように見える。朴大統領が就任してから一年近くがたって、大部分の日本人は、朴大統領が、朴正煕大統領の娘であることによって大きな問題をかかえているという理解を持つに至っている。朴正煕大統領によって実現した1965年の日韓正常化と日本に対する「妥協」によって実現した産業化は、今韓国で激しく攻撃されており、こういう状況下で朴大統領が両国の和解を進めるためのリーダーシップをとることは困難だというわけである。他方において安倍総理も、絶え間ない韓国側からの謝罪要求に対してこれ以上譲歩すべきではないという、強烈な取り巻き連に囲まれてもいる。この状況が、現在の閉塞状況をつくりだしている。しかしながら、一年余りにわたる凍結状況の継続は、両首脳にとって打開にむけての障壁が下がってきていることを意味してもいる。閉塞状況に対する障害が低くなればなるほど、相互理解に対する最初の一歩は歩みだしやすいということになる。日本の市民としては、最初の一歩は安倍総理にとっていただきたいものである。

慰安婦問題については、すでに日韓でたくさんのことが起きている。日本は、1980年代末から1993年の河野談話、1995年から2002年まで韓国で活動したアジア女性基金を含め、少なからぬ努力をはらってきた。しかしながら、韓国の一部市民団体は日本側から表明された謝罪と償いを受け入れ評価した慰安婦の方々の意思よりも、日本の法的責任の追及を上位におき、筆者は、このことは極めて問題があると考えてきた。にもかかわらず、現時点で両国指導者が考えるべき真の政治課題が在る。それは、慰安婦の方々がいまだに存命中に、両国政府間の和解をなしとげることである。もしもそのことが実現しないままに終わったならば、予見される将来、この問題は抜くことのできない棘として両国間に残ってしまう。日韓関係の長期的な利益を考える人たちにとって、それは誰の利益にもならない。正に今ならば、安倍総理と朴大統領には、行動する責任とそのための機会が与えられているのである。野田佳彦総理と李明博大統領の最後の交渉の中で、日本の総理の謝罪文と日本政府の予算によって償い金を払うという案が浮上したとされているが、アジア女性基金ではできなかったこの案に、双方が合意しうる枠組みの大体の形があるのではないかと考えられる。

竹島問題は、植民地時代に関する韓国人の怒りと韓国のアイデンティティの根幹に触れる最も感情的な問題として理解されてきた。しかしながら、同時に、日本政府がこの問題を両国関係の中心に据えたこともなければ、北方領土問題と違って、現状を変更すべく本当に真剣な働きかけをしてこなかったこともまた、認められねばならない。また、「領土問題は存在しない。したがって日本とこの問題について話し合いもしない」という韓国政府の立場は、東アジアにおける三つの領土問題の中で、最も強硬な立場であり、1985年にゴルバチョフ大統領が登場する前のソ連政府の立場とのみ比肩しうるものであることもまた、認められねばならない。尖閣列島に対する安倍政権の立場は、「領土問題は存在しない。けれども、対話の窓は開いている」というものなのである。もしも韓国国内政治の圧力が強すぎて政府間対話が実現できないのであれば、民間対話は実施可能なはずである。実際、2009年6月にワシントンのSAISで開催された国際会議や、2011年9月にソウルで開催された日韓の学者の対話は、竹島問題をめぐる質の高い対話が可能なことの証左でもあるのである。この問題に関する最も重要な危機は、日本におけるナショナリズムの爆発が起きることである。この爆発が起きていない間ならば、双方は、この問題と共存する知恵を見出すことが可能であり、安倍総理と朴大統領は、ただ今現在、明確な機会の窓を有しているのである。

最後の問題は、戦前の強制労働問題に関する韓国大法院(最高裁判所)の判決によって引き起こされた。両国の司法府間の対立は、2007年4月、日本の最高裁判決が、日本政府が締結した国際条約によって、相手国政府の請求権が消滅したのみならず、個人としての請求権もまた消滅したと判示したことから転換点を迎えた。あたかもこの判決に対抗するかのように、韓国大法院は、2012年5月、1965年の日韓請求権・経済協力協定では、個人の請求権を消滅させていないと判示した。のみならず、この協定に、「両締約国及び国民の間の請求件に関する問題が、完全かつ最終的に解決された」と規定されているにもかかわらず、「日本の国家権力が関与した反人道的不法行為や植民地支配と直結した不法行為による損害賠償請求権が請求権協定の適用対象に含まれたと見るのは難しい」と判示した。大部分の日本人にとって、1965年の請求権協定は、正に日本の植民地時代の請求権の問題を解決するために締結されたものである。大法院の判決はこの理解を覆し、1965年協定に基づく請求権問題の解決を全否定するものだった。

この判決は、強制労働問題は1965年協定の対象に含まれるとした2005年の韓国政府の公式的な立場にも反している。2013年7月以降、韓国における重要な進出企業である新日鉄と三菱重工が、植民地時代の強制労働について有罪判決を受けた。それぞれが、大法院まで上告するであろうが、2012年5月の大法院判決がある以上、勝訴の見通しは存在しない。その場合、これらの会社が韓国司法の判決に服さない場合には、財産の没収を含む法の執行が不可避になるように思われる。2007年5月、我が国の最高裁判決がでた直後に筆者は、日本の裁判所でこれらの請求が法的には受け入れられなくなったこの機会に、道義的・自発的観点から問題を解決することを主張した。しかしながら、そのような立場に立つ者にとっても、1965年協定を無効化する韓国大法院の判決は、いかに薄いものであっても、これまで形成されてきた両国関係の基礎に対する根本的な疑問を引き起こすものである。韓国政府は、強制労働の活用によって訴追される可能性のある日本の会社は、299社あるという。これらすべての会社の財産が、一つ一つ、マスコミ注視の下で没収される事態が発生するなら、日韓関係は、予見される将来長きにわたって深い傷を負うことになるだろう。今ならば、安倍総理と朴大統領及びその政府は、この最悪の事態が起きる前に、話し合いを行い、事態の悪化を防ぐ可能性と責任があるのである。 

(PacNet #86 2013年12月3日 掲載)