2020東京五輪、日本の新しい風に

日本が戦後復興を達成し、高度成長期にあった1964年の東京五輪の時代とは異なり、もはや東京五輪の持つ直接的な経済効果は現在の日本にとってはさほど意味があるとは思いませんが、新しい時代のマインドの流れを生み出してくれるのではないかと感じています。
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2020年オリンピック・パラリンピック開催の東京決定おめでとうございます。招致活動に取り込んでこられた方々はほんとうにお疲れ様でした。もちろんロビー活動の成果やプレゼンテーションの成功もあったとは思いますが、オリンピック参加選手も加わり、招致活動に情熱を注いだことで、国内の人々が無関心だった状況を変えたことが大きかったのだと思います。東北復興とスポーツの力を結びつけたことも共感を呼んだのでしょう。

最終決戦に残った東京とイスタンブールで60対36の大差だったと伝えられています。

マドリードは、2024年に再びヨーロッパに誘致したいという他のヨーロッパの各国の思惑に敗れたのでしょうし、イスタンブールは中東の政情の不安定が足を引っ張り、安全な東京にという流れを生んだのでしょう。

この東京五輪の決定が、ビタミン剤となって日本の経済や社会に希望や元気をもたらしてくれそうですが、東京五輪開催に向かう日本に新しい風が吹いてくれそうな予感がします。

ほっとしたのは、これで政治がしばらくは安定してくれそうなことです。もし東京開催を逃せば、安倍政権にどんな影響がでるかを考えていたのですが、福島の汚染水問題、また消費税増税をめぐって政治に混乱が起こり、株価にも影響して、安倍内閣の与党内での求心力が失われるおそれがありました。ざっと言えば、このハフィントン・ポストが取り上げたロイターの記事のような感じです。

別にアベノミクスにも安倍内閣にも両手をあげて支持しているわけではありませんが、経済がようやく回復に向かい始めたナイーブなタイミングでの政治の混乱だけは勘弁して欲しいというのが正直な気持ちでした。

それよりも長期的にもっと大きな意味が生まれてきそうです。日本が戦後復興を達成し、高度成長期にあった1964年の東京五輪の時代とは異なり、もはや東京五輪の持つ直接的な経済効果は現在の日本にとってはさほど意味があるとは思いませんが、新しい時代のマインドの流れを生み出してくれるのではないかと感じています。オリンピック開催でいやがおうでも世界の国々、また人々に目を向け、気配りする意識が高まってきます。

他国や多民族を批判、また中傷することで自らを正当化をはかりたいという偏狭なナショナリズムがこのところ目立つようになってきましたが、グローバル化してきた時代のなかで、自らのアイデンティティを見出そうとする新しい意識の流れに変わっていくのではないでしょうか。いずれにしても開催が決まった以上、より大きな意義を創造していかなければなりません。「ここからが本番」(安倍総理)ということでしょう。それについてはまた後日もうすこし詳しく書こうと思っています。

まずは開催決定をお祝いしたいと思い、この記事を投稿します。

(※この記事は9月8日の「大西 宏のマーケティング・エッセンス」より転載しました)