ダブルキャリアで映画の道を歩めるか。糠塚まりやさんの挑戦

映画学校時代の同級生にはプロになった者もいれば、一般企業に就職して映画と一切関わりを持たなくなった者にほぼきっちり分かれます。そこでダブルキャリアとして、広告会社に就職後も映画を自ら監督・脚本して劇場公開するなど、精力的に活動されている糠塚まりやさん(25歳)にその思いを語ってもらいました。
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「働く」というのは、人の一生の大きな時間を占めるものであり、「働き方」の選択というのはすなわち生き方の選択と言えます。今年も多くの学生が生き方を選択する就職活動が解禁となりました。また現在社会に出てバリバリと働いてらっしゃる方にも漠然とした将来への不安やキャリアへの展望を思い描く方もいらっしゃるでしょう。

一昨年くらいからノマドというワークスタイルを盛んに推奨する言説が増えましたが、その対義語として社畜なんて単語も誕生しました。要するにフリーランスか、雇用されるかという二項対立ですが、本来はその二極の間に多様な働き方のレイヤーがあることが望ましいのではと思います。具体的にはハイブリッドワーカーやダブルキャリアのような雇用されながらも、他に仕事を持つという生き方ですね。

僕は映画に関わる人間ですが、映画学校時代の同級生にはプロになった者もいれば、一般企業に就職して映画と一切関わりを持たなくなった者にほぼきっちり分かれます。こんなに極端な分かれ方をしなくてもいいんじゃないかな、と常々思ってたんですが、そこでダブルキャリアとして、広告会社に就職後も映画を自ら監督・脚本して劇場公開するなど、精力的に活動されている糠塚まりやさん(25歳)にその思いを語ってもらいました。

■ミュージカルに出合った中学時代。大学院でも映画の勉強を

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「中学時代にミュージカル部に所属していました。宝塚にあこがれていたんです。いつか自分も自分の脚本で演出できたらいいなって思ってましたね。ほぼ部活のために学校に行ってました(笑)。  自分自身の世界を構築できるのが楽しくて。

大学は建築家に進んだんですが、大学院では、東京芸術大学大学院映像研究科に入って本格的に脚本を学びました」

大学院在学中には中島らも原作の短編オムニバス「らもトリップ」の一篇「微笑と唇のように結ばれて」を担当、劇場公開され、DVDも発売されています。

■社会人デビューの後、映画監督デビュー

Q:映画監督としてデビューしたのは、社会人になってからだそうですが、なぜ仕事を始めた後に映画をつくろうと思ったのでしょうか。

「大学院を卒業して、広告会社に就職しましたが、会社の仕事を覚えることで精いっぱいで、脚本を書かなくちゃ...という焦りや悶々としたものは抱えていたのですが、実際に行動に移すことはできていませんでした。そんな折、東京芸大の先輩から女性監督の短編を集めた桃まつりという企画のお話をいただいて、やりますと即答しました。こんなチャンスは二度とないかも、と思ったので。製作費も自分持ちということだったんですが、幸いにも社会人でしたし、蓄えもあったので。フリーのディレクターとかではないですし、定収入があるので、今ある貯金をはたいても仕事を辞めなければ何とかなると思いました。撮影は土日に限定して、芸大時代の同級生で今はプロとして現場で活躍している、信頼できる仲間に助けてもらうところは助けてもらいながらの制作でした。寝る時間なくなるかも、と思っていましたけど、案外寝れましたね(笑)。スタッフがみんな優秀だったので。仕事も休まずに済みましたし。学生時代の友人たちにも恵まれましたね」

Q:完成作品は劇場公開もしたわけですが、どのような作品なのでしょう。

「初めて監督した葬式の朝は、私が書く話としては珍しく実体験に基づく話で、祖父が大学3年の時に亡くなって、葬式に行った時の気持ちを基にしています。通夜や葬式の日でも、親戚一同は普段と変わらないテンションだし、従姉と線香当番として葬儀場で泊まったことなんてなくてとても面白く感じました。悲しい出来事は悲しいという受け止め方だけでは無いんだということをそのときに思いました」

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葬式の朝、撮影時の糠塚監督(左)

「葬式の朝」の予告編はこちら

■会社で学んだパッションの重要さ

Q:広告会社で社会人として経験を積んでみて、それが映画作りに対する姿勢に変化はあったのでしょうか。

「広告戦略を考える部門にいるんですけど、広告戦略は言ってみればストーリーづくり。仕事をしていて、様々な点で刺激を受けて、それが映画の制作に役立っています。会社の先輩に言われて強く印象に残ったのは、広告も伝える側のパッションが重要だと言われたことです。学生時代は、今思うとそのパッションが欠けていました。伝えたいという気持ちよりも面白いものを書こうという個人的な枠で完結するとこで終わっていたんですね。誰かに届ける、そして動かすということが私たちの仕事で、そこが欠けてしまったら良い広告とは言えません。

 私は仕事を通じて、たくさんのカッコいい先輩たちをみて、プロになりたいと思ったのです。広告も映画も関係なくて、人にちゃんと伝わり、心を動かすものをつくれるようになるということです。そしてそのために一番大切なことは、これなら人を動かせる、という自信を持てるメッセージを自分の中に持つということです。仕事をするうえで理論的に物事を組み立てていくことの重要性も学びました。でも理論先行でも面白い企画は立てられない。脚本を書く時のようなインスピレーション、自分が面白いと信じ込んで掘りさげるプロセスは脚本を書くのと広告の企画を考えるのは近い部分があると思います」

■就活について

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「私は、大学三年生の時に、一応就職活動をしました。もう、『頭ではお金のために働くんだ』『好きなことはその隙間でやればいいよ』なんて思っていましたが、脚本を書くことを好きなことなんてものに収めてしまうのはいやだったし、心のどこかでそれでお金を稼ぎたいと思っていたから、もう就活がいやでいやでしょうがありませんでした。電車で泣いたこともあります(笑)。

それで、大学院に行くことにしました。それは、好きなことを仕事にすることを本気で考えてみたいと思って。

結果、芸大に行ったら脚本家として食べていくのはすごい難しいということが分かりました。でも、芸大で学んだのは脚本家になるスキルよりも、『自分らしく生きる。そのときに感じたことしか、脚本にはならない。脚本はあなた以上のものにならない』という先生の言葉につきます。芸大に行くと、かえって『え?就職するの?』という妙な雰囲気があったりもするのですが、先生に教えてもらったことで『あたしはお金がない生活すると不安だと思うから就職する』という考えでも自分を許せるようになりました」

■脚本づくりを辞めることを考えたことがない

Q:2つの道を両立させるために心がけていることはなんでしょうか。

「仕事とプライベートの両立とか二足のわらじとか、そういう感覚は自分の中にはありません。どっちも私にとって大事なもの。映画のことで仕事を休む、ということはしたくありません。仕事は仕事で大事ですから。逆に仕事が忙しいからと言って、脚本を書いたりすることを全く辞めてしまうこともないと思います。というか、辞めるという選択肢を今までに考えたことがないですね。中学からずっとやってきたことなので、それが自分の人生で当たり前になっているんです。人生で自分を使い切った!という感じになる疲労感のある最高に幸福な時間が脚本を書き終えたあとの3日間くらいなんですよ」

■次回作「シブヤのツウ子」プロジェクトへ『プロ』として挑戦

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糠塚さんは現在、次回作「シブヤのツウ子」の企画を準備中。孤独なおばあちゃんの恋物語だというこの作品は、「Motion Gallery」で資金を募集中です。

「ツウ子は、まずはプロとしての意識を持って臨む第一作です。物語は、あるおばあちゃんの片思いについてですが、それを通じて人間は生きている限り完成することはなくて、いつもまでも悩む存在で、そして人はそれこそおばあちゃんになっても悩むことで成長していけるんだってことを描きたいと思ってます」

本企画は渋谷ヒカリエで開催されるidea talkのシナリオコンペで選出されて製作が決定したもの。完成後は、渋谷ヒカリエにて上映される予定。

シブヤのツウ子のMotion Galleryのページはこちら。

いくつか追加の質問をさせてもらった際にもすごい長い文章で答えてくれた糠塚さん。「ああ、伝えたいこと」が溢れてるんだな、と思いました。2つのことをやっているので、学びも2倍になると言っていたのが印象的です。

その分、苦労も2倍あるんでしょうが、映画の世界に限らず多様な生き方ができるようになるといいな、と思います。