今日は、以前書いた、経済産業省のキャリア官僚が自分の匿名ブログを炎上させ、懲戒処分を受けた事件(経産省官僚が自分の匿名ブログを閉鎖したこと)の続きになります。
1 復興は不要か
『毎日新聞』の「経産キャリア:ブログに暴言、炎上 停職2カ月の懲戒処分」によると、この官僚は、東日本大震災に関連して「復興は不要だ、と正論を言わない政治家は死ねばいいのに」などと書き込んでいたそうです。
何でも、その理由として「被災した三陸海岸沿岸は『ほぼ滅んでいる過疎地』で、高齢者が既得権を主張するため復興費用の負担が日本中に回されている」という内容の書き込みをしていたとしています。
2 経済的合理性
この官僚は多分経済的合理性という発想が頭にあったので、こうした趣旨の書き込みをされたのかと思います。話は単純で、投資をして(今回の場合は税金をつぎ込んで)、それに見合うだけの回収がなされるか(効果があるか)という発想です。
一時期盛り上がった事業評価や仕分けではありませんが、税金を使って事業を行う以上、効果が求められるのは当然の話です。それに談合に代表されるように、無駄に使われてきた税金というのもあったのは確かだと思います。
ただ、「評価」そのものの問題もありますし(生徒が教師の評価をすることは可能か)、行政に求められるのがこうした合理性だけかという話も存在します。
3 福祉
おそらくその典型は福祉だと思いますが、福祉を効率という観点から社会的弱者と呼ばれる方々をすべて切り捨てるのかという話にもなります。
以前、異常が見つかった胎児を選んで減胎する手術について述べたことがありますが(「減胎手術」という選択を迫られた人々の苦悩)、一概に当事者でない者がどこまでどうこう言えるのかという問題でもあります。
この社会的弱者を「過疎地」に置き換えて考えても良いわけで、先の官僚は経済的効率性から「過疎地の面倒をどこまで見る」という発想しかないわけですが、当事者を前にしてどこまで言えるかという話です。
4 優秀さ
自分を優秀だと思っている人は、往々にして上昇志向で物事を考える傾向があり、自分が社会的弱者になるなどということは全く考えないことがあります。
ただ、私自身はそうした競争だけを追い求める社会はあまり好きではありませんし、敗者に冷たい社会というのも御免です。
日本の会社や学校の家族主義的傾向をして、身内に甘い等の批判が起こることがあります(日本のサラリーマンは会社に守ってもらっているから脆い?)。
確かに不祥事などを起こした社員をかばうことなどは悪しき家族主義と言えるかもしれませんが、こうした仲間意識(家族主義的傾向)は時には社員の心のより所的機能を果たしてくれる面もあるのではないかと思っています。
5 最後に
私は、グローバル化が進むなか、英語を話して、世界と競争するという選択肢しかないという生き方はかなりつらいものがあるのではないかと思っています(グローバル化で格差の拡大した韓国と対抗する「地方」)。
そういう意味で、経済合理性だけを考えて、過疎地を切り捨てたり、社会的弱者を切り捨てることを第一に考えて国家公務員が政策を立案しているとしたら、それは少し勘弁願いたいところです。
(※2013年9月29日の「政治学に関係するものらしきもの」より転載しました)