彼氏と破局して → 髪を切った → 人生が最高になった

新しい髪型は教えてくれた。「自分のために生きろ」と。
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COURTESY OF GIGI ENGLE
(左)マッサージを受けた直後の私。髪はオイルっぽくまとまりがない。(右)髪を思いきり切ってボブにした私

映画のワンシーンのように、私は目覚めた。溺れているかのように、必死に息を吸い込んだ。

つけっぱなしにした電気が、ワンルームのアパートを不気味に照らしていた。私はパートナーの方へと手を伸ばした。

そこに彼はいなかった。いるはずはなかった。

ここ数日の出来事が、一気に頭の中に蘇った。私はめちゃくちゃだった。仕事の途中で彼に帰ってきてと何度も要求し、体を震わせ、泣いた。何週間も喧嘩をしていたが、ここ数日は特にひどかった。

彼は、パブリックな時間を減らしたがっていた。だけど、彼はタイムアウトニューヨークで取り上げられているし、セックスコラムニストの私が書く記事に何度も登場している。それは事実上不可能だよと、私は彼に説明し続けた。

恋愛をテーマにしたポッドキャストまで、二人で一緒にやっているのだ。「優先事項が変わってしまった」と彼はボヤいた。

冗談半分に「別れたいの?」と聞くと、彼は「ほかの選択肢が考えられない」と抑揚のない声で答えた。

3年の交際の幕切れは、たったそれだけだった。

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2013年ごろの私。

私たちはTinderで出会った。私はまだ大学生で21歳。それから3年間、彼は6カ月ごとに私を飲みに誘った。私たちはデートをし、自宅に帰った。

ある9月の夜、ヒゲを生やした彼が私の部屋のパーティーにきた。ヒゲがある彼はとても素敵だった。それまで4カ月間、彼に付き合って欲しいと言われていた。私たちは恋に落ちた。

ちょうどその頃、私は仕事を始めた。彼は私の最大のサポーターだった。ニュースレターを手伝ってくれたり、自分のブランドを作った方がいいと私を励ましたりしてくれた。

彼のことを記事に書くのも全然OKだった。ある時は良いボーイフレンドのお手本として、別の時には新しい大人のおもちゃを試す人として、彼は私の記事に登場した。

関係が悪化し始めたのは、私がウェブメディア「Thrillist」を解雇されてフリーになってからだった。

フリーの仕事は突然始まった。あれよあれよという間に出版契約も決まった。いろんなことがあっという間に起きて、彼はキャリアの面で置いていかれたと感じたようだ。私は彼に、彼がどれほど素晴らしい人間かをいつも伝えていたのだけれど……。

私のメールやInstagram、Twitter、Facebookは、メッセージで満杯だった。全部自分で招いたことだと、彼は私を責めた。私が彼を必要な時、彼はそばにいてくれなかった。

別れた後、私は3年間彼と一緒に暮らした家を出た。そして飛行機でニューヨークからシカゴに向かった。正直、私にはママとパパが必要だった。育った町で悲しみにくれた。

大親友でもある私のいとこは、私が『17歳のカルテ』のようなことになりかねないと思い、週末にアパートに招いてくれた。そして私を元気付けるために、マッサージやフェイシャルサロンに連れて行ってくれた。

マッサージオイルで固まった髪で美容院「レッド・ドア・サロン」の横を通り過ぎた時、私は決めた。髪を切ろうと。

私の彼氏は何年も、私に髪を切らないで欲しいと言っていた。彼は私の長い髪が好きだった。その髪を、バッサリ切ることにした。前髪もつくってやろうと決意した。

別れた時に髪を切るなんて、忘れるための最も陳腐な方法だということはわかっている。

だけど私には、「自分は強い女性なんだ」と思い出すための何かが必要だった。「こんなことで自分の人生を左右されたりはしない」と自分に伝えるために、何かをしなければいけなかった。

レッド・ドア・サロンにいたスタイリストは、チャールズだけだった。彼の仕立ての良いスーツを見て、私はこの人なら大丈夫と思った。私は彼に、携帯でテイラー・スイフトの写真を見せた。彼氏と別れたと伝えたら、「これは自由のためのヘアカットだ。新しい人生の始まりだ」とチャールズは宣言した。

彼はまず、髪をあごのラインまで切った。私は学校の先生のようになった。がっかりした気持ちは、前髪をつくった途端、急上昇した。鏡にうつっているのは、全く新しい自分じゃない!

髪を切った私は最高だった。おへそまであったストレートの髪は、ミュージカル映画『シカゴ』に出てくるヴェルマ・ケリーになった。めちゃくちゃセクシーだった。

チャールズは、メイク用の席に私を連れていってくれた。

打ちひしがれた小鳥が羽ばたく蝶になるためには、もう一仕事必要だと彼は心に決めたようだ。

メイクアップアーティスに、ダークなアイシャドウとヌードカラーのリップスティックをつけてもらった私を、チャールズはアシスタントに撮影させた。

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新しいヘアスタイルとメイク。シカゴのレッド・ドア・サロンで。

私はそれまでの何週間で初めて、自分を美しいと感じた。

写真にうつっているのは、恋人と別れてボロボロになって落ち込んでいる女性ではなかった。私は、強くて妖しい魅力を持った女性に生まれ変わった。

その後、“自由のためのヘアカット”は私をさらに強くした。私は連日、SNSに自分の写真を投稿した。家族や友人、知らない人まで私を褒めてくれた。

一人になると悲しくなって夜に泣くこともあったけれど、自分の内側に強さが生まれてくるのも感じた。

新しい髪型が、私をさらに私らしくしたかのようだった。友人の一人がこう言った。

「何かがあなたをあなた以上にあなたらしくするなんて思っていなかったけれど、新しい髪を見て『ジジがこれまでなかったくらいジジになっている!』って思った」

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2017年に参加したスラットウォークでは、キーノートスピーチをした。

新しい髪型は、手入れも驚くほど簡単だった。

私の髪質はもともと固くて乾燥しやすく、自然乾燥させるとまとまらなかった。

でも新しい髪型は、自然に乾かすと毛先に少しカールがついた。ドライヤーで2分も乾かせば、完璧な形になった。前髪は自分で簡単にカットできたし、前髪があると自分をセクシーに気持ち。

髪型がきまっていれば、他のこともうまくいく。ファッションも大きく変わった。ビンテージのジャンプスーツ、着物、高いヒールのブーツ、様々な色のベレー帽、大きくつりさがるイアリング。新しいヘアスタイルのおかげで、今まで買ったことがない物を買うようになった。

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『ビートルジュース』のセクシーバージョン。ナパ・フィルム・フェスティバル で訪れたカリフォルニアのワイナリーで、2017年11月に撮影。

彼と別れた直後、私は喪失感に打ちひしがれ、孤独だった。自分がどんな人間だったかが、しばらくわからなくなってしまっていた。

だけど新しい髪型は、私に自分がどんな人間かを思い出させてくれた。髪型は私に、自分のために鏡を見るように、と言った。

外側から、私は自分を取り戻し始めた。彼と付き合っていた時には諦めていたことを楽しむようになった。

お腹をみせるファッションがしたい時にはお腹を出し、自分の洋服の写真を撮って欲しい時は、誰かに撮ってもらった。

長い間気づいていなかったけれど、新しい生き方は、自分のセクシュアリティにもあっていると感じた。

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ニューヨークで2017年10月に開催した、セックス・ポジティブ・ハッピー・アワーで撮影。

他のことも、ずっと楽になった。彼と一緒にいられないのなら、誰とも一緒にいることはないだろうと考えていたけれど、完全に間違っていた。

私は27歳の女性。出版契約もあり、周りはサポートしてくれる。夢中になれるキャリアもある。十分魅力的な人間だ。

彼と付き合っている時はとても幸せだった。だけど実は息が詰まっていたことや、肩身の狭い思いをしていたことに気付いていなかった。

でもそれは、別れた彼のせいじゃない。そんな私にしたのは私自身。もっと魅力的な人間になりたかった。セックスコラムニストの仕事が軌道に乗り始めた時に、彼をもっとサポートしたかった。

今、私が喜ばせるべきたった一人の人は私。私は自分のために生きている。

スラットウォークに参加した時、私は大勢の前でスピーチをした。

ステージに向けてピンクカーペットを歩いている時、カメラの前でポーズをした。その時、彼と付き合っていた3年間よりずっと充実感を感じた。

これが私がいる場所なんだと感じた。自分らしい生き方を楽しみ、なりたい私になる。

傷を癒すのは簡単じゃない。

それは痛みを伴うけれど、同時に大きな変化をもたらすことがある。変えたいと思っていても自分では変えられない何かを、変えてくれることがある。

ハフポストUS版のコラムを翻訳しました。

筆者:Gigi Engle(ジジ・エングル) シカゴ在住のライター。フェミニズムや性教育などのテーマで執筆。