今回の参院選の争点のひとつに「雇用」が挙げられている。これを機会に私も女性の働き方について考えてみた。
エンプロイアビリティ employabilityという言葉をご存じだろうか。「雇用される能力」と訳されるこの言葉は、Employ(雇用する)とAbility(能力)を組み合わせた用語で、1980年代の米国で生まれた概念である。
当時の米国は、産業構造の変化などにより企業が縮小を進め、労働者の長期的雇用が保障できなくなった。そこで登場したのがこの概念。長期的雇用を保障しない代わりに、個人は他社でも通用する能力を高め、企業の側もそれを開発する環境や機会を提供する、というものだ。
最初は転職する能力ととらえられていたが、現在では、勤務している企業で継続的に雇用される能力という側面ももち、企業という枠を超えた、働き方の流動化に対応する概念とされている。
日本においても1990年代から取り入れられ始め、2001年に厚生労働省が「エンプロイアビリティの判断基準等に関する調査研究報告書概要」とする報告書を出し、評価の必要性や、評価基準の作成について整備を図っていくとした。
参考:エンプロイアビリティの判断基準等に関する調査研究報告書概要(厚生労働省)
「女性の働き方」と冒頭に書いたものの、実は、私は、働くということに関して男女の区別はないと考えている。
女性という立場から雇用について考えるとき、どうしても、出産や育児といったライフイベントで変わってしまう就業形態や、企業における女性管理職の占める率などに論点を置き、政治に女性の働く環境についての対策を求めたくなるが、これは果たして女性だけ、その人だけの問題なのだろうか? といつも思うのだ。
結婚する人もおり、しない人もいる。子どもを産む人もおり、産まない人もいる。これだけ女性のライフスタイルが多様化している中で、もはや、働くということは、男性、女性にかかわらず、人としてどう社会とかかわっていくのか、どう生きるかに直結する問題だ。
人が働く年月の間で、たとえば出産や育児というブランクに直面するとしよう。その際、女性という側面からだけものごとを見るのではなく、企業として、さらに社会全体としてそのことにどう向き合うのか、国は、働く場をどう安定的に維持できるよう対策するのか、と考えるべき段階に入ってきたのではないか。
そのために必要なことは、「人のモラル」や「なんとなくそうしなければならないムード」といった曖昧なものに頼らない、仕組み作りだと思う。実行力のある、有益な仕組みづくりのために、政治がうまく機能していくことが望まれる。それは、有権者が選ぶ政治家、そして私たち自身が上げる声にかかっているのだ。
同時に私たちも、女性だからという諦めや甘えを捨て、エンプロイアビリティを高めて、企業や社会に貢献できるスキルと人間性を養っていくことが必要だろう。雇用とは、自身が雇用される能力とセットで考える問題なのではないかなあ、と考えている。