「そんなの知らないよ」と彼女は

「どうやって生きていけばいいだろう」と彼は言った。「学歴もなければ大した職歴もない、ぼくらのような人間はどうやって生き残ればいいだろう」
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「どうやって生きていけばいいだろう」と彼は言った。「学歴もなければ大した職歴もない、ぼくらのような人間はどうやって生き残ればいいだろう」

京都、三条河原町。最近できたばかりのつけ麺屋に、友人とたむろしていた。

麺大盛り根菜チャーハンセットを待ちながら彼は続けた。

「いまの時代、あらゆる仕事が機械に置き換えられていっている。一昔前なら、知的な労働は人間がやるしかなかった。どんなに単純な足し算、引き算だろうと、人間の手で計算するほうが早かった。だから、ぼくたちのような人間にも仕事があった......」

と、料理が運ばれてきて、彼はちょっとだけ口を閉じる。目をむくような量の炭水化物の塊がテーブルを埋めていく。

「......だけど、いまは違う」つぶやきながら、彼はわりばしを割る。「当たり前のことが当たり前にできるだけの人間なら、機械を使ったほうが安上がりだ。ぼくらのような人間の居場所は、どんどん無くなっている。なあ、ぼくらはどうやって生きていけばいいのかな」

彼は失職中で、いまは職業訓練校でプログラミングを習っているという。

私はお冷に手を伸ばした。気づくとくちびるが乾いていた。

「そう、だね......」

すぐには答えられなかった。

       ◆

「そんなの知らないよ」と彼女は笑った。

数ヶ月前のことだ。私は東京時代の友人たちとドライブをしていた。国道を飛ばしていたら、遠くに郊外型の大型商業施設が見えてきた。すると、彼女は誇らしげに言ったのだ。

「あそこ、うちの会社の案件だった」

彼女は大手人材系企業で働いている。

テレビをつければ彼女の会社のCMを目にしない日はないし、コンビニに立ち寄れば彼女の会社の冊子がかならず置いてある。すてきな仕事を見つけよう、楽しく働こう......。みんなで幸せになろう的なオーラを撒き散らしながら、若者をかき集めている。

人材系企業と、郊外型商業施設。

二つのものを頭の中で結びつけることができず、私は「どういうこと?」と訊いた。

「ああいう施設を新規オープンするときは、アルバイトを一括採用するの」

ハンドルに片手を載せたまま、もう一方の手で建物を示す。

「数百人分の面接なんて、施設の人事担当者の手にはあまるでしょう? だから、うちの会社みたいな人材系企業に採用活動を一任しちゃうんだよ。どういうスタッフが欲しいのか要望を聞きながら、マッチする人材をまとめて斡旋するの」

そういうサービスを、パッケージ化して商品にしているらしい。少しだけ速度を落として、建物の横を走り抜ける。

「新規オープンの場合なら、学生のアルバイトを避けてほしいって注文されるのが普通だね。だって、施設側としてはできるだけ長く働いてくれる人が欲しいでしょう。現場の戦力になって、将来的には後輩を育ててくれるような人が欲しい。だから、フリーターが重宝される」

フリーターか......、と私は一人ごちる。

「そういう人って、このお店で何年ぐらい働くんだろう」

「さあ? 10年も続かないんじゃないかな、ふつう」

「そういう人って、どんなことを目標にして生きているんだろう」

「うーん、プロのミュージシャンになってメジャーデビュー、とか?」

「そういう人って、どういう人生を歩むんだろう」

彼女は申し訳なさそうに笑った。

「そんなの知らないよ」

       ◆

「そういうモノですよ、世の中って」

さらに数ヶ月前のことだ。私は高校時代の後輩と新宿でランチをしていた。学生の頃から優秀だった彼は、いまでは金融業界の第一線で働いている。

ブログのアクセス数が伸びるようになってから、古い友人からの連絡が増えた。彼もそんな人の一人だった。彼らの記憶の底で消えかけていた私という存在は、ブログがバズるようになったことで、にわかに生き返ることを許された。こうやって文章を書き続けていなければ、きっと誰の目にもとまらず、みんなから忘れ去られていただろう。

「ブログを書いていると、ときどき不安になるんだよ」

その時、私は柄にもなく"相談"をしていた。

「短い記事のなかに、言いたいことをすべて詰め込めるわけじゃない。ネタのつもりで書いたことが、本気と受け取られることも少なくない。そういうとき、批判されるだけならまだいい。私も覚悟しているから」

「へえ、先輩は煽られたらスルーできないタイプだと思っていました」

ちょっとは大人になったのだ、見くびらないでほしい。

「本当に困るのは、ネタを本気と受け取られたうえで絶賛されたとき。なんだか騙しているような気がして、申し訳ない気持ちになる。そういう時は、かならずフォローアップの記事を書くようにはしているけど......」

「気にしすぎですよ」と彼は笑った。「ケータイのソーシャルゲームを見てください。パチンコを見てください。あるいは、ネット上の知名度で商売している人たちを見てください。自分の頭で考えよう、独立国家を創ろう、ソーシャルメディアで一稼ぎしよう、ニートになろう......。みんな、同じじゃないですか。頭のいい人たちがバカを煽って儲けている。哀しいけれどそういうモノですよ、世の中って」

あの可愛かった後輩が、こんな言葉をさらりと言えるようになった。それが哀しかった。

「私は、あまり頭のいい人じゃないよ」

       ◆

「要するに、自己評価が低いんだ」

つい数日前のことだ。先斗町のバーで、たまたま隣に座った男はそう言った。年齢は30代半ばで、会社経営者だという。バーボンで顔を赤らめながら、罵声とも嘲笑ともつかない声を上げる。

「自分のことを"平凡"だと信じ込んで、世界を変えるような人間だとは思っていない。自分の可能性を過小評価している。だから、会社に使い潰されるんだ」

最近話題になったいくつかの記事について話していた。

頓智ドットを退職した‐@suniのブログ「ニートですが?」

(編注:現在は記事が削除されています)

ITベンチャーでがむしゃらに働いた結果、体を壊して無職になってしまったという内容だ。反響は大きく、たくさんのトラックバックが書かれた。

逃げろ、そして生き延びろ-インターネットの備忘録

30歳を襲う進行形で起こっている社会問題‐ITエンジニアの社会学

「こいつ、ほんとうは自分のことが嫌いなんじゃねえの」と男は笑った。「自分のことを、人類史に名を残すような人間だとは思っていない。だから、たかがベンチャー企業の広報ごときの仕事をありがたがる。『私みたいな人間を使ってくれてありがとうございます』と目を輝かせる。そして体を壊すまで働かされて、それでも会社に感謝するんだ」

ふつうの人はそういうものですよ、という言葉を私は飲み込んだ。まずい話題を振ってしまったなあ......と、ちょっぴり後悔しながら。

男は続けた。

「まあ、俺みたいな人間からすれば助かるわな、こういう自己評価の低いやつは。......うちの会社はワガママなやつばっかりだから、滅私奉公してくれる人間が居つかないんだ」

とはいえ......、と肩をすくめる。

「滅私奉公できるやつ、自己評価の低いやつばかりが集まっても、これからの時代は商売にならないと思うんだよね。価値の薄い作業をコツコツと積み重ねて熟練しても、来年には作業そのものが無くなっているかもしれない。いや、むしろ価値の低い単純作業は無くしていかなければならない。そういう時代だ」

彼はウイスキーを煽ると、吐き捨てるように言った。

「真剣なやつは欲しい。だけど真面目なやつは、もう要らない」

       ◆

大盛りの麺と根菜チャーハンと煮卵を口に詰め込みながら、彼は言った。

「ちょっと前に、田舎の父親が無職で大変! みたいな記事が話題になっていただろ?」

「食べるか喋るか、どっちかにしたら?」

かまわず彼は続ける。

「記事の最後のほうで、こんな田舎をどうすればいいですか? って読者に疑問を投げかけていたやつ。覚えてる?」

無職の父と、田舎の未来について。

1.向上心があまりなく、身体が丈夫でなく、コミュニケーションが取りにくい人間に、できる仕事はあるか。

2.そういった仕事を、人口100万以上の都市まで車で4時間かかるような、田舎に作ることはできるか。

3.そういった仕事に限らず、都会から田舎に仕事を流すことはできるか。

「答えられないよな......」麺をつつきながら彼は言う。「田舎をどうするかという問題提起をする人って大抵、ほんとうは田舎の今までの暮らしをどうするか、ってことに頭を悩ませている。今まで通りの生活をどうやって守っていくかを問うている」

でも、そんなの無理じゃん......と断言して、彼は肩を落した。彼の出身地は岡山県。彼自身がいわゆる"田舎の人"だ。

「偽善者ヅラして『希望を捨てないで!』みたいなことを書いたブロガーもいたけれど、正直、腹が立った」

コミュ障の人にもできる仕事は、ある。賃金や労働時間を問わなければ、そういう仕事は田舎にもある。都会の仕事を田舎に回すことだってできる。しかし、状況を細分化することで、問題の本質から目をそらしていないか。

「今までの田舎暮らしを守れるかどうかと訊かれたら、無理だ。絶対に不可能だ」

れんげにチャーハンを載せてスープに浸して食う、という技を編み出しながら、彼は続けた。

「最近ずっと考えているんだ。学歴もなければ大した職歴もない、ぼくらのような人間はどうやって生き残ればいいだろうって。なにか特別なものに人生を賭けて取り組みたいわけでもないし、平々凡々な暮らしができれば万々歳......。ぼくらみたいな"ふつうの人"は、どんどん仕事がなくなっていく。生きていけなくなる」

私は麺に手を付ける気になれず、お冷をちびちびと舐めていた。

「どうすれば、ぼくらも生きていけるような社会を作れるだろう」

「それは分からない。社会はあまりにも広いから、私には答えられない」少なくとも、今ここでは。「だけど、個人として生き延びる方法なら分かるよ」

楽しく働こう、しあわせな人生を歩もう。街にはそんな宣伝が溢れている。けれど、そういう宣伝を打っている会社の"中の人"も、結局は一人の人間だ。自分の人生を歩むことに必死で、フリーターたちの人生に心を痛めるヒマはない。「そんなの知らないよ」と口にするときに、ちょっぴり申し訳なさそうな顔をするのが精一杯だ。

だれも"ぼくら"を気に留めない。だれも"ぼくら"の人生を心配してくれない。

(......そういうモノですよ、世の中って)

だから、個人としての生存戦略が必要なのだ。

社会を変えようとするのはすばらしいことだ。けれど同時に、自分自身のこともあわせて考えておかなければ。

「まず大きな方針として、交換不可能な人になるのが大事だと思う。この仕事はこの人にしかできないという立場になることができれば、絶対に食いっぱぐれない」

「聞き飽きたよ、そんな言葉」彼は鼻で笑った。「Pixivでいくら頑張っても、売れっ子の絵描きになれるのは一握りだ。ニコ動でボカロPとして活動しても、メジャーデビューできるのはごく一部だ。そういう創作系の仕事だけじゃない。製造業にせよサービス業にせよ、自分にしかできない仕事を手にするには、それなりの能力が必要だ」

「まあ、たしかに」

「だけど、もう嫌なんだよ、努力とかそういうのは。ほとんどの人は"自分にしかできない仕事"なんて持っていない。特別な能力なんて持っていない。どこまでも交換可能な"ふつうの人"だ」

だからどんなに努力しても無駄だ。

「えらい人からは『向上心がない』と叱られるかもしれない。けれど、特別な能力を持っているえらい人たちに、ぼくら"ふつうの人"のことは分からない。たとえば『スキルを磨いて収入アップ!』みたいなブログを読んでも、記事の下のほうにアフィリエイトがあると幻滅する。読んだ人を脅して、不安にさせて、教材を買わせて、結局、バカを騙して稼ぎたいだけじゃないか」

ちょっぴり考えてから、私は答えた。

「あなたは二つの勘違いをしている、と思う」

彼は箸を置いた。私は続ける。

「まず一つ目は、『交換不可能な人間になる=えらい人になる』ではないということ。......たしかに、ネットやテレビでは才気あふれる人が耳目を集めている。ああいう人は知名度だけである程度食べていくことができるだろうね。だけど、交換不可能な人材になるというのは、飛び抜けた才能・能力を手に入れるということじゃないよ」

私もお冷のグラスを置いた。

「あなたは鳥山明にはなれないし、私はジム・ロジャーズにはなれない。あなたはあなたになるしかないし、私は私になるしかない」

いまの世の中は、果てしなく分業が進んだ世界だ。私はコメの育て方を知らないし、CPUの設計方法も分からない。一人の人間ができることよりも、できないことのほうがずっと多い。だから"できないことのリスト"を作るのは無意味だ。リストアップすべきなのは"できること"ではないか。

「故郷の岡山県について、あなたは私よりも豊かな知識を持っている。だけど、岡山県の県庁職員ほどではないと思う。あなたの趣味は古代中国史だから、春秋戦国時代について私よりもたくさんの知識を持っている。でも、北京大学の研究者ほどではないと思う」

「それは褒めているのか?」

「だけど、岡山と古代中国史の両方の知識を持っている人なら、どう? かなり数が限られるはずだよ。そういう知識を持ったうえでアンドロイドのアプリを作れる人が、この日本には何人いるかな。こうやって"できること"のリストをどんどん長くしていけばいい。交換不可能な人になるっていうのは、そういうことだよ」

自分と同じことをしている人が、いまの日本には何人いるだろう。世界には何人いるだろう。私は最近、そんなことばかりを考えている。迷ったときは、同じことをしている人が少ないほうを選んでいる。

「でも、それで食っていけるわけがないだろ。燕(※古代中国の国の名前)についてどんなに詳しくても、フェイスブックを作れるわけじゃない」

「そりゃそうだ、だってあなたが書いてきたコードの量はマーク・ザッカーバーグよりもはるかに少ない。彼の足もとにもおよばないのに、彼と同じサービスを作れるわけがない」

絵で食べていきたければ、誰よりもたくさん絵を描くしかない。文章で食べていきたければ、誰よりもたくさん文章を書くしかない。有象無象の群れに埋没しているうちは、あなたはカネを稼げない。あなたの好きなことを職業にするには、"群を抜く"ことが不可欠だ。

「だから言ってるだろう。ぼくはもう努力なんてしたくないんだ」

「それが二つ目の勘違い。努力なんてしなくていい」

「は?」

「だから、努力なんてしないほうがいいんだよ。努力がつらいのは、やりたくないことをやるからだ。やる価値がわからないものを、やらされるからだ。そういう努力なら、やらなくていいよ」

無駄な苦労を尊ぶ風潮が、息苦しい社畜文化を作ってきた。

「さっき話に出てきたPixivだけど、ランキング上位の常連の人たちってすごいよ。たとえば商業で活躍している人なら、月に何十枚も......人によっては1日1枚以上のペースで仕事をこなしつつ、たまの休日にもラクガキをしている。描くのをやめられないんだ。当然、誰にでも真似できることじゃない。誰にも真似できないからこそ、仕事になっている」

人よりもたくさん描いているから上達し、上手いからこそ仕事が来て、さらにたくさんの絵を描くことになる。いい循環ができているのだ。

「そんな特別な人の例を出されても......」

彼は苦笑した。

私も苦笑を返す。

成功している人を"特別な人"と考えているうちは、その人のようにはなれない。自分と違う人種だと考えているうちは、絶対に成功なんてできない。同じヒトという生き物でありながら、どうしてこんな違いが生まれたのか。そちらに目を向けるべきだ。

(......要するに、自己評価が低いんだ)

言いたいことを飲み込みながら、私は口を開いた。

「違う、そうじゃない。私はべつに、プロの絵描きの異常さを訴えたいわけじゃない。問題は、彼らがどうして絵を描き続けられるか、だよ。......ああいう人って、誰からも求められなくても絵を描いているわけでしょ?」

きっと、描かずにはいられないのだ。絵を描くことが、彼らにとってごく自然な、日常の一部なのだ。

「私が言いたいのは、何もしなくていい時にしていることを仕事にすべきってことだよ。そういうモノなら、いくらでも続けられる。いくらでも上達できる。......そして、いつか、群を抜くことができる」

真面目なやつは要らないけれど、真剣なやつは欲しい。あの男はそう言った。

才能や能力は、生まれつきのものではない。どんなに優秀な弁護士でも子供のころは漢字が読めなかっただろうし、どんなに優れたプログラマでもタイピングのできない時代があった。彼らがいまの能力を手に入れたのは、積み重ねてきたものがあるからだ。生まれた直後は、どんな能力もゼロからのスタートだ。そして才能とは、上達に必要な労力が人よりも少なくて済む分野のことをいう。

「なにか特別なものに人生を賭けて取り組みたいわけでもないし、平々凡々な暮らしができれば万々歳......。それでいいんだよ。そういう"ふつう"の生活のなかにも、何もしなくていい時がある。そういう時に、せずにはいられないことがある。それを仕事にすべきだ」

個人の生存戦略として。

「私たちが生き延びるためには、交換不可能な人材になるしかない。自分の"できること"のリストを充実させて、自分にしかできない仕事を手に入れるしかない。"群を抜く"のは、その方法の一つだ。そして、そのためには、何もしなくていい時にしていることを仕事にすればいい」

「かく言う君は、交換不可能な人材になれそうなの?」

私は、今度こそ本気で苦笑した。

「そんなの知らないよ」

麺は伸びていた。

(参考)

海洋堂は「ブラック企業」なのだろうか?‐琥珀色の戯言