この問いを、もし「誰が決めているのか」という問いに変えた場合、その答えは、「独立した民主主義国家であるならば、メディアが決めている」になるだろう。国家・政府側が好むと好まずにかかわらず、である。
英国は、米国の憲法修正第一条に匹敵するような報道の自由をうたう法令を持たないが、特定の組織のみが印刷を許されていた時代から、メディアや市民が報道の自由を勝ち取ってきた歴史がある。歴史のある時点では違法とされた事柄(例えば、18世紀後半まで議会報道は違法だった)を報道することで、自由の度合いを広げてきた。
国家機密は「機密」とする区分けがはずされない限り、外に出してはいけない情報になる。しかし、過去の例が示すように、メディアは機密であってもその報道が公益になると判断した場合、そうしてきた。
報道機関の役割は(少なくとも英国のメディアに関しては)権力側に責任説明を持たせ、国民の目から隠していることを明るみに出すことだ。この点において、国家のために機密を維持する権力側と報道機関側は対極の位置にいる。両者の見方がかみ合うことはないであろう。交わらない、平行線の関係だ。
表題の「誰が(国家)機密の報道範囲を決めるのか?」には、「誰が決めるべきか」という意味合いがある。つまり、国家の機密など、その国に多大な影響を及ぼす(と思われる)事柄についても、メディアはこれをタブーとせずにどんどん報道してよいのだろうか、という問いである。
今回の英ガーディアン紙が主導したNSA報道については、英国ではさまざまな見方がある。
ここで、ガーディアンの報道を批判するジャーナリストの見方を紹介してみよう。
■ガーディアンは「傲慢」?
タイムズ紙などに寄稿するジャーナリスト、デービッド・アーロンビッチは、BBCのラジオ番組「分析」(10月7日放送)で、「国家の機密を報道するかしないかを、一メディアが決める状況は好ましくない」と述べた。「決定はもっと中立の存在が決定するべきではないか」。
これに対し、ガーディアンのアラン・ラスブリジャー編集長は、「メディアでもなく、政府でもなく、そのような決定を行える第3者的存在はない」と番組の中で反論した。スノーデン報道では「米英の諜報活動に損害を与えないか、人命を危険にさらすことはないかを十分に吟味した」と説明する。
報道の意義については、「インターネットで新たな状況が出現している。世界中のすべての人について、すべてのことについての情報をネット上で収集する能力を国家が持てるようになった。誰がどんなことを考えているかさえ分かる。こんな状況を指摘して見せたのがスノーデンだった」。
一方のアーロンビッチは「国家には国のために機密を維持する権利がある」、「傲慢」な「ガーディアンのような報道を支持しない」という。
また、「国家権力はこれまでにないほど、ネット上の危険にさらされている」と指摘する。
これは、インターネットがテロリズムや犯罪の前哨戦になっている上に、国家権力の拡大を嫌う政治思想「リバタリニズム」を持つと公言したスノーデンや、あるいは戦争の事実を広く知らせることを目的にウィキリークスに情報をリークしたマニングのように、国家の機密にアクセスする職に就いた人々が義憤に駆られて比較的簡単に機密を暴露しやすい技術環境が実現しているからだ。
テクノロジーの進展というのは、「スノーデン事件」を理解する、あるいは議論するときの要点の1つだろう。
米国と歴史的・政治的に近い関係にあり、軍隊を持ち、情報機関同士が密に連絡をとりあう英国にいると、今回の国家機密暴露事件において、ガーディアン側が絶対に正しいとも、機密を隠したがる側を頭から「悪者」とするわけにもいかない。実際はもっと複雑なのだ。
■国民はどう考える?
NSAやGCHQがある米英の国民に聞いてみると、世論調査では政府側支持とガーディアン側支持とがほぼ拮抗している。
拙稿でも見たのだが、英調査会社ユーガブによる10月中旬の調査では、情報機関による監視力が「ちょうどよい」と答えた英市民が42%でトップを占めている。さらに22%が「もっと拡大したほうがよい」と考えている。「巨大すぎる」(19%)、「分からない」(17%)はその後だった。
また、米テッククランチが11月5日に発表した調査では、NSAの情報収集手法を「支持する」と答えた米国民が51%を占めた。外国の首脳への通信傍受・盗聴行為を「テロ捜査のために容認する」(57.4%)が、「容認しない」(42.6%)を上回っている。
■米英の違いは?
米国では何度か「監視するな」という抗議デモが起きているが、9・11テロや7・7ロンドンテロがあった両国の国民は、情報機関の存在の意義を否定しているわけではない。
英国では、ガーディアン以外のメディアは、左派系全国紙インディペンデントも時折大きく報道するが、この2紙以外の報道はそれほど目立つものではない。
一つの理由は、「ライバル紙のスクープを大々的に報道しない」というスタンスがあるからだといわれている。といっても、2010年のウィキリークス報道(これもガーディアンが主導)では、他紙もある程度大きく扱っていたように記憶しているのだが。
英ジャーナリスト、ジョナサン・フリードマンはニューヨーク・タイムズに寄せた論考(11月8日付)の中で、英国民の中に情報機関への信頼感がある、と書いている。
米国では政治の主人公は国民だという思いがあるが、英国では、政府は「女王様の政府」であり、国民は臣民と考える。このため、権力が上にあって、臣民たる国民はその一部を垣間見るだけーという形に慣れているのではないか、と指摘している。
スノーデン報道は続いており、情報活動の実態の暴露は今後、さらに深まりそうだ。しばらくの間、どんな分析も「途中経過の報告」にならざるを得ない感じがしている。(終)
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■補足
最後に、「国家権力と英メディア」というテーマからは少々外れるが、気になっていることを挙げておきたい。
スノーデン報道は政府による隠密の情報収集活動の暴露だった。これについて議論が発生するのは、ネットを安心して使うためにも重要な動きだが、全体を俯瞰する視点も必要ではないだろうか。
例えば、政府側が「テロ撲滅」などの理由で情報収集をしていると国民に説明するとき、その「敵」がどれほど巨大で違法な活動をしているのかが、よく見えない・分かりにくい。
確かにNSAの存在は巨大だが、他国の情報機関との連携の度合いや、サイバー犯罪の規模・現況、そのほかのネットワークなど、まだまだ外に十分には出ていない情報がある。大手ネット企業による情報収集と保管についても十分な解明がなされていないのではないか。
私たち市民が気に留めるべきネット上の「監視」活動の中で、外に出ている・知られているのは全体の中の一部だーそんな感覚を自分は持っていることを記しておきたい。
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(この記事は2013年11月15日の「小林恭子の英国メディア・ウオッチ」より転載しました)