2013年1月に、私のクレジットカードは期限を迎えることになっていた。ところが待てど暮らせど新しい更新カードは届かない。息子に促され、不思議に思いながら電話で確認をしたところ、受け付けた女子職員からの答えは「審査に通りませんでした。」というものだった。
きちんと毎月、カードの支払いも滞りなくしているし、私に何の落ち度があるというのだ? 納得がいかない。腑に落ちない。審査の通らない理由が知りたい。私は理解できない頭をグルグルさせながら女子職員に「どうしてでしょうか?」と問うた。
「総括的にです。それ以上は申し上げられません。」
たまたま電話に出た女子職員に詰め寄ったところでらちが明かないと思い、「上の方とお話がしたい。納得いくように説明をいただきたい。」と申し上げた。それはできないと繰り返し答える女子職員にとうとう言葉が出た。
「被災地だからでしょうか?」
被災地に住んでいる我々は、いまだに風評被害やら差別やらに、嫌な気分に陥ることも少なくない。高速道路のパーキングのゴミ箱には、いまだに福島のお土産が捨てられているという話も耳にするし、セシウム放射能うんぬんではない、とにかく福島県の物は受け入れたくないという他県の話も耳にする。
つい数日前も、奨学金をお借りした団体から、「被災地の方はご連絡を」という文書が届き、言われるままに電話をしてみた。なにか被災地は特典があるのかとわずかな期待感を持って電話した私に、担当の女の子は言った。
「もう2年も前のことですよね? 古い話ですので・・・」
私の後頭部はカッと血圧が上昇し、心臓の鼓動がドクドクと速さを増し、反論する言葉をとっさに模索した。
あの東京電力福島原子力発電所は、関東へ送るための電気を作っていたところである。私たちは東北電力の管轄で、あの電気は使用していない。東京は日本の首都ではないか。首都機能を賄うための電気であるならば、日本人すべての問題でもあるはずである。それを福島というだけで、色眼鏡で見るとは何事だ! と、私の怒りはこみ上げる。しかも「もう2年も前のこと」で、「古い話」とはどういうことだ!
世間では、東京では、あの原発事故はもう忘れ去られた出来事なのか?「あなたたちに送っていた電気なんですが・・・」と絶叫したい気持ちを抑えて、私は努めて静かに話す。
「まだ2年しか経っておりません。被災地はまだ何も変わっておりません。」
前述のカードの会社からはその後、たったの2時間未満の時間で折り返しの電話が返ってきた。
「審査に通りました。ただし、限度額は引き下げさせていただきます」
喜ぶべきか、怒るべきか、私は少しの安堵感と寂寥感と、複雑な思いで電話を切った。
たまたまこのことを知った男性から「僕も新しいカードが届かなかった・・・・そういう理由だったのですね」とコメントが寄せられた。
彼は、理由を追及するでもなく、もう新しいの届かないんだ・・・と諦めていたようだが、彼以外にも、同じ状況の方がたくさんいらっしゃるのではないだろうか。
被災地はこうした差別にも苦しむ。被災地で暮らすということは、風評被害や差別との戦いでもある。こうしたストレスが被災地の住民の心と身体を蝕む。