私はJR西日本広島で下車すると、広島電鉄に乗り換え、原爆ドーム前で下車することが多い。原爆ドームや平和記念公園に寄り、「平和に対する思い」を新たにしている。
■戦後60年
私は「戦後60年」という言葉が心に引っ掛かっていた。中学時代の担任だった教師にメールで打ち明けると、翌日返信が届いた。
「学校の教員で戦争体験者は一人もいなくなったということです」
この言葉に重みがある。戦争の記憶がかすかにある教師もすでに教壇をおり、戦時中に生まれた最後の教師も2005年3月で定年退職をしたのだ。
担任だった教師は戦後生まれ。親御さんが広島の原爆で被害を受けたため、被爆手帳を持っている。そして、「平和を伝える」難しさを感じていた。国民のほとんどは戦争という現場に遭遇していないので、映像や歴史の本、博物館などでしか戦争のおそろしさを知ることができない。
広島電鉄5000形『GREEN MOVER』
2005年9月3日、広島駅から広島電鉄の2号線宮島口行きに乗る。超低床式車両の5000形『GREEN MOVER』で、ステップなしで乗り降りできる。
15時近く、2号線宮島口行きの路面電車は、原爆ドーム前に到着した。
「3番、ライト、高橋由伸」
路面電車を降りたとたん、ウグイス嬢のアナウンスが聞こえてきた。振り返ると、初代広島市民球場(2代目広島市民球場は、「Mazda Zoom-Zoom スタジアム」という、命名権上の名称を持つ)で、広島東洋カープ-巨人戦が行なわれていた。巨人はセリーグの5位に低迷していたので、試合があることをすっかり忘れていた。
広島の街はうだるような暑さだ。一般道路は交通量も多く、路面電車と共存している。原爆が落とされた1945年8月6日の朝もこのような光景だったのか。なぜ原爆を落とされたのか。戦争を終結させるための手段だったのか。ダメ押しをするかの如く同年8月9日、長崎にも落とされた。同年8月15日、昭和天皇はラジオで敗北を口にした。雑音が入って聞き取りづらいが、声だけは私の記憶に残っている。
■原爆ドームの歴史
原爆ドームは、2015年で百寿を迎える。
原爆ドームは、「広島県物産陳列館」という名で、1915年4月5日にオープンした洋館である。広島県特産品の販売促進をはかる拠点だった。
建物は地下1階、地上はドームのある部分のみ5階建てで、ほかは3階止まり。鉄筋入りのレンガで構築した。原爆が落とされても全壊しなかったのだから、当時の建築技術からして超1級品と思える頑丈ぶりだ。もしかしたら、巨大地震に耐えうる建物なのかもしれない。
「原爆ドーム」という名が定着し、1967年から保存工事を開始。後世に語り継ぐため、風化させたくない思いが込められているし、第2次世界大戦の大事な"生き証人"でもある。
その思いが天に通じ、1996年12月、世界遺産に認定された。ちなみに原爆ドームの英訳は「A-BOMB DOME」だが、世界遺産では「HIROSHIMA PEACE MEMORIAL」と案内している。
原爆ドームの周囲はありんこ1匹入れさせないほどの鉄柵に囲まれており、不法侵入者には警報機を浴びせる仕掛けになっている。訪れる人たちは若者や外国人も多い。その人々の瞼(まぶた)に原爆ドームはどう映っているのか。
■千羽鶴観音と原爆の子の像
千羽鶴観音。地球が滅びない限り、千羽鶴は永遠に折り続けられるはずだ。
原爆ドームの近くには千羽鶴観音がある。女神の観音様が手を合わせて、世界平和を願っている。その周囲には無数の千羽鶴が綺麗に折ってある。私は折り鶴が折れないので、できる人がうらやましい。
千羽鶴観音の後ろには戦没学徒が労働している光景の石像があり、過酷さが想像できる。第2次世界大戦中は勤労奉仕のため、全国で約300万人の子供が駆り出され、約10,000人が亡くなった。このうち、原爆による犠牲者は約6,000人だ。
原爆の子の像。少女が原爆に遭わなければ、今はおばあちゃん。
少し進んだところに原爆の子の像がある。2歳の時に被爆した少女が10年後に白血病で亡くなり、同級生たちが全国約3,200の学校や世界9か国に募金を呼びかけた。賛同する人々の寄付により、1958年5月5日に完成した。両手を天高く、大きく広げた原爆の子の像の下には、金鶴の鐘のほか、同級生たちの碑文が心に響く。
「これはぼくらの叫びです
これは私たちの祈りです
世界に平和を きずくための」
純粋無垢な言葉を眺めると、胸が痛くなる。周囲にはいくつかのガラスケースに収められた無数の折り鶴が世界平和を強く願っている。
■原爆死没者慰霊碑
原爆死没者慰霊碑。前方に見えていた初代広島市民球場は現存しない。
平和記念公園のメインストリートを歩き、原爆死没者慰霊碑へ。毎年式典が行なわれている場所で、前方には原爆ドームと初代広島市民球場が見える。
原爆死没者慰霊碑には賽銭箱(さいせんばこ)がある。少々のお金を入れて、原爆死没者の御冥福と世界完全平和の実現を祈った。
オリンピックなどといった世界的な大会では、"スポーツで国際交流と平和を"という印象がある。確かに、そういうのはいいけど、結局は政治により、平和が左右される気がしてならない。政治にゆがみが生じれば、国際交流は崩壊し、戦争につながる恐れもある。戦場へ行きたくない私はそれが怖くてならない。
厳島神社の大鳥居。オレンジの光が水面(みなも)に輝く。
日が暮れる頃に宮島へ。ここも世界遺産に認定されている。厳島神社の大鳥居はライトアップされ、オレンジの光が美しい。この日は"「宴」という名のイベント"が行なわれており、飲む食う踊るというドンチャン騒ぎで、人々は楽しい夜を過ごしていた。
■集団的自衛権の行使
2014年7月1日、政府は臨時閣議を行ない、日本国憲法第9条の解釈を変更し、集団的自衛権の行使を認めた。安倍晋三総理大臣は、「日本が戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなる」と強調し、国民に理解を求めた。会見終了後、安倍総理大臣は『NEWS ZERO』(日本テレビ)の取材に応じ、村尾信尚キャスターのキレ味鋭い問いに、半ば熱くなっていた。
この決定に不快感を示す人も多く、「日本国憲法第9条改悪の序章」という見方もできる。当時の人々は、広島市、長崎市、糸満市の平和記念(祈念)公園を「どんな思い」で建設し、「なにを訴えたかった」のか。それを考えると、私は到底賛成できない。
賛成派、反対派、どちらにもいえるのは、我が国における戦争の歴史などを今一度勉強し直すことだ。学校では1年かけて詳細を習うわけではないし、教師が熱弁をふるっても生徒が深く理解する保証もない。
我々は自習し、悲惨な事実を再確認しなければならない。書物を黙読するだけではなく、現地に行くことも必要だ。
皆様も平和記念(祈念)公園にぜひ足を運んでいただきたい。
★備考
・ハフポスト「日本国憲法第9条」
・ハフポスト「戦後70年目企画 糸満を歩く」