南米サッカーの「情熱」と「狂気」に関する考察

ドログバに流れた雰囲気を変えるすべを持たない会場に、私は日本のサッカー文化がまだまだ薄いことを思い知らされた。
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JOHANNESBURG, SOUTH AFRICA - JUNE 20: Brazil fans enjoy the atmosphere prior to the 2010 FIFA World Cup South Africa Group G match between Brazil and Ivory Coast at Soccer City Stadium on June 20, 2010 in Johannesburg, South Africa. (Photo by Stuart Franklin/Getty Images)
Stuart Franklin via Getty Images

ワールドカップ・ブラジル大会の8日目。激闘の末、コロンビアがコートジボワールを2-1で下した昼下がり、コロンビア西部のカリ市で、1人の少女が流れ弾に頭を打ち抜かれて死亡した。別の都市では、やはり少女が銃弾で怪我を負った。いずれも、コロンビアの勝利を祝って誰かがぶっ放した銃の弾が当たっての悲劇と見られている。

コートジボワール戦後だけで、コロンビア全土で2人の死者、87人の怪我人が出たと、コロンビアのテレビでは伝えている。映像では、喜びのあまりバイクを暴走させて人をはねたり、猛り狂って人に殴りかかったり、車を揺さぶってひっくり返そうとしたりと、歓喜を暴力で表現する者たちの様子が次々と映し出される。

また、チリがスペインと対戦する1時間前、チケットを持たない100人前後のチリ人ファンがスタジアムのフェンスを破ってメディア席に乱入、拘束されるという事件が起きた。そしてスペインに勝利の後は、チリの首都サンティアゴで暴動のようなお祭り騒ぎとなり、火を放ったり300台のバスを壊したりしたという。

その映像を見ながら、私は28年前、1986年に行われたW杯メキシコ大会を思い出していた。やはり、メキシコが勝利した日はメキシコ中が狂喜乱舞し、ほぼ同じような光景が繰り広げられ、死者が出、そのニュース映像を見た私は、ラテンアメリカの破天荒な社会に強烈に惹かれ、やがてメキシコに渡ることになるのだ。

■ブラジル・ホームの呪怨

ブラジルW杯は、ブラジルというサッカーの聖地をホームとしてW杯が行われるという特別な意味を持つが、じつはこの土地はラテンアメリカすべての国にとってもホームに等しい。日本とコロンビアの試合を始め、メキシコ、チリ、アルゼンチン、ウルグアイなどからは大観衆が押し寄せてスタジアムを満員にし、ホームに変えている。その熱狂は尋常ではなく、選手たちも取り憑かれたようなテンションで、恐ろしくハイレベルのプレーを繰り広げる。コスタリカが、イタリア、イングランド、ウルグアイと一緒の死の組を、下馬評を覆して2連勝で勝ち抜けたのも、このW杯がかれらにとってホームだからだ。

開幕戦のブラジル対クロアチアを、私はサンパウロのアニャンガバウ広場に設置されたパブリックビューイングで、ラッシュ時の満員電車のような状態で見たのだが、そこには先の国々のファンたちが大量に来ていた。私の前にいたチリ人は、試合が始まるとマリファナを吸い出した。場内には警官がたくさんいるにもかかわらず。

むろん、会場を支配していたのは、カナリア色のシャツに身を包んだブラジル人たちだ。その8割は背番号10、つまりネイマールの番号を付けている。だが開始から間もなく、ブラジルはマルセロのオウンゴールで失点してしまう。会場は音を消したように静まりかえり、リプレイが映ってから、今度はあちこちから、最も汚い俗語で罵る声が飛び交う。「マルセロ、出てけ!」と怒る声もある。このとき私が思ったのは、西村主審がクロアチアにPKを与えるような笛だけは吹かないでくれ、ということだった。そんなことが起こったら私は会場から無事に出られないと、恐怖を覚えたのだ。だから、あの微妙なPKがブラジルに与えられたとき、安堵した。

これがホームということなのだ。ネイマールがPKを蹴る瞬間、会場中の期待が竜巻のように渦巻くのが感じられ、私は息が苦しくなった。それはほとんど呪怨と呼んでもよいような、戦慄すべきものだった。その中でPKを決めたネイマールに、私は崇高ささえ感じた。

■W杯というフィクション

日本の初戦となったレシフェのアレーナ・ペルナンブーコは、観戦に来ていたブラジル人の大半が日本を応援してくれたこともあり、「日本ホーム」の様相を呈していた。だが、そこには上記のような狂気や呪怨が欠けていた。だから、ドログバが投入されてブラジル人が沸き立ち(一部の日本人も)、会場のムードが一変したときも、それをとどめるすべはなかった。

雰囲気に飲まれてはいけないと思い、私はドログバに向かってブーイングした。そんなことをするのは、私ともう1人だけだったが。

アルゼンチンの初戦、対ボスニア・ヘルツェゴビナ戦でメッシは、会場のブラジル人から延々とブーイングを浴びせられ続け、しまいにはネイマール・コールを突きつけられたという。それに対し、アルゼンチン・サポーターたちはメッシ・コールの大合唱で対抗し、その直後にあのスーパーゴールが飛び出した。

ブラジル人はメッシを憎んでいるのではない。ブラジルとアルゼンチンのライバル関係という演劇に、本気で参加しているのだ。国単位の試合というフィクションを、身を賭して楽しんでいるのだ。私は、大会前のサンパウロのあちこちで、アルゼンチン人とブラジル人が和気あいあいと盛り上がっている姿を何度も見た。だからリスペクトを持ってブーイングする。

ドログバに流れた雰囲気を変えるすべを持たない会場に、私は日本のサッカー文化がまだまだ薄いことを思い知らされた。失敗したら呪詛を浴びて呪い殺されそうな環境で日常的にサッカーをしているラテンアメリカの選手たちに比べれば、日本の選手が逆境に弱いのは当然である。

東アジアのチームだけが実力を発揮できなかったのに対し、ホームの狂気を力に変えてしまうラテンアメリカのサッカーに、めまいさえ覚えるグループリーグであった。

星野 智幸

作家。1965年ロサンゼルス生れ。早稲田大学第一文学部を卒業後、新聞記者をへて、メキシコに留学。1997年『最後の吐息』(文藝賞)でデビュー。2000年『目覚めよと人魚は歌う』で三島由紀夫賞、2003年『ファンタジスタ』で野間文芸新人賞、2011年『俺俺』で大江健三郎賞を受賞。著書に『ロンリー・ハーツ・キラー』『アルカロイド・ラヴァーズ』『水族』『無間道』などがある。

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(2014年6月27日フォーサイトより転載)